好きな人の弟
夜が、明けた。
朝食を終えると、ギルターは「昼飯の材料を獲りに行ってくる」と言って、片手を上げて出ていった。
(……一晩中、お仕事をした後なのに)
ツムギは、食器を片付けるゼータの後ろ姿を見つめる。
ゼータも、毎晩ああして人間たちの魂のために歌っているのだ。
疲れているはずなのに、その動きには一切の淀みがない。
「……なんですか」
視線に気づいたゼータが、短く問いかける。
「あ、えーと……」
言うかどうか迷って、けれど言うことにした。
「ギルターに、使命のこと聞いたの」
「そうですか」
ゼータは淡々とうなずく。
「ほんとにすごいと思う。人間のために、ありがとう」
ツムギは椅子に座ったまま、ぺこりと頭を下げた。
ゼータはちらりとこちらを見て言う。
「別に、人間のためにやっているわけではありませんよ。あのお人好しの兄は、そうかもしれませんが」
「……そうなの?」
ツムギは首をかしげる。
ゼータは感情のない声で続けた。
「あれは使命というより、呪いですから」
「……呪い?」
思わず聞き返す。
「終わりのない牢獄のようなものです。罪を償うかのように、他者の魂を慰め続ける。──永遠に」
「……永遠に?」
ツムギが瞬いて言葉を繰り返すと、ゼータはわずかに首をかしげた。
「兄に聞きませんでしたか。──竜人は、不老不死です」
「……え?」
思わず、素っ頓狂な声が出る。
「不老不死……?!」
歳を取らない。
死なない。
竜人さまが──ギルターとゼータが、そうだというのか。
……あれ?でも。
「ギルターが、“俺より長く生きてくれ”って……」
つぶやくと、ゼータは納得したようにうなずいた。
「子を成した竜人は、永遠の命を失います。人間のように老い、やがて死ぬ」
一拍おいて続ける。
「次の世代が生まれれば、晴れてお役御免というわけですね」
「……なるほど。って言っていいのかな……」
ツムギは少し考えてから尋ねた。
「ゼータは……使命が嫌なの?」
「嫌とか好きとか、そういうものですらありません」
即答だった。
「生まれたときから、勝手に決められていることですから」
「……そっかぁ」
ツムギは静かに息を吐く。
「でも……やっぱり、すごいよ」
ぽつりと続ける。
「あたしも、何かできればいいのに」
「お前は、兄の子を成してくれれば、それで十分です」
ゼータはきっぱりと言った。
「……あ、そうだよね」
ツムギはうなずく。
「そのために、来たんだもんね」
「そうです。子どもさえ生まれれば、人間界に帰ってもらって構いませんから」
ゼータは淡々と告げる。
「──お前の使命は、永遠ではありませんよ」
「……うん」
ツムギは手すりを掴んで立ち上がった。
「忙しいのにいろいろ教えてくれて、ありがとう」
「別に。必要なことなら、答えます」
「……そっか」
ツムギは、少しだけ笑った。
──帰る。
そうだった。
最初に、この島へ来るときにも言われていた。
「子どもが無事に生まれたら、帰す」と。
ツムギは食堂を出て、寝室へと戻る。
ミルゥに揺られながら、ぽつりとつぶやいた。
「……帰りたくないな」
✳︎✳︎✳︎
そんなことをぐずぐず考えながら眠りについたせいかもしれない。
その夜もまた、ツムギは途中で目を覚ましてしまった。
手を伸ばして、ベッドの上を探る。
──モフモフに、当たらない。
「……ミルゥ?おトイレかな?」
ミルゥは、ときどき勝手に扉を開けて出たり入ったりしている。
そういう自由なところも、可愛いのだけれど。
「あたしも、おトイレ行きたいかもぉ……」
枕元のベルに視線を落とす。
ギルターは「用があったら呼んでくれ」と言っていた。
──けれど。
昨夜の歌が、頭をよぎる。
「……大事なお仕事、してるんだもんねぇ」
邪魔をするのは申し訳なかった。
ツムギは「よしっ」と小さく気合を入れる。
「久々に……やるかぁ!」
手すりを掴んで、ベッドから降りる。
覆いを外したランタンを口に咥え、四つん這いになる。
ツムギはそろそろと床を這い、トイレへ向かった。
「ほふほうはまぁ(ご苦労さまぁ)……」
ゴミを拾っているハヤシガニたちとすれ違い、ランタンを咥えたまま、もごもごと挨拶する。
ハヤシガニたちは、ハサミをチキチキ鳴らした。
「ふぅ……」
無事にトイレに辿り着き、用を済ませる。
ほっとして廊下に戻る。
(……あれぇ?)
ふと、宮殿の奥のほうに、淡い光が漏れているのが目に入った。
扉の隙間から、ふんわりとした光。
(……綺麗)
なんの場所だろう。
ツムギは首をかしげた。
案内された覚えはない。
(まだ知らない場所があるんだなぁ……)
ツムギは吸い寄せられるようにそちらへ向かう。
扉の前に着く。
やはり、中から淡い光が滲み出している。
ランタンを脇に置き、扉に手を伸ばそうと、膝立ちになりかけた──その瞬間。
空気が、ひやりとざわめいた。
肌を撫でるような、冷たい揺れ。
思わず身体が震える。
「……え、なに……?」
「……お前ですか」
「ほわぁっ!?」
暗がりから、すらりとした白い影が現れる。
ゼータだった。
ツムギは思わず息を吐く。
「ゼータぁ……!びっくりしたぁ」
「完全にこちらのセリフです」
ゼータは淡々と言った。
「魔のものでも紛れ込んだのかと思いました」
四つん這いのツムギを見下ろす視線は、冷ややかというか──少し、引いている気もする。
「あはは、ごめんねぇ」
ツムギが姿勢を直すと、ゼータは問い詰めるように続けた。
「ここで何をしているんですか」
「えっと、おトイレ。ミルゥがいなくて。それで、ここが光ってるのが見えたから」
「……そういうときは、私か兄を呼んでください」
「はぁい。ごめんなさい」
首をすくめてから、気を取り直して尋ねる。
「でもここ、綺麗だねぇ。何の場所?」
ゼータは、少し間を置いて答えた。
「──“始まりの海”。満月の儀式で使う聖域です」
「え……ここが?」
ギルターが話していた、繁殖の儀式に使われる場所。
ツムギは思わずぺこりと頭を下げる。
「えっと……ごめんなさい」
「別に。謝るほどのことではありません」
ゼータは淡々と言う。
「鍵もかかっていますし」
「あ、そうなんだぁ」
怒られなかった。
それが余計に申し訳ない気持ちになってしまう。
「──部屋まで届けます」
そう言うと、ゼータは膝をつき、ツムギを抱き上げようとした。
「えっ、自分で行けるよぉ!」
……と言ったものの、実のところ、帰り道がかなり怪しかった。
「場所、教えてくれたらぁ……」
「……私に、這い回る妖怪を先導しろと?」
ゼータの目がいよいよ冷たくなる。
「うぅー……」
「観念しなさい」
「ほわっ!」
あっさり、軽々と持ち上げられてしまった。
ギルターが力持ちなのは知っていたけれど、ゼータも同じくらい、いや、それ以上かもしれない。
(……竜人さまだもんねぇ)
ギルター以外の人に抱き上げられるのは、なんとなく落ち着かなかった。
けれど暴れても仕方ないし、なにより申し訳ない。
できるだけ身を縮めて大人しくする。
揺られながら、ちらりと、ランタンの光に照らされたゼータの横顔を見上げた。
(……やっぱり、ギルターに似てるなぁ)
優しく笑ったら、もっと似るのかもしれない。
「……いつか、見てみたいねぇ」
「なんです?」
ゼータが歩みを止めないままこちらを見る。
ツムギは素直に答えた。
「ゼータの笑ったところ、見てみたいなって」
「……お前が、兄と生き物以外に興味を示すのは珍しいですね」
少し意外そうな声だった。
ツムギも驚いて言い返す。
「ゼータも生き物でしょぉ。すっごく綺麗な生き物」
「……まあ、そうとも言えますが」
そんなやりとりをしているうちに、いつの間にか寝室に戻っていた。
開いたままのドアをくぐり、そのままゆっくりとベッドへ下ろされる。
その手つきが、ギルターと同じくらい丁寧で優しいことに気づいて、
(……やっぱり、兄弟なんだなぁ)
と思った。
「どうもありがとう。お手数おかけして、ごめんねぇ……」
ベッドに腰かけたまま、ぺこりと頭を下げる。
「……使命の途中だったよね?」
「たまには、私もサボります」
聞き覚えのあるセリフに、ツムギは思わず笑ってしまった。
そこへ、ミルゥがとことこと部屋に入ってくる。
ゼータの姿に、きょとんとした顔をした。
ゼータは小さくため息をついた。
「二匹……いえ、二人とも。トイレは寝る前に済ませておくように」
「はぁい、お……」
思わず「お母さん」と言いかけて、慌てて口をつむぐ。
そんなことを言ったら、絶対に怒られる。
「お……やすみなさい、ゼータ」
「……おやすみなさい」
静かに扉が閉まる。
ツムギが、ふうっと息を吐くと、ミルゥが「大丈夫?」と言いたげに鼻先でつついてきた。
「大丈夫だよぉ」
ミルゥの頭を撫でる。
「優しいねぇ……みんな、優しいね」
ツムギはしみじみとつぶやく。
「助けてもらうのが当たり前になっちゃいそう……」
「くぅーん?」
ミルゥが頭をこすりつけてくる。
みんな、優しい。
だからこそ──
迷惑をかけなくて済むようになりたかった。
何もできない自分。
役に立てない自分が、ただただ申し訳なかった。




