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ニライカナイの花嫁  作者: 望月冴子
第3章:満ちていく気持ちと月

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竜人の使命

 そんな幸せな日々の、夜更け。


 ふと夜中に目を覚ましたツムギは、耳を澄ませた。


 窓の外から、歌声が聞こえてくる。


 ……歌……。


 そういえば、ここに来る前も聞いた気がする。


「なんだろうねぇ、ミルゥ」


 ミルゥは眠そうにしながらも、ツムギを乗せてくれた。


 テラスへ出ると、浜辺に人影が見える。

 海が、ぼんやりと光を放っていた。


 波打ち際に立っているのは──ギルターだ。


(この歌、ギルターが……?)


 ツムギは、息をひそめて耳を澄ませる。


 低くて、優しくて、澄んだ歌声。

 言葉はなく、旋律だけが夜の海に溶けていく。


 背を向けているため表情は見えない。

 けれど、その手元が淡く光っている気がした。


 ツムギは息を呑み、後ろ姿を見つめながら、ただ歌に身を委ねる。


 ──やがて。


 すう、と歌が途切れた。


 歌い終えたギルターが、ふと振り返る。


「……ツムギ?」

「あ、」


 驚いた顔でこちらへ駆け寄ってくる。


「どうした?何かあったか?」

「あ、えっと……なんとなく起きちゃって……」


 ツムギはうまく言葉を探せないまま続けた。


「すごく綺麗な歌だねぇ……。ギルターも、眠れなくて歌ってたの?」


 ギルターは静かに首を振る。


「……竜人はもともと眠らないんだ。疲れたら、うとうとすることもあるけどな」

「えっ……そうなの?」


 ツムギは、ぱちぱちと目を瞬かせる。


 ギルターは小さくうなずいた。


「前に、竜人は人間とほとんど変わらないって話したろ?でもな……一つだけ、大きな使命があるんだ」

「使命……?」

「天の神様からもらった使命だ。俺たちはそのためにこの海に遣わされた」


 ギルターは、ほのかに光る海を見やる。


「このニライカナイの海には、死んだ人の魂が流れ着くんだ」

「え……」


 ツムギは海へ視線を落とす。


「……魂?」

「海が光ってるだろ?」


 ギルターが指差す。


 海面のあちこちに、淡い光が浮かんでいる。


 ツムギがうなずくと、ギルターは海へ入る。

 その光のひとつを、そっと掬い上げた。


 手のひらの中でゆらりと揺れる光が、ツムギの前に差し出される。


 ツムギは息を呑む。


「……クラゲ?」


 光は、クラゲの形をしていた。


 ギルターが静かに言う。


「これが、人間の魂だ」

「え……っ」


 思わず、ミルゥの上で身を引く。


 ギルターはすぐに言葉を重ねた。


「大丈夫だ。怖くないぞ。何も害はない。こいつらはただ……ここにいるだけなんだ」


 手の中の光るクラゲを、慈しむように見つめる。


「生きてるとさ。悲しいこととか、どうしようもないことがあるだろ?」


 ツムギは黙ってうなずく。


「そうやって傷ついた魂を、俺たちの歌で慰める。すると、こいつらは安心して天に還っていくんだ」

「……」

「それで、また新しく生まれ変わって、この世界に降りてくる」

「……そうなんだ」


 ツムギは、胸いっぱいに息を吸った。


 すごい。

 竜人──さまに、そんな役目があったなんて。


「たいせつな……お役目だねぇ」


 言葉を絞り出すと、ギルターは照れくさそうに笑った。


「うん。だからな、竜人は夜に眠らなくても大丈夫なようにできてる。毎晩、こいつらのために歌うために」

「……知らなかった」


 ツムギがミルゥとのんきに眠っている間。

 ギルターは、ずっと歌っていたのだ。


「ゼータも歌ってるの?」

「もちろん。他の浜にも流れ着くからな。あいつもどこかで歌ってる」

「そっか……」


 先ほどの澄んだ歌声を思い出す。


「ゼータの歌も聞いてみたいなぁ」


 ギルターは笑う。


「あいつ、照れ屋だからな。聞かせてくれるかな」

「あはは……照れ屋って」


 ツムギは、ギルターの手の中で揺れる光を見つめ、それからそっと顔を上げた。


「……あたしも、なにか手伝える?」


 ギルターは優しく微笑んだ。


「ツムギはほんとに優しいな」


 一拍おいて、続ける。


「俺たちの歌に合わせて、笛を吹く花嫁もいたけどさ。ツムギは、昼間俺のそばで笑っててくれたら、それで充分だぜ」

「……そっかぁ」


 ツムギは小さく息を吐いた。


「もう少し……歌を聞いててもいい?」

「あぁ」


 ギルターが再び歌い出す。


 ギルターの手の中で揺れていた光のクラゲは、微かに震える。

 やがてほどけるように形を失い、光の粒となって夜空へ吸い込まれていった。


「……綺麗」

「そうだろ」


 ツムギはぽつりとつぶやく。


「こうやって優しい歌で消えていけるなら……なんだか、死ぬのも怖くないねぇ」


 その言葉に、ギルターの表情がふっと揺れた。

 泣き出しそうな──困ったような顔。


「……俺は、ツムギの魂を前にしたら、歌える自信はないな」

「えぇ〜。なんでぇ?歌ってよぉ」


 ツムギはわざと明るく笑う。

 ギルターはゆっくりと首を振った。


「……それは、次世代のチビたちに任せる」 


 一拍置いて続ける。


「ツムギは、俺より長く生きてくれ」

「……そっか。次世代の……」


 そのために、ツムギは竜人の子を産まなければならないのだ。

 この大切な使命を、途切れさせないために。


 ツムギはうなずくと、眠たそうなミルゥの頭を撫でた。


「大切なお仕事を邪魔してごめんねぇ。そろそろ寝ます」

「うん」


 ギルターは優しく笑う。


「ツムギは、よく眠って明日も元気に起きてくるのが、大事なお仕事だ」


 片目をつむって付け加える。


「お部屋までお送りします。お姫さま」


 ツムギはくすっと笑った。


「自分で戻れるよぉ。お仕事、続けてて」

「ちょっとだけ、サボる口実をくれよ」

「えぇ〜?」


 部屋までの、ほんの十数メートル。

 ギルターはツムギの手を取り、そっとエスコートしてくれる。


 ミルゥからベッドへと降ろされ、毛布をかけられる。

 ミルゥは、そそくさと上に乗って丸くなった。


「ありがとう」


 ツムギはミルゥとギルターに向かって言った。


「……ツムギ」

「うん?」


 真剣な声に、ツムギは首をかしげる。


「……君がいるから、俺は頑張れる」

「……えっ?」

「ありがとな。ツムギ」


 何と返していいかわからず、言葉を探していると──ギルターの顔が、ゆっくりと近づいてきた。


「……え」


 額に、あたたかい感触。


 優しい歌をつむいでいた唇が、そっと触れる。


「……おやすみ」


 固まったままのツムギを残して、ギルターは照れたように笑い、手を振ってテラスへ消えていった。


 しばらくすると、またあの優しい歌が、かすかに海の方から聞こえてくる。


 ──なぜだかわからない。


 けれど、ツムギの目から、涙が一粒こぼれた。


「くぅん?」


 眠そうなミルゥが、心配そうに体をつつく。


 涙は理由もわからないまま、次から次へと溢れてくる。

 ツムギは、綿毛に顔をうずめた。


 そのまま声を押し殺して、泣く。


 あの優しい歌を邪魔しないように。

 ツムギは、しばらくのあいだ、静かに泣いていた。


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