竜人の使命
そんな幸せな日々の、夜更け。
ふと夜中に目を覚ましたツムギは、耳を澄ませた。
窓の外から、歌声が聞こえてくる。
……歌……。
そういえば、ここに来る前も聞いた気がする。
「なんだろうねぇ、ミルゥ」
ミルゥは眠そうにしながらも、ツムギを乗せてくれた。
テラスへ出ると、浜辺に人影が見える。
海が、ぼんやりと光を放っていた。
波打ち際に立っているのは──ギルターだ。
(この歌、ギルターが……?)
ツムギは、息をひそめて耳を澄ませる。
低くて、優しくて、澄んだ歌声。
言葉はなく、旋律だけが夜の海に溶けていく。
背を向けているため表情は見えない。
けれど、その手元が淡く光っている気がした。
ツムギは息を呑み、後ろ姿を見つめながら、ただ歌に身を委ねる。
──やがて。
すう、と歌が途切れた。
歌い終えたギルターが、ふと振り返る。
「……ツムギ?」
「あ、」
驚いた顔でこちらへ駆け寄ってくる。
「どうした?何かあったか?」
「あ、えっと……なんとなく起きちゃって……」
ツムギはうまく言葉を探せないまま続けた。
「すごく綺麗な歌だねぇ……。ギルターも、眠れなくて歌ってたの?」
ギルターは静かに首を振る。
「……竜人はもともと眠らないんだ。疲れたら、うとうとすることもあるけどな」
「えっ……そうなの?」
ツムギは、ぱちぱちと目を瞬かせる。
ギルターは小さくうなずいた。
「前に、竜人は人間とほとんど変わらないって話したろ?でもな……一つだけ、大きな使命があるんだ」
「使命……?」
「天の神様からもらった使命だ。俺たちはそのためにこの海に遣わされた」
ギルターは、ほのかに光る海を見やる。
「このニライカナイの海には、死んだ人の魂が流れ着くんだ」
「え……」
ツムギは海へ視線を落とす。
「……魂?」
「海が光ってるだろ?」
ギルターが指差す。
海面のあちこちに、淡い光が浮かんでいる。
ツムギがうなずくと、ギルターは海へ入る。
その光のひとつを、そっと掬い上げた。
手のひらの中でゆらりと揺れる光が、ツムギの前に差し出される。
ツムギは息を呑む。
「……クラゲ?」
光は、クラゲの形をしていた。
ギルターが静かに言う。
「これが、人間の魂だ」
「え……っ」
思わず、ミルゥの上で身を引く。
ギルターはすぐに言葉を重ねた。
「大丈夫だ。怖くないぞ。何も害はない。こいつらはただ……ここにいるだけなんだ」
手の中の光るクラゲを、慈しむように見つめる。
「生きてるとさ。悲しいこととか、どうしようもないことがあるだろ?」
ツムギは黙ってうなずく。
「そうやって傷ついた魂を、俺たちの歌で慰める。すると、こいつらは安心して天に還っていくんだ」
「……」
「それで、また新しく生まれ変わって、この世界に降りてくる」
「……そうなんだ」
ツムギは、胸いっぱいに息を吸った。
すごい。
竜人──さまに、そんな役目があったなんて。
「たいせつな……お役目だねぇ」
言葉を絞り出すと、ギルターは照れくさそうに笑った。
「うん。だからな、竜人は夜に眠らなくても大丈夫なようにできてる。毎晩、こいつらのために歌うために」
「……知らなかった」
ツムギがミルゥとのんきに眠っている間。
ギルターは、ずっと歌っていたのだ。
「ゼータも歌ってるの?」
「もちろん。他の浜にも流れ着くからな。あいつもどこかで歌ってる」
「そっか……」
先ほどの澄んだ歌声を思い出す。
「ゼータの歌も聞いてみたいなぁ」
ギルターは笑う。
「あいつ、照れ屋だからな。聞かせてくれるかな」
「あはは……照れ屋って」
ツムギは、ギルターの手の中で揺れる光を見つめ、それからそっと顔を上げた。
「……あたしも、なにか手伝える?」
ギルターは優しく微笑んだ。
「ツムギはほんとに優しいな」
一拍おいて、続ける。
「俺たちの歌に合わせて、笛を吹く花嫁もいたけどさ。ツムギは、昼間俺のそばで笑っててくれたら、それで充分だぜ」
「……そっかぁ」
ツムギは小さく息を吐いた。
「もう少し……歌を聞いててもいい?」
「あぁ」
ギルターが再び歌い出す。
ギルターの手の中で揺れていた光のクラゲは、微かに震える。
やがてほどけるように形を失い、光の粒となって夜空へ吸い込まれていった。
「……綺麗」
「そうだろ」
ツムギはぽつりとつぶやく。
「こうやって優しい歌で消えていけるなら……なんだか、死ぬのも怖くないねぇ」
その言葉に、ギルターの表情がふっと揺れた。
泣き出しそうな──困ったような顔。
「……俺は、ツムギの魂を前にしたら、歌える自信はないな」
「えぇ〜。なんでぇ?歌ってよぉ」
ツムギはわざと明るく笑う。
ギルターはゆっくりと首を振った。
「……それは、次世代のチビたちに任せる」
一拍置いて続ける。
「ツムギは、俺より長く生きてくれ」
「……そっか。次世代の……」
そのために、ツムギは竜人の子を産まなければならないのだ。
この大切な使命を、途切れさせないために。
ツムギはうなずくと、眠たそうなミルゥの頭を撫でた。
「大切なお仕事を邪魔してごめんねぇ。そろそろ寝ます」
「うん」
ギルターは優しく笑う。
「ツムギは、よく眠って明日も元気に起きてくるのが、大事なお仕事だ」
片目をつむって付け加える。
「お部屋までお送りします。お姫さま」
ツムギはくすっと笑った。
「自分で戻れるよぉ。お仕事、続けてて」
「ちょっとだけ、サボる口実をくれよ」
「えぇ〜?」
部屋までの、ほんの十数メートル。
ギルターはツムギの手を取り、そっとエスコートしてくれる。
ミルゥからベッドへと降ろされ、毛布をかけられる。
ミルゥは、そそくさと上に乗って丸くなった。
「ありがとう」
ツムギはミルゥとギルターに向かって言った。
「……ツムギ」
「うん?」
真剣な声に、ツムギは首をかしげる。
「……君がいるから、俺は頑張れる」
「……えっ?」
「ありがとな。ツムギ」
何と返していいかわからず、言葉を探していると──ギルターの顔が、ゆっくりと近づいてきた。
「……え」
額に、あたたかい感触。
優しい歌をつむいでいた唇が、そっと触れる。
「……おやすみ」
固まったままのツムギを残して、ギルターは照れたように笑い、手を振ってテラスへ消えていった。
しばらくすると、またあの優しい歌が、かすかに海の方から聞こえてくる。
──なぜだかわからない。
けれど、ツムギの目から、涙が一粒こぼれた。
「くぅん?」
眠そうなミルゥが、心配そうに体をつつく。
涙は理由もわからないまま、次から次へと溢れてくる。
ツムギは、綿毛に顔をうずめた。
そのまま声を押し殺して、泣く。
あの優しい歌を邪魔しないように。
ツムギは、しばらくのあいだ、静かに泣いていた。




