ツムギの幸せ
「──あれ?」
果樹園でギルターたちと別れ、せっかくだからとミルゥと辺りを散歩をした。
お昼近くになって寝室に戻ったとき、ツムギは違和感に気づく。
部屋の出入口に、ベッドの脇、クローゼットなど。
いたるところに、手すりが付けられていた。
ベッド横のそれを指先でそっと撫でていると、ちょうどギルターが顔を出す。
「ねぇ、これって……」
「あぁ、付けてみた。ツムギ、立ったり座ったりするの、大変そうだったからな」
ツムギは目を見開いた。
「えっ……わざわざ?それこそ大変だったんじゃない?」
「んーん」
ギルターは気軽に首を横に振る。
「もともと切り出してあった木があったんだ。それを神気で、ちょちょいのちょいだぜ」
そう言って、片目をつむってみせる。
胸の奥が、きゅっとした。
嬉しいのに、申し訳ないような、複雑な気持ち。
「……ありがとう。すごく、嬉しい」
「おう!俺は料理できない分、こういうとこでポイント稼がないとな」
ギルターは冗談めかして言って、子どもみたいにニカっと笑う。
「他にも付けてほしい場所があったら言えよな!」
手を振りながら去っていく背中を見送り、ツムギは小さく息を吐いた。
(……やっぱり、あたし、あの人のことが好きだぁ……)
ミルゥの頭を撫でながら、ぽつりと呟く。
「ねぇ、ミルゥ。会ってまだ数日なのに、おかしいかな?」
「くぅーん?」
「あたし、こういうの初めてでさ。綺麗な生き物を見てドキドキすることはあったけど……それとは、違うんだよねぇ」
ミルゥは「よくわからない」と言うみたいに、小首をかしげた。
ツムギは思わず眉を下げる。
「えへへ、可愛いでちゅねぇ。そうだよねぇ、わかんないよねぇ」
ミルゥをワシャワシャと撫でながら考える。
「……となると、相談できそうな相手は──」
✳︎✳︎✳︎
部屋を出て、ミルゥと一緒に食堂へ向かう。
中では、ゼータが一人、黙々とテーブルを拭いていた。
ツムギがいつも座る椅子の横にも、手すりが付けられている。
胸の奥がじんと熱くなって、なんだか泣きたくなった。
……あたし、泣き虫になっちゃったのかなぁ。
我慢強い方だと思ってたんだけど。
「よいしょ、っと……」
手すりを掴み、ミルゥから椅子へ腰を下ろす。
ゼータは、その様子を目の端で見ていた。
ほんの少しだけ、表情が柔らいでいる。
そういう優しい顔をすると、本当にギルターそっくりだった。
──さてと。
「あのさ、ゼータ。相談があるんだけど……」
「そういうのは兄に言ってください」
即答だった。
ツムギは負けじと身を乗り出す。
「ギルターには言えない話なの……!」
「……なんです?」
聞く気はあるらしい。
ツムギはほっとして、声をひそめた。
「あのね、びっくりしないでね」
「もったいぶらず、さっさと言ってください」
息を吸って、思い切る。
「あたし……ギルターのこと、好きみたいなの」
「は?」
ゼータは珍しく口を開けたまま固まる。
ややあって、眉をひそめた。
「……知ってますが」
「えっ!知ってたの?!」
ツムギは驚いて叫ぶ。
「……知らなかったのは、お前だけだと思います」
「やだぁ!」
ツムギは両手で顔を覆う。
辺りを見回すと、足元のミルゥと目が合った。
「プスー」
鼻で息を吐かれた。
……ミルゥも知ってたの!?
さっきの「よくわからない」小首かしげは何だったんだぁ!
顔がどんどん熱くなる。
「じ、じゃあさ……ギルターって、好きな人とか、いるかなぁ?」
「はぁ?」
ゼータは呆れたように言う。
「……お前、自分の立場、わかってますか」
「えっ?」
きょとんとするツムギに、冷たい声が落ちる。
「花嫁ですよ」
「あっ……」
そうだった。
あたしは──ギルターの、花嫁。
それでも……不安は消えなかった。
「で、でもさ。“婚約してても好きな人は別にいる”とか……よくあるじゃん」
「兄は、どこからどう見てもお前のことが好きです」
きっぱりと言い切られる。
「一応言っておきますが、それもお前以外は全員知っています」
「えぇっ!?」
ツムギは再び叫ぶ。
ギルターが……あたしのことを?
あの、優しくて、カッコよくて、まぶしい人が。
「ほ、ほんとかなぁ……」
胸の奥で不安がさざめく。
あたし、なんにもできないのに。
イオリみたいにお淑やかでも、美人でもない。
おばあみたいに、強くも、カッコよくも、速くもないし……。
でも……。
確かにギルターは、「ツムギと一緒にいたい」と言ってくれた。
「子どもなんて産まなくてもいいから、一緒にいたい」と。
ツムギは、ふうっと息を吐く。
……カガリの目を通して見ただけのあたしの、どこを気に入ってくれたのかはわからないけれど。
それでもギルターは、あたしを花嫁に選んでくれた。
そして、いつも本当に優しくしてくれる。
それは──
あたしのことが、好きだから?
ゼータは何も言わず、黙ってツムギを見つめている。
ツムギはしばらくぼんやりしていたが、ふいに実感がこみ上げてきた。
「ほわぁぁ!え、あたし、ギルターと両想い……ってこと?ど、どうしよう……!」
ゼータは心底うんざりした目を向ける。
「くだらないラブコメディに、私を巻き込まないでください。料理の準備で忙しいので」
「あっ、そ、そうだよね。ごめん」
ツムギは手すりに掴まって立ち上がり、ミルゥに腰かける。
「……ゼータ、いつもほんとにありがとう。いろいろと」
「……別に。私が好きでやっていることですから。お前のためじゃありません」
にべもなく言われる。
「そっか!あたしのためじゃないのかぁ!」
ツムギは、ぱっと笑った。
「……なぜそこで喜ぶんですか」
ゼータは「もう完全に理解不能」というように首を振る。
ツムギは、まだ熱の残る頬をそっと押さえた。
ギルターと、両想い。
嬉しい。
「……ホントかなぁ……」
ギルターに会いたい。
さっき会ったばかりなのに、もう会いたい。
ゼータはそんなツムギを一瞥する。
「……そろそろ昼飯です。暇なら兄を呼んできてください。シチューだと言えば、すっ飛んでくるでしょう」
「えー、かわいい!」
ツムギは目を輝かせる。
「ギルター、シチュー好きなんだ」
ゼータは小さくうなずいた。
「オーケー、呼んでくる!行こう、ミルゥ!」
「くぅーん!」
✳︎✳︎✳︎
ミルゥに乗って、ツムギは元気よく駆け出す。
ギルター、どこかな。
会いたい。
部屋をノックしても返事がないので、外へ出る。
裏手の庭で、薪を積み上げている姿を見つけた。
「ギルター!」
嬉しくなって、ミルゥの上から手を振る。
ギルターはすぐに顔を上げ、目を細めた。
「どうした、お姫さま」
「ご飯だよ!シチューだって!」
「おっ!やったぜ!」
ニカっと笑うその顔に、ツムギはくらりとする。
まぶしい……。
絶対、世界一カッコいい。
どんな生き物よりも、綺麗で、素敵な──
あたしの、旦那さん。
「ほわぁ……」
「ん?どうした。大丈夫か?」
ギルターが近づいてくる。
「顔赤いぞ。熱あるか?」
おでこが、こつんと触れた。
「ほわぁ──!」
「おわっ」
ツムギの叫び声に、ギルターがのけぞる。
「びっくりした。大丈夫か?」
「ご、ごめん……」
恥ずかしくなって、慌てて弁明する。
「“叫ぶな”って、よく怒られるんだけどねぇ……つい……」
「ツムギは感情表現が豊かなんだな」
ギルターは優しく笑った。
「大丈夫だ。俺は、ツムギの可愛い叫び声も大好きだ」
「えぇ……」
……やっぱり、甘すぎる。
嬉しくて、くすぐったくて、どうしていいかわからない。
──けれど。
(こういうのが、“幸せ”……なのかなぁ)
海を見たり、生き物に触れたりするのとは、また違う幸せ。
✳︎✳︎✳︎
「うまっ!!」
ギルターが、シチューを頬張って子どものように笑う。
それを見て、ゼータもほんの少しだけ笑っている気がした。
ツムギも、つられて笑う。
──幸せ。
これが、あたしの幸せ。




