花嫁の新しい毎日
こうして、真珠宮での日々が始まった。
翌朝、ギルターが起こしに来る前に、ツムギは自然と目を覚ました。
天井のガラス窓から、やわらかな光が差し込んでいる。
ベッドの上の綿菓子に元気よく声をかける。
「おはよう、ミルゥ!」
「ぷぅーん……」
ミルゥはまだ眠たそうだ。
一日の始まりが待ち切れないなんて、どれくらいぶりだろう。
ミルゥに乗って洗面所へ行き、桶に溜められた水で顔を洗い、口をゆすぐ。
寝ぐせを直していると、後ろからひょっこりと端正な顔が現れた。
「ほわっ」
「あっ、ごめん」
ギルターが少し申し訳なさそうに首をすくめる。
「部屋にいなかったから、心配になってな。──寝れたか?」
「うん」
「なら、よかった」
ギルターが笑う。
ツムギも自然と笑顔を返した。
「おっと、忘れてた」
「ん?」
「おはよう、ツムギ」
「……おはよう、ギルター!」
✳︎✳︎✳︎
二人と一匹で食堂へ向かうと、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
朝食も相変わらず豪華だ。
ふかふかのパンがたくさん並び、色鮮やかなサラダ、スクランブルエッグにベーコン、フルーツまである。
ジュースのピッチャーも、色とりどりに並んでいる。
(……一体、何時から準備してるんだろぉ)
時計はないのに、そんな疑問が自然と浮かぶ。
そこへ、紅茶らしきポットを持ったゼータがキッチンから現れた。
「ゼータさん、おはよう!」
「おはようございます」
ゼータは静かにうなずく。
いつものように、ギルターがツムギを椅子に乗せながら聞く。
「ジュースどれにする?オレンジのか、黄色のか、赤いの……緑のもあるぞ」
「うーん、オレンジ!」
「おっ、俺もそれがいいと思ってた」
ギルターが笑って、オレンジ色のジュースを注いでくれる。
「ありがとう」
「どういたしましてだぜ」
ギルターが自分のジュースを注いで席に着くのを見て、ツムギはさっそくパンを一つ手に取る。
「いただきまぁす!——うわぁ、焼きたてホカホカじゃん!」
ソーセージの皿を持ってきたゼータが、パンにかぶりつくツムギをじろりと睨んだ。
「先にスープと野菜から食べなさい」
「あ、はぁい」
「おいゼータ!好きに食べさせてやれって」
ギルターが口を挟む。
ゼータはピシャリと「ダメです」と言う。
「人間は我々より体が弱いんですよ。きちんとスープで胃を温め、食物繊維から摂らないと血糖値も——」
「なにっ!それは大変だ」
ギルターが即座に手のひらを返し、スープのポットに手を伸ばす。
「ツムギ、スープからだ!」
「はぁい」
ツムギはくすくす笑って、ギルターからスープカップを受け取る。
とろりとした淡い黄色の液体から、ほっこり湯気が立っている。
スプーンで口に入れると、コーンポタージュのようなやさしい味だった。
小さなクルトンが浮かんでいて、食感も楽しい。
「美味しぃ……」
「サルマメキビのポタージュです。バターが味の決め手です」
ゼータが満足そうに言う。
ギルターもあっという間に飲み干してうなずいた。
「美味いな。ミルゥにもやろうぜ」
ギルターは再びポットからスープをすくう。
手をかざして冷まして(神気だ!)ミルゥの皿に入れてやる。
ミルゥは喜んでぴちゃぴちゃと舐め、口の周りを黄色く染めていた。
✳︎✳︎✳︎
「うーん、朝から食べ過ぎたかもぉ」
デザートのフルーツも平らげ、仕上げに紅茶のような、すっきりしたお茶を飲む。
ツムギは満足して息を吐いた。
「ごちそうさまです。木の実のパン、美味しいね!ハナグルミだっけ?」
「そうです。生地にもペーストをたっぷり練り込んでいます」
淡々と答えるゼータに、ツムギはにこっと微笑む。
「一人でこんなに作るの、大変じゃない?」
「別に大丈夫です」
即答だった。
「料理好きなんだもんな、ゼータ」
ギルターが歌うように言う。
「すごいなぁ。うちのお父さんなんか、ご飯を炊くのも出来ないんだよぉ」
「……う、もしかしたら、俺もできないかも」
ギルターは急に真剣な顔になる。
「──ツムギは、料理ができる男のほうが好きか?」
「えっ?」
ツムギは慌てて考える。
「えっとぉ……“料理ができるか”は、関係ないと思う」
その答えに、ギルターの顔がぱっと明るくなる。
「ギルターはあたしやミルゥにジュースとか注いでくれるし。優しいよねぇ」
「そっか。なら、よかっ——」
「──気が散るので、出て行ってもらえますか」
料理を片付けているゼータから、容赦ない声が飛んできた。
二人は顔を見合わせ、肩をすくめて笑った。
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「えっとさぁ」
ミルゥに揺られながら廊下に出て、ツムギは隣を歩くギルターを見上げた。
「満月の日まで、あたしは何したらいいんだろ?儀式の練習とか、お手伝いとか、お仕事とか」
「そりゃ、ツムギの好きなことをしてたらいいさ」
ギルターはさらりと言って笑う。
「向こうでは、いつも何してたんだ?」
「えっと……図鑑見たり」
「ズカンか。本だよな……無いな」
ギルターは腕を組んで「うーん」と考え込む。
「別に大丈夫だよぉ」
ツムギはあわてて手を振った。
「外に出られないから、なんとなく見てただけだし」
「ごめんな。他の本でよければ、持ってくるぜ」
「あ、本自体はあるのねぇ」
ツムギは目を見張る。
竜人さまも本とか読むんだぁ。
言葉は通じるけど、文字も同じなんだろうか。
「うん。ちょっと待ってろ」
ギルターはわざわざツムギを部屋まで送り届けてからまた出ていく。
しばらくして本の山を抱えて戻ってきた。
「ほわぁ。人間の本じゃん。結構あるねぇ」
ツムギは何冊か手に取って、声を上げる。
「昔の花嫁が持ってきたのとか、カガリが盗……拾ってきたやつとかだな。ここのはもう全部読んじまったから、やるよ」
「いいのぉ?」
「人間のこと知りたくて読んでただけだしな。──これとか、面白いぞ。女の子はこういうの好きなんだろ?」
ギルターが差し出したのは、少女漫画だった。
「えっ?」
ツムギは目を見開く。
「ギルター、これ読んだの?」
「なんかダメだったか?」
首をかしげるギルターに、ツムギは唇をとがらせる。
「女の子が読むやつだよぉ、これ」
「えっ、男は読んじゃダメだったか?悪い、人間のルール知らなくて……」
「ダメってことはないけどぉ……」
ページをぱらぱらめくる。
背景に花を背負った男が、女の子に甘い言葉を囁いている。
──可愛こちゃん。
──お姫さま。
ことあるごとに髪を撫でたりウインクしたり、キザ極まりない。
「……」
ツムギは、そっとギルターを見上げた。
「人間の恋のことは知らなかったからさ。結構、参考になったぜ」
……ギルターのキザの出どころが、なんとなく分かった気がした。
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「おっと、ゼータに食材のお遣いを頼まれてたんだ」
そう言って、ギルターは片手を上げて出ていく。
残されたツムギは、ベッドに腰かけて本をめくった。
ジャンルはさまざまだ。
古文で書かれた、ツムギには読めない本もある。
(こんな古いのに、綺麗だねぇ……)
きっと、これも“神気”のおかげなのだろう。
子ども向けの絵本もあった。
竜人との子のために、いつかの花嫁が持ち込んだのかもしれない。
「……あたしも、何か持ってきたらよかったねぇ」
それこそ、図鑑とか。
赤ちゃんと一緒に眺めたら楽しいし、ツムギのいた世界の勉強にもなったはずだ。
ぼーっと流されるまま来て、そこまで考えられなかった自分が、少し恥ずかしくなる。
ツムギはごろんと寝転がり、少女漫画を読み始めた。
(花嫁っていうか……普通に食べられるんだと思ってたしなぁ)
まさか、こんなふうに優しく迎えられるなんて、夢にも思わなかった。
漫画の中では、堅物の女の子がようやく陥落し、初めての恋に心を躍らせている。
ページをめくりながら、ツムギはぼんやり考えた。
(ギルターはお遣いかぁ……)
いまごろ、海で魚を採っているのかなぁ。
それか、畑で野菜の収穫かも。
この広い宮殿と島をたった二人で管理しているのだから、きっとやることは山ほどある。
(……あたしにも、何かやらせてくれたらいいのに)
ツムギはため息を吐く。
「一人で部屋にいると、余計なこと考えちゃうなぁ……」
そうぼやくと、足先がつん、と触れられた。
ツムギは瞬く間に笑顔になる。
「あはは、ごめんごめん。ミルゥがいるもんね。一人じゃないよねぇ」
「くぅーん」
ツムギはミルゥをわしゃわしゃ撫でる。
気づけば、本を読み始めてから結構な時間が経っていた。
朝あんなに食べたのに、少し小腹がすいている。
「食堂、行ってみる?」
「くぅーん!」
ミルゥは元気よく返事をして立ち上がった。




