竜と花嫁の初夜
ゼータに食堂を追い出された二人と一匹は、ツムギの寝室へ向かった。
ギルターの手にはランタンがある。
中に入っているのは炎ではない。
数匹の、光るホタルのような虫だった。
ぼんやりと揺れる淡い光を覗き込みながら、ツムギは言う。
「閉じ込めちゃって、かわいそうじゃない?」
「ツムギは優しいな」
ギルターは微笑む。
「中に、こいつらの好きな蜜を入れてあるんだ。朝になったら離してやるしな」
「そっかぁ。じゃあ、アルバイトみたいな感じだね」
「アルバイトってなんだ?」
ギルターが笑って聞き返したとき、ちょうど寝室の前に着いた。
部屋に入ったギルターが、貝殻のランプに手をかざす。
ライターもマッチも使わず、ふっと火が灯った。
「“すんごいパワー”だぁ」
ツムギがつぶやくと、ギルターは笑い声を上げる。
「少ししたら自然に消えるから、そのままで大丈夫だぞ。……ランタンも、覆いをかけて枕元に置いとくからな」
そう言いながらギルターはカーテンを閉める。
その後ろ姿を、ツムギはミルゥに腰かけたまま、ぼんやりと眺めていた。
広い背中。
長い手足。
ちょっと癖のある髪の毛。
(……後ろ姿だけでかっこいいって、どういうことだろぉ)
思わずため息が漏れる。
部屋には、貝殻のランプのほのかな光。
遠くから、海のざわめきが静かに響いている。
(──あれ?)
妙に雰囲気がよすぎて、ツムギの胸が変な音を立てた。
(もしかして今夜は……初夜、というやつでは?)
甲斐甲斐しく寝室の準備を整えるギルターを、あらためて見つめる。
自分は、この人の花嫁として連れてこられた。
ということは、いずれ——
ギルターの子どもを産むことになる。
(赤ちゃん……)
急に現実味を帯びた想像に、鼓動が早まる。
寝具を整え終えたギルターが、ベッドの横に立って振り返った。
「これでよし。足りないもんはないか?寒くねぇか?」
その声は気遣いに満ちていて、向けられた笑顔はどこまでも優しい。
ツムギはなぜだか泣きたくなった。
そんなことには気づかず、ギルターはベッドの端をぽんと叩く。
「ツムギ。ほら、早く来いよ」
「え、も、もう……?!」
心臓が口から飛び出しそうになる。
(ミ、ミルゥもいるのに……!)
「くぅーん?」
ミルゥがつぶらな瞳で見上げてくる。
「──ツムギ?」
「は、はいっ」
美しい青い瞳が──ギルターが近づいてくる。
(ど、どうしよう……!とりあえずミルゥには、お外に出てもらって……)
頭の中では色んな言葉がぐるぐる回るのに、声が出ない。
伸びてきたギルターの腕が、ミルゥからツムギをそっと抱き上げた。
そのまま、優しくベッドへ寝かされる。
「……ツムギ」
「……はいぃ……」
ツムギはぎゅっと目をつぶった。
カチンコチンに固まるツムギに、ギルターの声が優しく降ってくる。
「──落ち着かないのは分かるけどな。寝不足は身体に悪いぜ」
「……はい?」
思わず、目を瞬く。
ギルターはそのまま、ツムギの上に毛布をかけた。
「寝られなそうなら、あったかいミルクでも持ってこようか?」
「……」
完全に保護者ムーブだった。
ツムギの中で、期待が勢いよく別の方向へ転がり落ちていく。
頭の中がぐるぐるして、ついに言葉がこぼれた。
「あの、ギルター」
「ん?なんだ?」
「……一緒に寝ないの?」
毛布を整えていたギルターの動きが、ぴたりと止まる。
「……は?」
ツムギはどんどん声が小さくなる。
「……その。初夜的な」
「え?!」
ギルターはみるみる顔を赤くし、毛布を握ったまま完全に固まった。
「あ、ああ!し、初夜ね!」
やがて、もごもごと口を開く。
「えっとな……言ってなかったな。竜人は、特別な満月の夜に、子どもを作るんだ」
「え、あ、そ、そうなんだ?!」
ツムギの声が裏返る。
ギルターは真っ赤な顔のまま、こくこくとうなずいた。
「“始まりの海”っていう、特別な場所でな。婚礼の儀式をして……」
「“始まりの海”……で、儀式……」
ツムギはギルターの言葉をそのままなぞる。
「うん。だから、その……人間みたいな子どもの作り方はしないんだ」
「あ、そ、そうなんだ……」
普段はあんなにキザなくせに、ギルターは耳まで赤くして、完全にもごもごモードだった。
「その……そういうことを、しないわけじゃない。でもそれは、あくまで……愛を、深めるためであってだな……」
必死に言葉を選びながら説明を続けている。
「俺はぜんぜん嫌じゃないけど!まださすがに、早いっていうか……な?ふつう、もっとお互いのことをよく知ってから、だろ?」
「そ、そうだよねぇ……!」
二人とも、見事なまでにどもりまくっている。
ツムギは恥ずかしくて目を合わせられなかった。
「くぁ〜ん」
そのときミルゥが大きくあくびをして、二人はびくっと飛び上がる。
ギルターは耳まで真っ赤なまま、視線をそらして扉へ向かった。
「じ、じゃあ俺は出るわ。明日の朝、また迎えに来るからな。早く寝ろよ」
「あ、う、うん」
「何かあったら、その鈴で呼んでくれ」
ギルターの指先をたどると、枕元に小さなベルが置かれていた。
「遠くても、俺たちにはちゃんと聞こえるから」
「わ、わかった」
ツムギはぎこちなく何度も頷く。
「じゃ……。おやすみ、ツムギ」
「お、おやすみぃ……」
扉を閉める、その瞬間。
ギルターはほんの少しだけ振り返り、照れた笑みを残していった。
ツムギはミルゥと二人きりになる。
胸に手を当てて大きく息を吐き出した。
「ほわぁ……」
心臓がうるさいくらい鳴っていた。
(なんか今日……ずっとドキドキしてるなぁ)
ぼふっと枕に頭を沈め、天井のガラス窓を見上げる。
星が、夜空を埋め尽くしていた。
ツムギが暮らしていた村も、星はよく見えた。
けれど、これは比べものにならない。
星と星をなぞるように視線でつなぐ。
(星座……は、同じだねぇ……)
それでも、ここは確かに異世界なのだ。
ニライカナイ。
竜が守る、神々の世界。
(……これから、どうなるんだろう)
思考がゆっくりと巡る。
(満月の儀式って、何をするのかなぁ。あたし、ちゃんとできるのかなぁ……)
分からないことだらけだ。
それでも、ギルターの優しい笑顔と、「おやすみ」の余韻が胸に残っている。
不思議と心は落ち着いていた。
「くぅーん」
ミルゥが鼻先で、つんとつつく。
「そうだね。寝よう」
ツムギは笑って、ミルゥを撫でる。
ミルゥは当然のように、ベッドの上で丸くなった。
その温もりを感じながら、ツムギもいつの間にか深い眠りに落ちていった。




