宮殿の夜は更けて
宮殿の夜は、意外なほど静かだった。
ツムギはギルターに案内され、ミルゥと一緒にお風呂へ向かう。
思わず鼻歌がこぼれた。
「久々のお風呂、うれしーい」
ツムギの足では、一人で家の湯船に入れない。
だから実家ではずっと、部屋でタライに湯を張り、髪を洗って体を拭くだけだった。
それでも、部屋までお湯を運んでくれるお母さんには負担だったはずだ。
村は冬でも寒くないから、汗を流せれば十分──そう言い聞かせていたけれど、本当はずっとお湯に浸かりたかった。
「ほわぁっ!」
風呂場に着いた瞬間、ツムギは歓声を上げる。
昼間は入口しか見えなかったが、そこは露天風呂だった。
トーチの炎に、湯気がゆらゆらと照らされている。
「温泉、人間は好きだろ?」
ギルターがにやりと笑う。
「贅沢だねぇ!」
ツムギがにこにこしていると、ギルターがタオルと着替えを脱衣所に置いた。
「石けんとかは中にあるからな。……一人で入れるか?」
「入れるよぉ!」
ツムギは真っ赤になって言い切る。
ギルターは楽しそうに笑った。
「なにかあったら叫べよ。飛んでくるから」
「う、うん」
「なにもなくても、呼んでくれてもいいぜ」
ウインクを残して、ギルターは出ていく。
「キザすぎぃ……」
「くぅーん」
ミルゥが相槌を打つように鳴いた。
「一人って言っても、ミルゥがいるもんねぇ」
ツムギはいそいそと服を脱ぎ、手拭いで髪をまとめる。
「裸で座ってごめんねぇ」
「ふぅーん」
ミルゥに腰掛けて湯場へ入ると、もくもくと蒸気が立ちのぼった。
「ミルゥも身体洗う?お湯、熱くないかな?」
ツムギはミルゥから降り、湯船の縁に腰かける。
「よいしょ……っと」
桶で湯をすくい、温度を確かめる。
大丈夫そうだ。
ミルゥの足にそっとかけてやると、嫌がらない。
「フワフワにもかけていい?」
「くぅーん」
綿毛にお湯をかけると、見事に弾かれた。
「ありゃ。ま、いっかぁ」
そう呟いた瞬間、ミルゥが──
ドボン。
湯船に飛び込み、そのままぷかぷか浮かんだ。
その光景にツムギは笑い声を上げる。
「あはは!ヤギも温泉入るんだぁ。気持ちいい?」
ミルゥは、「ピスー」と鼻を鳴らす。
ツムギも体をお湯で流し、座ったまま湯船の石段をゆっくり下りる。
腰まで沈んだところで、思わず息がこぼれた。
「ほわぁ〜……極楽ぅ……」
「くぅーん」
ミルゥがまた相槌を打つ。
「寝ちゃいそうだねぇ……」
深く息を吐く。
ミルゥは湯に浮かんだまま、器用に犬かきで泳いでいた。
小さな尻尾が、ぴこぴこと揺れている。
「……ふふ」
ツムギはしばらくミルゥの尻尾とお湯を堪能した。
気づけばのぼせそうになって、慌ててお湯から上がる。
石けんで髪と体を洗い、桶で湯をすくって泡を流した。
「さっぱりしたぁ」
「くぅーん」
再びミルゥに乗せてもらい、脱衣所へ戻る。
「ミルゥがいると助かるねぇ。一家に一匹ほしいねぇ」
「くぅーん?」
そのミルゥは、ぷるぷるっと体を震わせて水滴を払っている。
ツムギはギルターが用意してくれたタオルで体を拭き、着替えに袖を通した。
「ドライヤー……は、さすがにないよねぇ」
寒くないし、このままでも大丈夫だろう。
肩にタオルをかけ、洗面台で、さっきまで着ていた下着を洗う。
洗濯はしてあげる、と言われていたけれど、さすがに下着は恥ずかしい。
目立たない場所に干して、歯を磨き、トイレも済ませる。
「ふぅ……」
一息ついて水をもらおうと食堂に寄ると、ゼータの姿はなかった。
代わりに、ギルターが一人で座っている。
何かの木の実をつまんでいたらしい。
ギルターはツムギに気づいて笑顔になる。
すぐに立ち上がってツムギをミルゥから椅子へ下ろしてくれた。
ミルゥはテーブルの下で横になる。
「風呂、大丈夫だったか?」
「すっごい気持ちよかったぁ」
「なら、よかった。……おっと、髪が濡れたままだな」
ギルターはツムギの首にかかったタオルを取ると、ごく自然な動作でツムギの髪に手を伸ばした。
「えっ?」
「ちゃんと乾かさないとな」
……優しい。
濡れた髪を包み、水気を吸わせる指先は、驚くほど丁寧だった。
「髪、綺麗な色してるよな」
歌うような、嬉しそうな声。
ツムギの胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
……こんなふうに扱われることに、慣れていない。
ツムギはとっさに口を開く。
「あのさ……さっきも言ったけど。そういうの、自分で出来るからぁ」
言ってから、しまったと思った。
少し、強い口調になってしまっていた。
ギルターの手が止まる。
指先の力が、わずかに抜けた。
「……わりぃ。嫌だったか」
頭をかき、気まずそうに視線を落とす。
その様子を見て、ツムギの胸に後悔の熱が一気に広がった。
「あっ……違うの。嫌とかじゃなくて……」
言葉がうまく出てこない。
そこへ、カゴを抱えたゼータが顔を出した。
「──女性の髪に、無遠慮に触るのは失礼ですよ」
「えっ!?そうなのか!」
ギルターが勢いよく顔を上げる。
「ごめん!え、俺、めっちゃ触ってたよな!?」
その本気の慌てっぷりに、ツムギは思わず吹き出した。
「……ほんとに、嫌じゃないよ。慣れてないだけで……」
小さく言うと、下がっていたギルターの眉がぴくっと動く。
「……ほんとか?」
「うん」
ツムギはちゃんとうなずいた。
「……じゃあ、もうちょっとだけ、触ってもいい?」
「……うん」
ギルターは一歩近づき、さっきよりもずっと慎重に、ツムギの髪を持ち上げてタオルに包む。
「……そういうことは、別の場所でやってくれませんかね」
芋を剥きながら、ゼータが心底うんざりした顔で言った。
二人は同時に赤くなった。




