7.フェロニアさん
「本当はね、連れてきたくなかったんです。でも他の守護獣が連れてくるべきだと言って…」
新たに通された広い部屋の中で、小さな声でフェロニアが話し始めた。
部屋の床いっぱいに広がる紺色に金糸の絨毯はまるで星空のようで、踏んだら申し訳なくなるほど綺麗だ。
こちらでお休みくださいと強制的に部屋に通された時に、女性の神官(だと思う。他の神官と同じ服を着ていた。因みに犬耳だった)に渡された服はとても肌触りの良い白色のワンピースで、ずっと触っていたいぐらいだ。
調度品はどれも綺麗に掃除されているがやはり劣化が見受けられる。大きなベッドは腰を掛けると盛大に軋む音がした。
さあ、とりあえず休むか。とふかふかの寝台に横になった途端に、フェロニアの独白だ。
閉じかけた瞼をもう一度開いて横を見ると、程よく弾むマットレスの上で、組んだ両腕の上に顎を載せているフェロニアが視界に入った。その膝立ちの体勢だと足が痛いだろう、と座らせるために一旦起き上がると、彼女はやんわりと手をレウィシアの頭の上に置いて制止する。
「帰りたいと一度も言いませんね?」
「ああ、確かに言ってないかも。でも帰っても誰もいないし。強いて言うなら、職場の人にサボりとか思われそうだなあ」
フェロニアが頭を撫でてくるので、つい気持ちよくて目を閉じそうになる。
連れてこられてからというものの、怒涛の時間だった。
「私、もう親居ないし他に身寄りもないからさあ…そういう点では私が選ばれて良かったのかも。まだ聖女だとか半信半疑だけど。そういや久しぶりにたくさんお喋りしたなあ…」
脳裏に映るのはたった一人で起きて、たった一人で寝る毎日。そこに余裕などなかった。
うとうとし始めて抑揚のない口調で告げれば、フェロニアが一瞬撫でる手を止めたあと、すぐに再開した。もう殆ど瞼は閉じていて、彼女が今どんな顔をしているかわからない。
「こんな時に、こんな国に呼んでしまって本当にごめんなさい。でも……ありがとう。貴方で本当によかった…」
フェロニアが言い終わる前に、レウィシアは眠りについてしまった。どうやら結構な疲労が溜まっていたようだ。
完全に寝息を立て始めた頃、漸く頭から手を離したフェロニアは起こさないようにゆっくりと静かに腰をあげ、それから窓辺へと移動した。朝からいろいろあって、もう少しで日が暮れる時間帯だ。夕暮れの日差しを避ける為に絞められたカーテンを少し開けると、橙色の光が差し込んできた。
「だから、呼ぶべきではないと言ったのです」
強い口調だ。誰かを諫めるような、怒りを少し含んでいる。
レウィシアしかいない部屋で、唯一の話し相手は夢の中。当然返事は無いはずだが、どこからかフェロニアの耳に声が届いてきた。
―――そう言って何年経ちました?空白の間、何が変わりましたか?
フェロニアの声に似た、透き通った女性の声は何度も反響して部屋中に響く。どこから声がしているのかは特定できない。この声は世界の道から話しかけているのだ、かつてフェロニアがレウィシアにしたように。
―――瘴気は広がり続けています。聖女無しではどうにもできない所まで、大地は病んでしまった。だからあなたも仕方なく彼女を呼んだのでしょう?
―――いやだいやだと、貴方は言うばかり。やっと聖女を連れてきたと思えば、次は我々に文句を言うのですね。
説き伏せるような女性の声に続いて、今度は男性の声が反響しながら聞こえる。
嫌味ともとれる言葉に思わず大きな声を出しそうになるが、レウィシアが眠りについたばかりだと思い出して咄嗟に口を噤んだ。
―――貴方の国なのですよ、フェロニア。貴方がどうにかしないと。愛想を尽かしたところで何も変わりませんし、我々もどうしようもありません。
「わかっています。しかし、聖女に嫌われたら我々はどうすればいいのですか」
フェロニアは遠い昔の記憶を思い出し、俯いて顔を覆った。涙が出そうなほど辛くて苦しいのに、涙腺などとうの昔に枯れ果ててしまったのか。
夜が来る。世界の道を通じて自由にお喋りしていた守護獣達は、もうそこには居ないようだ。
最後の夕日の光が地平線の彼方へと消えていく頃、漸くフェロニアは顔を上げて僅かに開いていたカーテンを閉じた。