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30.ただ悔しい


「いったい何の真似だ、アドロ」

「何の話だ?」

「ふざけるな、先ほどの事だ!」

「見当もつかんな」


王城の広い廊下を歩く殿下の足取りに一切の迷いはない。彼は大股で歩いているだけなのに、小走りで後を追わなければあっという間に距離を離されてしまいそうだ。

花聖女が居た部屋を出てからずっと、彼は一目散に何処かへと向かっている。途中で通り過ぎる貴族に話しかけられようが目もくれず、後ろからシレンが何度話しかけても嘯くばかりだ。

どれくらい歩いただろうか。この追いかけっこにも似た道中は王城の入り口から見て左手にある庭園に繋がる回廊から始まり、今では入り口の右手側にある只管長くて広い廊下を歩いているではないか。

彼の歩幅は狭まることなく、シレンは長い道のりをずっと駆け足気味に追いかける羽目になった。


「……体を鍛えたらどうだ?」

「お、おまえな…!」


何度も呼び掛けるうちに漸く殿下は立ち止まり、予備動作も無く突然シレンを振り返った。

喉からぜえぜえと酷い呼吸を漏らすシレンは、堪らず両ひざに手を置いて前のめりになる。乱れた呼吸を整えるのに暫く時間を掛け、やっとの思いで顔を上げるとすぐ目の前に殿下の手が差し出されていた。


「なんだ、この手は」

「なんだ、じゃない。自分が何を持っているのか忘れているのか?」


言われてそういえば、と思い出す。握りしめられた右手からフォーリアの葉が覗いていた。

強く握ってしまった為に萎れてしまったかもしれないが、確認する間もなく殿下の手によって葉が奪われる。笹の葉のように細くて深い緑色の葉は、そのまま不意に横から現れた別の誰かに手渡された。

よく見たらここは厨房の扉のすぐ目の前ではないか。彼はフォーリアの葉を厨房に居た給仕係りに渡す為だけにここまで歩いてきた。そんなの側近に任せればいいだろう、と思わずシレンは呆れる。


「これで茶を淹れて、国王に出してくれ」

「かしこまりました」


端的な命令に異論を唱えず給仕が頷く。その直後にまた何処かへと歩き始めたので思わずシレンは頭を抱えた。迅速果断、彼の行動の速さには舌を巻くが追いつく側の人の気持ちにもなってほしい。


「今度はどこに行くんだ」

「そうだな…茶室で良いか。そこで話そう」

「まさか…」

「城をぐるっと回るだけだ。遠い距離じゃない」


この大きな城は往復するだけで運動するのに十分な距離がある。彼の謎に歩き回る行動について責めようとしたが、直前でシレンは思い当たることがあり口を閉じた。

わざわざ花聖女達が帰る時間を稼いだのか。この男、本当に何を考えているのかわからない。

王族としてヴァルカン神に仕える身でありながら、わざわざ目の上の瘤になりかねない存在を庇うなんて。これは本格的に忠告しなければいけないな、と自身もヴァルカン神に仕えるシレンは心に決めた。

つかつかと革靴の音を勢いよく響かせながら歩いて、漸く既に誰も居なくなった茶室へと戻って来る。

部屋の中に入るなり、シレンは疲労困憊した身を癒すために思わずソファに倒れこんだ。


「いくら魔術師とは言え、体力の無さが致命的だな」

「お、お前みたいな筋肉馬鹿と一緒にするな。こっちは卓上業務が主なんだぞ」


全身の力を抜いて柔らかいソファに身を沈めると、忽ち疲れが吹き飛ぶ気がした。

満足したシレンは体を起き上がらせ、座る気配もなくソファから数歩離れた所で佇む殿下を睨みつける。

彼の威風堂々とした佇まいが少し癇に障ったのだ。


「で、どういうつもりなんだ?」


思いがけない運動によって額に滲む汗を袖で拭いながらもう一度睨め付けるが、殿下は変わらず腕を組んだまま微動だにしない。


「正直に言うぞ」


きっぱりと殿下が言う。その声に少しの誤魔化しもはぐらかしもない、いつものように朗々とした声だ。真剣な眼差しがシレンを射抜き、ごくり、と思わず喉が鳴った。


「わからん」


彼は至って真面目だ。それは眼差しが物語っている。

お茶らけても居ないし、惑わすつもりでも、取り繕っているようにも見えない。


「わ、わからん…?」

「ああ、わからん」


つい小首を傾げながら鸚鵡返しにすれば、殿下は深く息を吐きながらやっとソファに座った。

開いた足に腕を置き、両手で頬杖を付いて顎を載せる。その様子にシレンもちゃんと座り直し、真面目に話を聞く体勢になった。


「俺の信仰は変わらずヴァルカン神の信徒だし、守護獣が国をほったらかしにした事実には非常に腹が立つし、そもそも花聖女自体会ってみたら心底気に食わなかった」

「あ、ああ…」


庇う要素が全く無いじゃないか。いや、だからこそ庇ってしまった理由が本人もわからなくて困惑しているのか。本心を曝け出し始めた殿下はそのまま言葉続けた。


「花聖女はなんか汚いし不細工ですぐ手が出る暴力女だし不敬だし珍獣だしドブだし、正直できれば関わりたくないと思っている」

「酷いなそれは」


いや、本当に酷い言い様だ。まだ真面に花聖女と会話したことが無いシレンは先ほどまでこの部屋に

いた布を被った彼女を思い出す。あの白い布の下にとてつもない化け物でも潜んでいるのか。


「マグナスは良い奴だ。あんな花聖女を信仰してしまったら彼の格が下がってしまう。悪い芽は早めに摘むべきだと思うし、国王の体が治ったら本格的に葬ってやりたい」

「な、なら処分が妥当ではないか?」


そこまで言うならなぜそうしないのか。今の所聞いていて良い方向に向かうとは思えない。

悩む要素など一つもないと自白している事に彼は気づいているのだろうか。


「だが、処分すべきではないと思う」

「本気か!?まさか、その花聖女とやらに情でも湧いたのか!?」

「違う!今の話を聞いて何故そうなる!」

「いやおかしいだろう!逆に今の話で何故処分しないという決断になるのだ!」


思わず頭を掻き毟りながら叫ぶように言えば、殿下は五月蠅いと言いたげに眉間に寄せられた皺を指で解し始めた。


「別に情が湧いたから処分しないという決断になったわけではない。これは国王の考えだが、良く考えてみてくれ」


殿下は荒ぶるシレンを宥める様に落ち着いた声を出した。


「もし花聖女一人で浄化が出来るなら、どれだけの国民が救われるか。今までヴァルカン教が対処してきた瘴気の浄化を、あいつ一人でできるとなればかなりの労力が減る。その代わり今までの努力が無駄になるが、過去を見るか未来を見るか。父上は、国王は未来を見ておいでだ」

「そ、そんな…」


殿下の言葉に両手の先の方から血の気が引く感覚がした。本気で言っているのか、と冷たくなった指先が瞬時に沸騰しそうな程に熱く感じる。


「どれだけ、どれだけ俺が瘴気の浄化に心血を注いだと思っている!俺だけではない、国王もお前も民も!一切浄化の術を持たない我々が今までどれだけ四苦八苦して汚染された大地を処分してきたと思っている!」

「落ち着け、シレン」

「これが落ち着いてなど居られるものか!おまえは何とも思わないのか!?ヴァルカン教が何の集まりでできているのか知らない訳ないだろう!?今まで瘴気の被害にあった者達の集まりだぞ!ヴァルカン神など、存在しない神を五千年間もでっち上げてまで心の傷を癒してきたというのに、」

「シレン!!」


バン、と大きな音が茶室に響いた。殿下が目の前のテーブルを強く叩いたのだ。証拠にテーブルには縦に大きな罅が入ってしまっている。買い替えなければ、と咄嗟に場違いな事が思い浮かんだ殿下は内心己に嘲笑した。


「声がでかい。外に聞かれたらどうする」

「……すまない」


シレンが思い余って喋ったことは王侯貴族、それも王族に近しい者しか知らない事だった。

殿下の言葉に少し頭が冷えたのか、シレンは潔く謝罪して頭を抱えて項垂れる。

彼の頭を覆った腕の袖口から黒い痣が顔を出したのを見て、思わず殿下は目を逸らした。

シレンは魔術師として瘴気に汚染された大地の対処へと何度も派遣されている。

魔術師は己の魔力で体を保護しながら瘴気に汚染された大地に赴き、魔法で使い物にならなくなった大地を搔き集め、そして誰も寄り付かなくなった国を隔てる山脈の凍土へと捨てて対処するのだ。

しかし瘴気に打ち勝つ力は花聖女による浄化の魔法しかない。いくら魔力で体を保護していると言え、全く影響が無いというわけではなかった。濃度の高い瘴気の大地へ赴く度に体内に瘴気が蓄積され、やがて全身に黒い痣が広がり死に至る。

魔力が高ければ高い程瘴気の進行は遅くなる。しかし、それも時間の問題だ。こうやって今まで瘴気の為に犠牲になった魔術師がどれだけいるか。


「国王は過去を無かったものにするつもりはない、ただ犠牲を減らしたいだけだ」


綺麗事を言うな、とシレンは項垂れたまま一言呟いた。



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