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閑話2.思い出話その1

マグナス・アビス。15を迎えたばかりの青年だ。

今朝から礼拝堂の壁に大きく空いた穴の上にたった一人で板を打ち付けている理由は、貧乏過ぎて補修業者を雇う金も無ければ協力してくれる人員も足らないからだ。

まだ成長途中の彼は動きに合わせて白い翼を揺らしながら、額から滴る汗を拭った。

薄汚いシャツに薄茶のつなぎ服。これが彼が唯一持つ私服であり作業着だった。

城下街の商人から譲ってもらった腐食したベニヤ板を一枚拾い上げ、もう一度壁に当ててから釘を打ち付ける。カビの臭いが鼻を掠めるが、これでも穴を塞いだ方がマシだ。

もうすぐ冬が来る。

隙間風をできるだけ塞がないと、最近体調を崩し寝込んでばかりの大神官がまた寒さで倒れてしまう。

今日は調子が良いからと畑に居るが、油断すればまた倒れ、もう二度と起きてこなくなるかもしれない。父と崇める人を生かすため、彼はもう一度腕を振って釘を板に打ち付けた。

ガン、と無機質な音が穴だらけの荒廃した教会に響く。

しかしそれはマグナスが釘を打ったせいではなかった為、彼は音のした方向―――入口の大きな両開きの扉を注視した。顔に付けている眼鏡は無数の傷と罅割れが目立っていて、その機能を果たしているのか不思議に思うほど劣化している。現に入り口から差し込む光も相まって入り口に何が居るのか、目を凝らしてようやく影がぼんやりと見えるぐらいだった。

そこには紺色の礼服を身に纏った、如何にもやんごとなき地位に居そうな男が二人の恰幅の良い男性を連れて呆然と立っていた。

信者でもなければ礼拝しに来たわけでも無さそうだ。誰だろう、とマグナスは金槌を持ったまま珍しい訪問者を眺めていると、恰幅のいい男が一人、派手なローブを翻しながらずかずかと足音荒く礼拝堂の中へと入ってきた。


「なんて荒れようだ!ご覧ください、殿下!こんな建物と言えるか微妙なものを王城の近くに置いたら威信に関わりますぞ!」


殿下、と聞いてすぐにマグナスはその場に跪いた。礼拝者が座って祈れるように置かれた、片足の捥げた長椅子が丁度マグナスの姿を隠す。

今までこの教会に王族が訪れたことは無かった。城のすぐ目と鼻の先にありながら存在を忘れ去られたこの教会に、いったい何の用なのか。

マグナスの胸中に嫌な予感が過る。


「確かに、これでは教会として機能できないだろう。倒壊の恐れもあるし取り壊しは決定だな。大神官はどこだ?少し話をしたい」

「では、人を探してきましょう。殿下は暫くここでお待ちください」


男が一人、礼拝堂の奥へと続く扉へと歩いて行った。向こうもマグナスの存在に気づいていないようだ。出るべきか迷ったマグナスは、悟られないように呼吸を抑える。

殿下と呼ばれた青年が礼拝堂へと足を踏み入れた。彼は銀色の短い髪を軽く搔き上げながら天井を見る。

そこにも穴が空いていた。そこだけではなく、至る所に空いていることに殿下が気づく。

床に敷き詰められたタイルは剥がれ、長椅子も古く足が折れ、祭壇には木製の簡素な書見台が置かれているが半分折れていて聖書を置くことが出来ない状態だ。


「…カビ臭いな」


ぽつり、と礼拝堂をくまなく見渡していた殿下が鼻を鳴らしながら呟いた。

その言葉にマグナスが思わず体を震わせる。同時に奇跡的に隠れていた背中の翼が椅子の影から顔を出してしまい、とうとう殿下の目に映ってしまった。


「そこの者、出てこい」

「………ご挨拶が遅れて、申し訳ありません」


渋々といった感じ崩れた長椅子に手を置きながら立ち上がる。気まずそうに言えば、もう一人の恰幅の良い男がマグナスの事を指差しながら声を荒立て始めた。


「何者だ!薄汚い身なりをして…見た所乞食のようだな!?ここは王の管理下に置かれている土地だぞ!どこから忍び込んだ!」

「落ち着かれよ、叔父上。ただの乞食が主城門を越えられるものか」


主城門とは王城と城下街を隔てる巨大な門の事だ。門を挟む側塔や城壁の上には警護の兵士が昼夜問わず常に見張りをしているし、門に繋がる城壁を登ろうにも即座に見つかって落とされてしまう。

その背中に生える翼を使っても同じことだ。

戦闘経験も無さそうな、それどころか服の上からでも栄養不足が見受けられる程痩せている少年にどうやって忍び込めというのだ。

諭された叔父上と呼ばれた男―――ドールスがそれでも不満そうに尚言い募ろうとしたが、それより先に殿下がマグナスの方へと歩み寄った。


「お前、名は?この教会の者か?」

「マグナス・アビスと申します。この教会で神官として育ちました」

「孤児の者か…他に何人この教会に仕えている?」

「はい、私と大神官と孤児を含め…6人おります」


6人、と殿下が驚きに満ちた顔で呟く。その驚きは数の少なさか、それともこの廃れた教会に6人も住んでいるのか、どちらから来ているのか。


「…食事はどうしている?」

「外庭の畑で作物を育てております。大神官は今、畑で作物の収穫をしているはずです」

「そうか。叔父上、畑に行って呼んできてくれないか」

「私が、ですか?大神官を探しに行った公爵がそろそろ戻って来るでしょう」

「……では私自ら足を運ぼう」

「いえいえいえ、殿下!ここでお待ちください!今すぐ呼んでまいりますので!」


慌てたドールス卿がゆとりのあるローブの下からでもわかるほどでっぷりと飛び出た腹を揺らしながら駆け足で畑のある外庭へと向かっていった。外庭は入り口から教会の裏手へと回らないといけないので、少し距離がある。

よほど怠けた生活をしていたのか、あの体では畑に着く頃には根を上げるだろう。ドールスの足取りを目で追っていたマグナスだが、殿下の気を取り直すような声に意識を戻した。


「さて、邪魔者は居なくなったな。マグナスよ、歳はいくつだ?」

「15になったばかりです」

「そうか。俺と同じだ」


毅然とした態度から少し砕けた口調になった殿下は崩れた長椅子の背もたれに腰を寄りかからせ、腕を組んだ。

紫紺の瞳が見定めるようにマグナスを射抜く。居心地の悪さに思わず自分の左腕を右手で掴んだ。


「……おまえは花聖女を信仰しているのか?」

「一応は。私にはそれしか御座いませんので」

「この教会で育ったから信仰せねばならない、という事も無いぞ。ヴァルカン神に信仰を捧げたほうが今より良い暮らしができる。何よりこのままではまともに生きることもできんだろう」

「お言葉ですが。私にはこの教会しかないのです」


不躾にも異教を勧める殿下に少し腹が立った。

マグナスにとってこの教会は生きた証拠だった。どれだけ貧しくても大神官とこの教会で育った孤児仲間がいる。どれだけ古くても、住み心地が悪くても、飢えても、この教会から離れる事は考える事が出来なかった。このままこの教会で花聖女に祈りを捧げながら死ぬのも悪くない。養父が今まで大切に守り抜いた、この教会で。


「変わった奴だな。こんな状況で何になるというんだ」

「…ふふ、」


心底呆れたように言う殿下に、思わず笑いが込み上げてくる。

そうか、この同い年の青年は知らないんだ。恵まれた環境で生きてきた故に、生きる大変さも失う事への恐怖も知らない。この世の何にも代え難い大切なものを守る喜びすら知らない。

寝る前に聞く養父の御伽噺に胸を高鳴らせることも、本当だと信じていた御伽噺が嘘に塗れた作り話だと気づいた瞬間の落胆も、作物が実り飢えを免れたことに対する安堵も、皆と共に花聖女に祈りを捧げる心の凪も貧しいマグナスは知っているというのに。

きっと彼は知らないんだ。


「果たして恵まれているのは私か貴方か、どちらでしょうね?」

「……どういう意味だ?」

「失礼しました。どれだけ貧しくても、私にとってこの教会が大切なのです。それをご理解いただけますか」


両手を胸の前で合わせて祈るように言えば、殿下は無言でその様子を眺めた。

返事は来ない。閉じられた瞼の奥で今殿下はどんな顔をしているのかと想像していると、先ほど礼拝堂の奥の扉を進んでいった男が再び足音荒く戻ってきた。


「殿下、大神官は居られないようで…やや、何者だ!こんな所に乞食が住み着いていたのか!」

「…大神官は外の畑に居るようだ。そのうち叔父上が呼び戻してくる」


男はマグナスの姿を見るや否やドールスと同じように指を差して声を荒げると、殿下は深い溜め息を吐きながら寄りかかっていた長椅子から腰を浮かせた。

男が大神官を探している間も見受けた建物の劣化を事細かく殿下に報告し始めるが、聞いているのかいないのか殿下は祈りの姿勢のままでいるマグナスから視線を外さない。

天井に空いた無数の穴の隙間から、所々太陽の光が差し込んでいる。

最初見た時は眼中にもなかったが、木漏れ日のように降り注ぐ光がマグナスの金糸の髪を照らしなんとも神聖な情景を作り出していた。

いつ崩れてもおかしくない教会で、背に生えた白い翼は薄汚れその全身に襤褸を纏っているというのに、薄く微笑みながら祈りを捧げる姿のなんと美しい事か。まるで腕利きの画家が描いた絵画のようだ。

己とは正反対の暮らしをしているというのに、己よりも輝きに満ち溢れている。殿下は自嘲気味に軽く笑いを溢すと、組んでいた腕を解いてまだ教会の報告をしている男の言葉を遮った。


「辞めだ」

「ですので、このままでしたら石壁が更に崩れ雨風が…は?」

「必要としている者がここにいる。それで十分だろう」

「な、何を仰いますか!」

「続きは大神官も含めて話さねばならんな。マグナス、お前も来い」

「あ、はい」


殿下の突然の心変わりに祈りを辞めて戸惑っていると、しかし遅いな、と殿下が呟く。

それから一分も経たないうちに畑に向かったドールスが全身から汗を吹き出しながら息も絶え絶えに走ってきた。


「殿下、大神官が畑で倒れています!」

「そんな!」


寝たきりが続いた状態だというのに、調子が良いからと体を急に動かすからだ。

ドールスの言葉に瞬時に青ざめたマグナスは悲鳴にも似た声を上げて咄嗟に畑へと走り出した。後ろから殿下も着いてくる気配がするが、構って等居られない。

大丈夫、と本人が言うから安心していた。もっと無理やり安静にさせていれば良かった。

そんな後悔が脳内をぐるぐると廻る。

マグナスは視界に涙を滲ませながらがむしゃらに畑へと走った。





「殿下との出会いはこんな感じですね」

「ほえー、前大神官は無事だったんですか?」

「一応意識は戻りました。ですがその後寝台から出る事はありませんでしたね」

「残念です…」

「ええ。私はあの時前大神官が倒れた事を後悔しましたが、悔やむだけではなく乗り越える事を考えました。その後殿下が支えてくれたこともあり、私も教会も立ち直る事ができたのですよ」

「へっ。殿下の話はどーーーーでもいいんですよ。もっとマグナスさんの話が聞きたいんです」


ぼりぼりとお菓子を貪りながら言うレウィシアの口元には、お菓子の食べかすが付いていた。

王城を尋ねた日から三日目、浄化の資料を読み漁っている間の休憩時間での小話である。



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