21.柴様
ついに、ここまで来た。
目の前に聳える荘厳な扉、そして立ち並ぶ銀色の甲冑を見に纏った兵士。
幾重にも連なる窓から差し込む夕日を反射して鈍色に光る兜の下には、猫耳や犬耳などきゅーとできゃわいいお耳が生えているのだろう。
レウィシアは周囲の厳格な空気に圧倒され、殿下の後ろで少し足踏みした。
ここまで本当に長かった。なるべく人の視線に触れないように警戒しながら抜き足差し足で長い道を歩き、永遠かと思われるような長い時間を掛けて螺旋階段を昇ったりなど過酷な道程を歩んできたが敢えて割愛しておく。
ただ単純に運動不足が堪えただけだ。
「この先に国王陛下が療養されておられる。メイドは廊下で待機するように。いいか、小煩く騒ぐんじゃないぞ。」
「あの、殿下」
殿下の念押しに面々が神妙に頷いた。ただ一人、フェロニアを除いて。
扉の前に立つ兵士に開扉の合図を送ろうとした殿下を声で制止して、どうしたのかと注目する皆の視線を一身に受けながら、少し不安そうな声音で続ける。
「国王陛下は…話もできない状態でしょうか」
「どうだろうな。昼頃にお伺いした時は起き上がるのも苦労されていたが、会話はできたぞ」
一向に良くならず悪化しているのなら会話は難しいかもしれない。
未だ知らない瘴気の恐ろしさに、レウィシアは得体の知れないものに対する不安が募る。
「浄化の前にお話ししなければと思っています」
「……可能ならば構わん」
フェロニアの頼み事に少し思案した後、殿下は兵士に手を振って開扉の合図を送った。
途端に開かれる両開きの扉、そして見た目通りの重苦しさを感じさせる、蝶番の低くて太い軋む音がレウィシアの体を震わせる。
解放された部屋は香の匂いが立ち込め、まだ部屋の外に居るレウィシア達の鼻腔を擽った。
天蓋付き寝台の近くにはいざという時に国王を護れるよう剣を帯刀した兵士が五人ほど並び、王のすぐ傍に側近が二名、此方を見て佇んでいる。
件の国王は部屋の奥に置かれた大きな寝台の中に居るようだ。
「おお……アドロガンティスよ。また来たのか、おまえは」
「調子はいかがですか、父上」
「…うむ。悪くは無いぞ…」
その姿は天蓋から垂れ下がる白いカーテンによって影しか見えないが、非常に弱々しい声だ。
しかしアドロガンティスって誰だ。気を利かせたマグナスが殿下の名前だとこっそり耳打ちしてくれた。
無駄に豪勢な名前だな、とだけ感想を持っておく。
「国王陛下、此方は例の守護獣です」
「お初目にかかります、国王陛下」
殿下に促され入室すると、フェロニアが先ず国王陛下の元へ近づいた。寝台より少し離れた所で立ち止まり、胸に手を当てて頭を下げる。
倣った方が良いかと足を踏み出そうとすると、マグナスが布越しに肩を掴んで制止した。ふむ、こういう時は殿下に呼ばれるまで待った方が良いのか。
貴族社会のマナーとは難しい。
「其方が、報告にあった守護獣とやらか。まさか本当に存在するとは…」
「守護獣の身でありながらその責を果たさずにいたこと、誠に申し訳なく思います」
「ううむ…其方にも事情があるのだろう。話を聞かねば何とも言えぬ」
弱々しい声のまま、影が身動ぎする。慌てて殿下が国王の元へ駆け寄り、その体を支えているのを見て漸く国王が立ち上がろうとしているのに気づいた。
起き上がるのも大変だと言うのに、無理をしては体に障る。しかし国王は息子の手を借りながら、カーテンの向こう側から姿を現した。
真っ白な寝間着の下から覗く手足は骨が浮き出ているのでは思うほど細く、殿下に支えられて尚立っているのも辛いのかプルプルと全身を小刻みに震わせている。
頬こけた顔は血の気が完全に引いていて真っ青だ。どうか、無理して立たずに座って安静にしててくれ。そんな思いを知ってか知らずか、側近がすぐに座面と背面に柔らかなクッションが施された肘掛椅子を傍に持って来る。
ゆっくりと腰を掛け、ようやく体を休めた国王は、威厳を何処かへとそっくりそのまま置いてきてしまったように覇気が無い。
「(……ん?なんかどこかで見たような)」
腰を落ち着かせた国王を改めて見る。何度見ても病人という印象だが、レウィシアにはそれ以上に既視感があった。
三角にピンと立った、真っ黒だが内側は茶色な犬耳。今では艶が無くなってしまっているが、髪の毛は殿下と反対で真っ黒だ。そして極めつけに、眉毛。
くりんと丸まった茶色の眉は、所謂麿眉で。
瞬時に元の世界に居た時の近所の犬が脳裏に浮かんだ。
「(し、柴犬…!しかも黒柴…!)」
此方からは尻尾は見えないが、もし尻尾が生えていたらやはりくりんと丸まっているのだろうか。
近所の柴犬が散歩中に電柱の周りをふんふんと嗅いでいる情景を思い出して懐古していると、ゴホン!と殿下の咳払いが聞こえた。
睨むような視線に我に返る。なぜ場違いな事を考えているとわかったのだろうか。顔などほとんど布で隠れているし絶対に変顔してもバレないと思っていたのに。
「…このような状態で申し訳ない」
「いえ、それは私にも責任がございます。どうかお話を聞いていただけますか。国王陛下、そして殿下。私が何故、長年花聖女を連れてこなかったのか。その理由を。」
項垂れながら言う国王に、フェロニアが一歩ずつ近づいて国王の膝元に跪いた。
近くの側近や壁際に待機していた兵士が警戒し柄に手を伸ばしたが、国王が手を翳して警戒を解くよう命ずる。
「聞かせてもらえるか。我々の罪を」
国王の請うような言葉に、フェロニアがその真っ赤な瞳を大きく見開いた後、より深く頭を下げた。




