10.喧嘩の時間
「俺とて小汚い娘の顔など見たくないんだがな。王族としての責務は果たさないといけない」
「(いつからいたんだろう…もしかして最初っから?)」
「我が国は長年花聖女不在の間が続いたが、それでも我々だけの力だけで対処してきた。花聖女など不要だと父上…国王陛下には上奏したのだがな」
「(っていうかそこに居たのに気づかれないってやばくない?影薄すぎない?)」
「国民にも花聖女を信仰する者が少なからずいる以上、必要最低限の務めだけでも果たすように、と言われた次第だ。全く理解できん」
「(え、気づかなくてごめんなさいって言ったら流石に失礼かな。まあ別にいいか失礼なのはお互い様だし…いやでも一応殿下だしなあ王族だしなあ)」
「……聞いているのかドブス!」
「っしゃおるぁ!表出ろ不遜野郎!世界はてめえ中心で回ってるわけじゃないって思い知らせてやらぁ!」
バンッ、とお互いに机を叩いて立ち上がった所で漸く周囲が止めに入った。
マグナスはあまりの剣幕にひい、と恐れ慄いている。
王族だとか不敬だとかそういう事を考えるのは辞めた。この男だけは心底許せないのである。
「ハッ!見た目は醜悪、酷い体臭、おまけに口も悪いとは。育ちの悪さが窺えるな!」
「てめえええそれ以上言ったらマジで殺!」
嘲笑しながらこれでもかと腕を組んで見下してくる男に、今にも殴り掛からん勢いで怒鳴る。羽交い絞めで制止するフェロニアとピレティが居なかったら間違いなく顔面目掛けて拳を振り下ろしていただろう。
その拳が届くか否かが問題じゃない。気持ちの問題だ。
「落ち着いてください、花聖女!」
「ふしゅうううう…」
「どーどー、深呼吸ですよ花聖女」
美猫メイドと美守護獣のおかげで少し冷静を取り戻す。それでも拳はわなわなと震えているし、こめかみには怒りで血管が浮き出ている。
「こんなのが花聖女とは…いや、それよりも本当に花聖女なのか?」
「殿下はまたそんな事を!守護獣が連れてきたお方に間違いはありません。それは大神官である私が保証します」
殿下の方はマグナスが抑えてくれたようだ。軽く冷や汗を流しながら、殿下の疑問にはっきりと答える。
「何をもって保証するというのだ。なあ、守護獣よ。長年に渡り姿も現さず伝承の中だけの存在だったお前が、なぜ突然花聖女を連れてきたのだ?」
「…このままでは、瘴気に囲まれてしまうからです」
「瘴気は昔から至る所に発現していた。被害に苦しむ民は絶えることなくいたぞ。なあ、もう一度聞くが。なぜ今になって、花聖女を連れてきた?」
殿下は小気味のいい足音を立てながらレウィシアの、正しくは羽交い絞めしているフェロニアの前まで歩いてきた。
背が高いためレウィシアからは見下ろしているように見え、機嫌の悪い顔が一層人相悪く見える。
当のフェロニアはというと、いつものにこやかな笑顔は消えていて罰が悪そうな顔をしているではないか。
「マグナスよ、瘴気に苦しむ者を捨て置いたのは守護獣だ。この五千年間ずっと王族は守護獣との対話を試みて来たんだぞ。それでも守護獣は…こいつは返事どころか、姿を見せることすらしなかった。なのに今更、花聖女降臨だと…?」
「(おっと…なんだか重い話になってきたぞ…)」
もう怒りはどこかへと飛んで行ってしまった。腐っても王族、あまりの威圧感に背筋に一筋の汗が伝わるのを感じる。
殿下はそんなレウィシアをチラリと見下ろした後、すぐにフェロニアへと視線を戻して更に圧のある口調で詰め寄った。
「『救う価値無し』と、そう見做したのではないのか。だから我々も、『敬う価値無し』と判断したのだ」
「そういうわけではありません!」
「ならどういう訳か!守護獣としての責務から逃げたのだ、相当な理由があるんだろうな!」
勢い余って叫ぶように否定するフェロニアに便乗するように、殿下まで怒鳴るように声を張り上げて詰め寄る。
男の人の怒鳴り声は骨に響くのだ。しかもほぼ目の前で叫ぶものだから、鼓膜が振動して耳が痛い。
怒声か或いは内容か。どちらとも取れるが、そのせいで完全に委縮してしまったフェロニアがもう一度引き絞るように否定の言葉を言うのは、聞いていて心が痛い。
更に自信無さそうに俯くその表情は眉間に皺が寄り、今にも泣きだしそうで。困惑しながら見上げていたためにばちりと目が合い、落ちてきそうで落ちてこない涙に居てもたってもいられなくて。
「隙あり!!!!」
「っんグ!??」
力の無い羽交い絞めを擦り抜け、正義の鉄槌を殿下の偉そうな顎にお見舞いした。
背が高いのが仇となり、長年(二日)の恨みは鋭いアッパーとなって空を引き裂き避けられることなく顎へと命中し、完全に油断していた殿下は鈍い音と共に後方へと頭が逸れた。
そのまま後ろに倒れそうだが、やはりそこは獣人だからかそれとも鍛えていない女の拳だからか。倒れずに踏ん張る殿下は何が起きたのか理解に苦しみ中々顔を元の位置に戻せずにいる。
そして理解に苦しむのは衝撃の花聖女御乱心事件に居合わせてしまった全員も同じであった。




