変わらない日本の戦争報道
自ブログ用記事の転載です。
激動が続く中東情勢が日本政府やマスコミの異常性をまたあぶり出した。
国際関係、特に力が背景となってそれが動く時、軍事力が大きな意味を持つことはこどもでも分かる。
そして、こどもの喧嘩でもいろいろと暗黙のルールがあるのと同じように、軍事力というものが実際に行使されてきた経緯によって生まれた「戦争のルール」というものがある。
太平洋戦争は、言ってみれば、国内法と国際法によって縛られ、身動きが取れなくなったアメリカが、戦争法規に疎い日本をダシにしてその拘束を壊させたわけだが、日本自身は当時の日本政府の国際情勢判断を誤まることになった原因が何かを公式には追求していない。
東京裁判という戦勝国の作った茶番劇をやることで、それにフタをしてしまったからだ。
本来なら、戦勝国とは別に日本の内部で、ちゃんと戦争、いや敗戦の責任を分析すべきだったんだろうが、戦後の混乱を一層混乱させるだけというネガティブな効果がミエミエだったので、秩序の再構築最優先ということで、何もかも東京裁判の結果を正ということにしてしまったのだろう。
ある意味、これもなかなかスゴイ決断だったとは思う。
が、原因特定を曖昧にした結果、残った弊害も確実にある。
それが戦争報道だ。
結局戦前と同じような誤りを繰り返しているのである。
つまり今も昔も国内世論の常識で簡単に国際情勢を判断してしまうのである。
まあ、あえて言えば、インターネットのおかげで、日本以外のマスメディアの報道を横断的にチェックできるようになったので、昔ほどは日本のマスコミに世論が振り回されなくなったのは幸いだが、これって、他力本願すぎるんじゃないかね。
具体的に何を言っているかというと、イスラエルとイランの対立である。
双方それぞれの戦略があって、こういう対立になったことは間違い無いが、国際社会というところで、現実に有効と認められた枠の中で行動しているのはイスラエルだ。
それがおかしい、とか間違っている、とかいう反論は国際社会では通じない。
世界の、戦争に関するルールを丁寧に読んでいくとそういうことになる。
日本は帝国を名乗っていた時分から、この戦争を規定する条約を軽視してきた。だから国内世論に有利に働くとなれば、戦争邁進を選択する近衛文麿のような政治家に支持が集まったのである。
マスコミ、特にテレビは、国際関係における、こういう鉄のルールに無関心すぎる。
確かに女性、こどもの殺害や日常生活の破壊シーンは、茶の間に大きなインパクトを与える映像となるだろう。が、そこで生まれた価値感や判断は、再び日本を焦土にするきっかけにもなりかねないほど、国際関係の動く場所というのは恐ろしいところだという認識が欠けているように見える。
たとえばBBCなどの報道では、とにかく事実の報道を最優先にし、先に攻撃を仕掛けたイスラエルの事情、イランの対応など、客観的事実を積み重ねていくことに全力を上げている。
視聴者にどちらがいい、悪いという判断を安易にさせないように苦労しているようにも見える。
日本はNHKも民放も、一言で言えばカタールのアルジャジーラとあまり変わらない。
悲惨な結果をレポートするのみで、戦争をやめようという結論に結びつけようとするだけだ。
なので攻撃者が誰であってもまるで犯罪者のように見えてしまう。
こんなレポートを見せ続けられたら、まともな国際情勢判断力がつくわけがない。
結論ありき、で報道する姿勢がおかしいと誰も思わないのは、基本的に日本は戦前とあまり変わっていないということなんだろう。
視聴者の感情を煽る報道で世論を動かし、日本に何をさせたいのか、イマイチ理解に苦しむが、たぶんこれが「報道の正義」と本人は信じてやっているんだろう。
実は一歩間違えれば、票のためなら何でもする亡国の政治家をたくさん産み出しかねない危険なことなんだけどね。
とにかく、日本の中で起こる事件と戦争を同じ理念や価値感で推し量る安易さは厳に慎むべきだろう。