第八話 だるい物理の再試験 でもそのあとお楽しみの……ハッピーハロウィン
《十月二十七日 水曜日》
「さむーい」
「今朝はよう冷えとるな」
早朝、五時五十分。久未と棗は物理基礎の再試験のため、今日は中間テストの時と同じく一時間くらい早くおウチを出て、始発の汽車に乗った。
「グッドモーニン! よう寝坊せんとこれたな」
教室に入ると、すでに末成先生が教卓の前に立っておられた。朝食なのか、ジャンボ坊っちゃん団子を美味しそうに味わいながら。
「おはよう末成先生。ねむぅい」
「おはよー先生、うちもめっちゃ眠い。まだ放課後やってくれた方がええわ。家遠いのに」
「おれ、放課後は俳句部と野球拳踊り・野球サンバ同好会と、軟式野球部の顧問せんいかんのよう。兵頭や妻鳥の入ってる遊んでばっかりのお気楽クラブとは違って、みんな本気やけん」
末成先生は微笑みながらも不満げにおっしゃる。
「無鉄砲やなあ。どの部の子からも迷惑がられとるくせに」
「それがおれの新人教師時代からのアイデンティティじゃけん。それじゃ、揃ったとこじゃし始めますぞなもし」
二人の他にも、十人くらいはいた。今回は仲間がいっぱい。
制限時間は本試験と同じく五十分間行われる。
八時二十分に、再試験は終了した。
「おーい、兵頭、妻鳥、グッドモーニン!」
末成先生は二人の頭の上に、イナゴをちょこんと乗っけた。
「きゃっ!」
「うわ、びっくりした」
二人ともビクリと反応し目を覚ます。慌てて床に払い落とした。
「もう先生、何するんですか?」
「坊っちゃんに影響受けすぎや」
久未と棗は迷惑そうに言い放つ。
「佃煮にするとナイステイストなんじゃけどな。それより、テスト終了ぞなもし」
末成先生はさらりと告げる。
「え!? もう終わりなん?」
「私まだ、全然埋まってないよーっ」
「自業自得じゃ。集めるぞなもし」
「あーん。今のは不可抗力なのにーっ」
「せっ、先生、ちょっと待ってーや、せめてあと二、三分」
久未と棗はかなり焦っている。
「それはいかんぞなもし。おれはせっかちじゃけん」
けれども末成先生はおかまいなしに二人の答案をパパッとすばやく奪い取り、教室から走り去っていった。
物理基礎の再試験は、その日の帰りのホームルームに担任から返却された。
「よかったーっ。本試験より点数上がっとる。奇跡や」
それでも棗は18点。
「私なんか、危うく一桁とるところだったよ」
久未13点。
二人とも本試験との合計点でなんとか赤点をクリアー。安堵の胸をなで下ろした。
※※※
《十月二十九日 金曜日》
四時限目終了直後。
「クーミン、ナツメグ。今日はお弁当食べる前に職員室行くよ」
千陽が声をかけてきた。何か少し焦っている様子だった。
「何かあるの?」
「そういや、廊下がやけに騒がしいな」
「今日はね、年に一度のお楽しみ行事があるの。急いだ方がいいよ」
梨穂は嬉しそうな笑顔で二人に伝えた。
四人は早足で二階にある職員室へと向かう。すでに廊下にまで長蛇の列が出来ていた。
「何や? この行列」
棗は列に並ぶ前に、職員室の中をちらりと覗いた。するとそこには、黒ずくめの服に黒いウィッチハットを身に纏い、ジャコランタンのお面を被った人の姿があった。
「あっ、やっぱハロウィンか。中の人誰なんやろ?」
棗は梨穂に尋ねる。
「一応いないって設定になってるけど、辰巳先生なの」
「ああ、あいつか。あいつアメリカ文化をしっかり享受しとるな」
「辰巳先生に向かって『トリック・オア・トリート』って叫べばお菓子がもらえるのよ」
「本当は三十一日なんじゃけど、今年はその日が日曜になってるけんね」
「お菓子!? やったあ!」
梨穂の伝言を聞き、久未の興奮度が一気に増した。わくわくしながら列が進むのを待つ。
「わ、すごーい! あんなにたくさんもらえるんだ」
その最中、久未は大声で叫ぶ。五十センチ四方は優にある巨大なプレゼント箱を抱えた女生徒たちが四人の横を通り過ぎていったのだ。
「この学校の名物なんよ。タツエモンが全部自腹で用意してるんじゃって」
「太っ腹やな、あいつ」
「授業でほぼ毎回当ててくるのはちょっと嫌だけど、良い先生だね」
並び始めてから三十分近くが経ち、ついに四人の番が回ってきた。
「「「「トリック・オア・トリート!」」」」
一斉に声を揃えて叫ぶ。
「生物部員のみんな、とても素晴らしいアクセントだったよ。でも残念。もうなくなったんだ」
辰巳先生は、表情は確認できないが何か嬉しそうに告げた。
「えーっ、そんなあ」
久未は愕然とする。目に涙を浮かばせた。
「まあまあまあミズ兵頭。こんなにいっぱいもらいに来るとは思わなかったんだ。去年の倍以上はいたんじゃないかな。学外の子も何人か紛れていた気もするんだけれど。先生にとってもアメージングな出来事だったよ。Please don‘t cry.お詫びに先生にイタズラしてもいいから」
辰巳先生は久未の頭をそっとなでであげ、お面を外した。
「そっ、それじゃあ私、思いっきりやっちゃうよ!」
久未は机の上になぜか置かれてあった、ホイップクリームのたっぷり盛られたパイ皿を右手につかみ、辰巳先生の顔面に思いっきり押し付けた。
「ミズ兵頭、グッドジョブ!」
辰巳先生はウィンクし、OKの指サインを取る。
「でもやっぱり、お菓子欲しいよう」
久未はまだ悲しい表情のままだった。
「久未、足蹴ってやり」
棗はそうアドバイスした。
「ウェッ、ウェイト、ウェイト。そっ、それは絶対ダメなんだな」
辰巳先生は焦りの表情を浮かべる。彼はアメリカンスタイルな食生活が祟ってか最近、痛風を患ってしまったのだ。
「蹴りたい、蹴りたーい」
久未は詰め寄った。
「ノッ、ノーノーノー。ドントキックマイレッグプリーズ。もう二度とVIP特別席には招かないから」
辰巳先生はクリームだらけの顔のまま逃げ惑う。職員室で笑いが起こる。
「あの、先輩、これあげます」
久未のことをかわいそうに思ったのか、前に並んでいた中等部の子が親切に分けてくれた。
「えっ、いいの? ありがとう」
受け取った途端に満面の笑みを浮かべ、幼い子供のようにはしゃぐ久未であった。
「See you the next Monday of fourth period.生物部員のみんな、来年はもっとたくさん用意してあげるからね」
辰巳先生は再びジャックランタンのお面を被り、別れの挨拶を告げた。
「アウチ!」
その直後、彼は膝を押さえた。さっき走ったことで痛みが再発してしまったらしい。
「ひゃうっ!」
教室へ戻る途中の廊下で、久未は背後から肩をぽんぽんっと叩かれた。
「だっ、誰?」
恐る恐る振り返る。するとそこには――。
「ぎゃあああああああっ!」
とても恐ろしい狼男の姿が。
久未は学校中に響き渡るほどの金切り声をあげた。スナック菓子の袋でパシパシと叩き続ける。
「いててててて、おいらだよ、おいら」
「え!? 鹿島先生」
久未の攻撃はぴたりと止んだ。
「その通りっさ」
そう告げ、鹿島は着ぐるみを脱ぐ。
「おいら、コスプレ大好きだから、ハロウィンイベントにも便乗しているのさ。驚かせちゃってごめんね兵頭さん」
「もうーっ!」
久未はぷっくりふくれる。
「鹿島先生、お詫びとして、お菓子下さい!」
左手を差し出した。
「持ってないよん」
「それじゃ、これからの小テスト、全部免除して下さい」
「それは無理だよん」
鹿島は困った表情を浮かべる。
「あーん、先生のケチッ!」
ご機嫌斜めな久未。けれども辰巳先生からいただいたアメリカのお菓子を口にすると、あっという間に機嫌が直るのであった。
今日までに中間テストの全ての科目が返却され、その日の帰りのホームルームで副担から合計得点表が配布された。科目毎の平均点と偏差値、そしてクラス内での順位も記載されている。
1000点満点。
「また今回もとれて良かった。嬉しい。期末も頑張ろう」
梨穂のお顔に笑みがこぼれた。彼女の総合得点は977点。このクラスで断トツトップだったのだ。定期テストのトップ成績維持は、中学時代からずっと続いているらしい。
「いいなあリホ。ワタシ、国語総合と英語でかなり足引っ張ってもうたんよ」
千陽は829点だった。化学基礎、数学A・B、数学Ⅰ・Ⅱの三科目で満点をとるも、九位に終わった。
平均点は676点。
「私、クラス順位三十五番だ」
「うちは三十四番やったよ。久未の下にもまだ三人おるな」
「歴史総合と公共だけはかろうじて平均点超えてたよ。おウチ帰ったらお母さんとお父さんに自慢しよう」
二人とも決して良い結果ではないのだが、久未はとても満足していた。