第十話 楽しい生物部合宿始まるよ♪
《十一月十三日 土曜日》
「ちはるちゃん、りほちゃん、遅れてごめんね」
「おはよー。間違えて道後温泉行きのに乗ってしもてん。終点近くになってようやく気付いたわ」
久未と棗は小走りで伊予鉄松山市駅前にやって来た。
「はやくはやく、もうすぐバス出てしまうよ。はいチケット」
千陽はせかす。
四人は、すでに停留していた高速バスに乗り込んだ。それから二分ほどで発車した。
前後二列に二人ずつ分かれて座る四人。会話が弾む。
「今回の合宿費用は、部活動の一環としてもみじ狩りに行きたいって言ったら担任が快く出してくれたんよ」
「合宿っていうか、千陽はただ遊びに行きたかっただけやろ?」
棗はにこにこしながら問い詰める。
「あったり! ちょうど紅葉シーズンじゃし」
千陽はとても嬉しそうに答えた。
「ねえ、ちはるちゃん。いったいどこへ合宿しに行くの?」
久未は千陽の瞳を見つめながら尋ねる。
「うちも聞いてへんな」
「わたしもよ。昨日の晩、いきなり合宿しようだなんて電話かけてきて。このバスってことは、京都へ行くの?」
「京都かあ。それなら私、清水寺行きたいな。嵐山のもみじもきれいみたいだね」
「うちはマンガミュージアム行ってみたい。ちょっと街外れになるけど京○ニにも」
梨穂の推測に、久未と棗はすぐさま反応した。
「いやいや。途中の三宮で降りるんよ。前行けんかったとこ寄ろうと思ってね」
千陽はさらりと伝える。
「二度目の神戸だね。それじゃ私、王子動物園行きたーい」
「わたしもそこがいいな」
行き先を聞き、久未と梨穂はさらに心を弾ませた。
「了解。今回はクーミンとリホの希望叶えさせてあげるね」
「よう考えたら動物観察も生物部の活動の一環になるな」
○ ○ ○
「あーん、かっわいいーっ。ずっと眺めてたい」
「わたしも。癒し系だよね」
久未と梨穂は、ある動物にうっとり見惚れていた。
「確かにかわいいねんけど、さっきのナマケモノと同様おねんねしとる時間が多すぎるのは良くないよな。一日の睡眠時間がアニメーターの一日の労働時間くらいあるし」
「ワタシも同意なんよ。ユーカリの葉っぱを食っちゃ寝の生活は、人間で例えればニートと同じやけんね」
棗と千陽、生態に苦言を申す。
「なっちゃん、ちはるちゃん、悪口言っちゃダメ! コアラさんかわいそうだよ」
「そうよ。これがコアラさんの職務だもの」
久未と梨穂はぷっくりふくれながら二人に注意しておいた。
当のコアラたちは当然のように気にも留めず、すやすや眠っておられたそうな。
園内他の施設をいろいろ巡っているうちに、あっという間に夕方。
「すごく楽しかったーっ。パンダさんもかわいかったな」
「パンダ柄の豚マンも美味しかったね。また来たいな」
久未と梨穂は大満足出来たようだ。
「今夜泊まるとこじゃけど、神戸からはけっこう離れてるんよ」
千陽はそう言い、三人を阪神岩屋駅へ案内した。四人は各駅停車に乗り込む。この電車が魚崎駅に着くと、
「乗り換えするけん、一旦ここで降りるよ」
千陽は指示を出した。
ホームでしばらく待つと、快速急行がやって来た。
「これに乗るんよ」
「千陽、ひょっとしてこれから奈良へ行きはるん?」
「ほうじゃ」
「え!? 奈良……」
一抹の不安が久未の脳裏によぎった。
四人は近鉄奈良駅ビルを出て、駅前の光景を眺める。
「千陽ちゃん、ここに来たのは小学校の修学旅行以来になるね。行基噴水懐かしいな」
「うん。久々に大仏さん見たくなったけん、合宿場所に選んだわけなんよ」
「うちんとこは長崎と阿蘇山やったな。京都は家族旅行で何回かあるけど奈良へ来たんは意外に初めてやねん」
楽しそうな三人をよそに、
「私のトラウマの地だ」
久未だけは少し気分が沈んでいた。
四人は、今日は観光地巡りをせず、そのまま今夜泊まる旅館へと足を進めた。
「ご予約の越智様ですね。ごゆっくりおくつろぎ下さいませ」
四人は一旦部屋に荷物を置いたあと、さっそく夕食。そして露天風呂へ。
脱衣室で服を脱いでいる最中。
「ちはるちゃん、けっこうお胸あるね。なっちゃんのより大きいかも」
久未は羨望の眼差しで千陽の胸元をじっと見つめてきた。
「そっ、そんなにはないんよ、クーミン」
千陽は遠慮がちに答えた。
「いいなあ、ちはるちゃん」
久未は千陽に前から抱きつき、胸にタッチ。
「あんっ! もうクーミンったら、くすぐったいからやめてー」
「スキンシップ、スキンシップーッ」
「久未ちゃん、千陽ちゃんのお胸って、マシュマロみたいにふわふわしてて、とっても触り心地いいでしょう? わたしも時々触らせてもらってるの」
メガネを外し、脱衣カゴに移しながら梨穂は言う。
「絶対うちより大きいよ。さすが、お乳はるやな。名前の通りや。千陽はおしりもええ形しとるな。触らせてーな」
そう言い、棗も便乗した。
「もっ、もう、ナツメグまで」
前からも後ろからも揉まれる千陽。嫌がりつつも、とても幸せそうな表情を浮かべていた。
「棗ちゃんもお胸十分大きいよ。わたしと久未ちゃんは、貧乳コンビね」
梨穂は恥ずかしいのからなのか、タオルをしっかり全身に巻いていた。
久未は洗い場に備えられてあった風呂イスにちょこんと腰掛け、シャンプーハットを被った。
「私、これがないとシャンプーできないの」
照れくさそうにつぶやく。
「クーミン、本当に幼稚園児みたいで萌える! ワタシがシャンプーしてあげるね」
千陽は久未の後ろ側にひざまずいて座った。
「あっ、ありがとう、ちはるちゃん」
「ほんじゃ、つけるね」
ポンプを押して泡を出し、久未の髪の毛をゴシゴシこする。
「クーミンの髪の毛って、すんごいサラサラじゃね。触り心地いい」
「お母さんにもよく言われてるの」
久未はとても嬉しがっている。千陽は久未のことを、自分の妹のように感じていた。シャワーをかけて、そっと洗い流してあげる。
「あっ、あのう、千陽ちゃん、わたしの髪の毛も洗ってほしいな」
「オーケイ、リホ」
梨穂は、久未のことをうらやましく思ったらしい。
「あっつーい」
久未は湯船に足をつけた途端、反射的に引っ込めた。
「クーミンはお風呂、ぬるめ派なん? ワタシ熱め派じゃけど」
「うん。こんな熱いのに入れないよ」
「わたしも久未ちゃんと同じ。このお湯、四十度は超えてるよね」
「うちは千陽と同じで熱い方が好きや。ゆっくりと浸かれば大丈夫やって」
久未と梨穂は、棗に言われたとおりにしてみた。
「ほんとだ、気持ちいいーっ」
「とっても快適ね」
「せやろ?」
「ワタシんち、ジェットバスやけん、こうゆうお風呂にも入りたかったんよ」
夜空に広がる満天の星空を眺めながら、四人はゆったりくつろいでいた。
部屋に戻ると、すでにお布団が敷かれていた。この旅館のサービスだ。
「さーて、今からワタシがこわーいお話をしてあげよう」
千陽は戻るやいなや、両手をうらめしやポーズにしてゆっくりとした口調でそう告げた。
「わっ、私、どれも聞きたくないよううううううう」
久未は耳を塞ぎ、カタカタ震え出す。
「そんなこと言われると、ワタシ、ますますしたくなっちゃうんよ」
「千陽、それはやめてあげてや。久未が“おねしょ”しちゃうかもしれへんから。中学の時の修学旅行でね、レクリエーションで会談やったんやけど、それが原因で夜中にトイレ行けなくなって……朝、久未のお布団の上見たら、ジュワーッて」
「なっ、なっ、なっちゃん。恥ずかしいから教えないでーっ」
久未は顔をもみじのように真っ赤にしながら、側に置かれてあった枕を棗に向けて投げた。見事顔面にヒット。
「ナイスコントロール。すまんな、久未」
「それはそれでこの上なく萌える設定なんじゃけどね」
「おトイレ行きたくて真夜中に目が覚めて、行かなきゃって思ったんだけど怖くて行けなくて、それでそのまま二度寝したら、ああなっちゃったの。わっ、私、もう寝るね!」
久未はリュックの中から、棗にゲームセンターでとってもらったあのセイウチのぬいぐるみを取り出して、布団にもぐり込む。
一分と経たないうちにすやすや寝息が聞こえてきた。
「久未、の○太くん並みの速さやな。寝顔めっちゃかわいい」
「……キス、したい」
千陽は久未の唇に自分の唇をぐぐっと近づけた。
「……あかんよ、こんなせこいやり方でしちゃ」
棗は千陽の額を手で押して、さらにでこピンして阻止。
「千陽ちゃん、めっ!」
梨穂は後頭部をペシッペシッと二回叩いておいた。
「いたたたっ、分かったよナツメグ、リホ」
「わたしももう寝よう。今日は疲れちゃった。棗ちゃんと千陽ちゃんも、あまり夜更かししちゃダメよ。おやすみなさい」
そう告げて、梨穂もお布団に包まる。
あとの二人はこのあともしばらく、梨穂からの忠告を無視し、おウチから持ってきたマンガやラノベを読んで夜更かしした。
やがてまもなく深夜一時になろうという頃。
「さて、今からは大人の時間やな」
棗はテレビリモコンの電源スイッチを押した。千陽はテレビの上に置かれてあった番組表を手に取る。
「毎○放送にテレビ○阪。地上波の深夜アニメの充実度が愛媛とは全然違うね」
「千陽、奈○テレビとサ○テレビも平日は毎日のように深夜アニメやっとるよ」
「おう! それは羨ましい」
「すごいやろ? うちが毎年祖母ちゃんちに帰る一番の目的はこれやねん。今週はアニソンどのくらいランキングに入ってるんやろな。ワクワク」
二人は気分が舞い上がっている。
こうして、午前四時頃までテレビを見て、ようやく就寝準備に入ったのであった。
棗が布団にもぐり込もうとした矢先、
「ねえナツメグ。折り入って頼みがあるんよ」
千陽が頬をほんのり赤く染めながら、棗の瞳を見つめてきた。
「また? 何でも言ってみぃ」
棗はにっこり微笑みかける。
「いっしょのお布団で寝てもいい? ワタシ、抱き枕がないと寝れんのよ。持って行こうと思ったけど大きすぎてカバンに入らんかったけんね」
三秒ほどの沈黙ののち、
「……ちっ、千陽ってほんまに寂しがり屋さんなんやな。いっ、いいよ。べつに」
棗は頬をポッと赤く染めつつ、了承してくれた。
「ありがとうナツメグ。大好き」
千陽は礼を言い、棗のお布団に入り込んだ。
「あのう、もう一つだけ……出来れば……」
さらに二呼吸置いて、棗の耳元でささやいた。
「!?……なっ、何言うてるねんよ千陽は」
予想外の要求に驚く棗。頬の赤みはますます増した。
「お願い! ワタシもなるけん。その方が、気持ちいいじゃろうし」
千陽は艶やかな声色で念を押す。しかし。
「あかん、それは絶対あかん!」
棗はそう強く言い放ち、都合よくすぐ側に置かれてあったスリッパで千陽のおでこをパシーンッと思いっきり叩いた。
「千陽、寝込み襲わんといてな」
そう言い、手巻き寿司を作るかのごとく千陽を転がしお布団から追い出した。
「ごめんねー、ナツメグ。冗談なんよ。ひょっとして今、怒ってる?」
「いや、全然怒ってへんよ。千陽がいきなりあんなこと言い出すからつい手が出てしもてん。うちの方こそすまんな」
「ほうか。よかった。ほんじゃナツメグ、おやすみ」
千陽はとても残念そうな表情を浮かべる。彼女の計画はあっけなく失敗に終わった。それでも自分側の布団にもぐり込むと、ほどなくしてすやすや眠りに付いた。
(もう! 千陽ったら……ほんまは、やってあげたかったんよ。でもな、そんなことしたら朝起きた時、裸で抱き合っとるうちと千陽の姿が、久未と梨穂に見られてまうかもしれへんやんか)
棗は悶々として、なかなか眠りにつけなかったのであった。
☆ ☆ ☀
大広間で朝食をとり、十時頃に旅館をあとにした四人はさっそく奈良公園へ。そこには鹿がたくさん。
「さて、鹿せんべい買うか」
千陽がそうつぶやいた途端、久未はびくっと反応した。
「ねえ、ちはるちゃん。それはやめといた方がいいよ。襲われちゃうよ」
「もう、クーミンったら、十年くらいは前の話じゃろ?」
「でっ、でも、ダメ」
「まあまあ。鹿との触れ合いも生物部の活動の一環なんよ」
「べつにエサはやらなくてもいいでしょ」
久未と千陽の押し問答が続く。
「久未、やってみぃ」
棗はその間にちゃっかり購入した。久未の手のひらにポンッと置く。
「えっ……わっ」
するとすぐさま久未のもとへ、鹿がわらわらと集まってきた。
「きゃっ、きゃあーっ」
久未はせんべいを高く掲げて逃げ出す。しかし鹿にすぐに追いつかれる。
「助けて、助けてーっ」
あっという間に四方八方囲まれてしまった。逃げ場はもうない。
「久未、よう考えてみぃ。昔と今では、目線が違うやろ? 久未の方が高いやん」
棗は傍からアドバイス。
「あ、確かにそうだ……」
久未はそう案じ、何枚かの束になっていたせんべいを一枚ずつ取り出し、恐る恐る鹿たちの口元へ近づけてみた。
鹿たちは美味しそうに齧り付く。
「……なっ、なんか、よく見ると、かわいいかも」
久未の表情は、だんだんほころぶ。
「なんで私、今まで怖がってたんだろう?」
自分でも不思議に思ったようだ。
「久未ちゃん、おめでとう!」
梨穂はパチパチ拍手をした。
「久未、良かったな。リアル鹿を好きになれて」
「クーミンも、これでもう奈良に怖いものなしじゃな」
「うん!」
久未は満面の笑みを浮かべながら答えた。気分高らかに南大門へ向かう。
「こっ、怖い。これもあること、忘れてた」
反射的に目を下に向けた。
門の左右にある金剛力士像が、四人をにらみつけるように聳え立っていたのだ。
「金剛くん、お久しぶりじゃ」
「ガイドブックの写真とは違って、やっぱ生は迫力あるよな」
千陽と棗は楽しそうに上を見上げる。
「久未ちゃん、これはただの木の破片の集合体よ。そう思えば怖くないから」
梨穂は久未の肩をポンポンッと叩き、安心させようとする。
「そっ、そうだよね。木の破片、木の破片……」
「リホ、クーミン、それは運慶、快慶さんに少し失礼なんよ」
千陽はにこっと微笑む。
門を抜けて、大仏殿まで歩き進んだ。ご存知、あの奈良の大仏様が鎮座されている建造物だ。
「想像以上にでっかいな」
「私も鹿さんが印象に残りすぎて、大仏さんを見た記憶ほとんどないから初めて目にしたような感覚だよ」
棗と久未は手をパーにしてかざし、大仏様の手と比べっこしてみた。
「奈良の大仏さんの正式名称は、盧舎那仏坐像って言うのよ」
梨穂は豆知識を教えた。
「りほちゃん物知りだね」
「賢すぎるわ」
久未と棗は感心する。
「リホは小学校の時のあだ名、博士ちゃんやったけんね」
「なんか恥ずかしくて嫌だったな、そのあだ名。それよりあそこ、潜ってみない?」
梨穂は、ある柱の下方を指差す。大仏殿の柱の一つには、大仏様の鼻の穴と同じ大きさの穴が開かれているのだ。
「りほちゃん、私やってみるよ」
「うちは、遠慮しとくわ」
「ワタシも。つかえたら恥ずかしいけん」
「今回はわたしたちの得ね。久未ちゃん、行こう」
意気揚々と順番待ちの列に並んだ久未と梨穂、二人とも余裕で通り抜けに成功し、ご満悦だった。
四人はこのあと、紅葉を眺めつつ若草山と春日大社も巡って公園をあとにした。近鉄奈良駅へ戻る途中、お土産屋さんに立ち寄った。
「ねえねえ、せ○とくんって、よく見ると辰巳先生に似てるよね?」
久未はぬいぐるみを手に取り、三人に話しかける。
「言われてみれば、確かに似とるな」
棗はくすっと吹き出した。
「久未ちゃん、わたし明日の授業で、思い出し笑いしちゃいそう」
「そういや辰巳っていう苗字、奈良県には多いらしいね。タツエモンも奈良出身かも」
「明日訊いてみよう。ねえ、千陽ちゃん、他にはどれがいいと思う?」
「やっぱ定番は葛餅と柿の葉寿司じゃろ……あっ、あと大仏プリンも忘れたらいかんね。担任とカッシーと、ウラナリっちにもついでやけん渡してあげるか」
「奈良漬もええよな。甘辛くてうちの好みや。あ、この“鹿ふんじゃったチョコだんご”もほしい。ほんまにシカの糞の形してるやん」
「私は、シカさんのぬいぐるみと鹿サブレ買おう」
修学旅行気分で楽しそうにお土産選び。四人とも、とても充実した一泊二日の合宿を送れたようだ。




