おんなの懺悔
懺悔します。
包み隠さず、お話しします。どうか、私の告白をお聞きください。
私というおんなは、卑しいおんなです。しかし、あまりにも純粋で、しかし、薄汚く、それはそれは腐った肉の塊のようなおんなでした。
わたしは、一年という長くも短いその時間を、まっしろで、愚かで、美しくない、ひとさまに向けるべきではない情熱に支配されながら、過ごしました。
それは、まさしく、恋でした。恐らく、それだけを見ていれば、なんともいじらしく。儚く。まるで夢のような、さして特別ではない恋でした。
恋とは、なんとも可憐な言葉でしょう。私のあれは、こんなに愛らしい言葉で形容されるべきではないと思うほど、無様なものです。惨めで、まるで世界中の欲望の掃き溜めのよう。そんなものを、人に向けてしまいました。
私というおんなの抱いた好意は、表面はどうにもしろくて無垢で、それでいて、中にある肉はひどく腐敗しておりました。アヒルの丸焼きを食べるように、表面だけを捧げていればよかったのです。それなのに、この下卑たおんなは、白い面から醜い肉を覗かせて、あのひとを注視していたのです。
いえ、あのひとたちを。
世界には、一度に複数のあいてに恋をする人がいると、ひどく幼いころにききました。いつからか、私というおんなもそのひとりになってしまいました。
私の好意は白く汚れていて、それはふたりのひとに向けられていました。
私が両の目でそれぞれ見つめていた人たちは、美しい人でした。生きている姿も、中の肉も、その奥にある臓腑まで。どこをとっても美しいと、確信をもって言えます。たとえ、見たことがなくとも。
あのひとの目の奥、胸の中、そして握った手の内で、冷静に燃えるほのおといったら!
もちろん、憧れました。憧れて、あのひとのものと同じ形のものを私の中で見つけるたびに、私の卑しい心は腐敗を進めていました。
それでも、私がそのほのおできれいに燃やされることはなく、ただほのおを眺めながら、この屑のような心が燻りゆくだけなのです。
ほのおの人は、とても、美しい人でした。ええ、別れ際も、とても。
もうひとりのあのひとは、まるで海、まるで山、まるでたとえようがない自然のよう。
あのひとに命を支えられ、あのひとに命を支えさせました。この私の、なんとも醜く、白痴のような生きざま。
自然に包まれることに甘え、負担をかけていたのは言うまでもありません。それを理解してなお、母なる海に還るように、あのひとのあしもとに縋ることの無様さ、愚かさ。
自然の人は、とてもやさしい人でした。別れ際も、ひどいくらいに。
懺悔します。
私という醜く、愚かで、薄汚く、無様で、惨めで、腐敗した、純粋なおんなは。
あのひとたちを忘れることはできないでしょう。
この世界から目をそらすために備え付けられた薄い瞼を、ゆっくりおろしても、すばやくおろしても。あのひとたちの笑顔がいやになるほど、脳髄に焼き付いて、刻まれて、逃れられない。
そうやって脳髄に彫り込んだのは、まぎれもない、この汚れたおんなです。
たとえあのひとのにおいを忘れようと、あのひとの笑う声がおぼろげになろうと、私が死のうと、あのひとたちの顔が、私にいっときでも向けられた笑顔が、私の心を癒し、苦しめ、宥め、吐き気がするほど疑わせるのです。
どうか、言わせてください。
あなたのことを、こころから愛しております。
あなたの幸せを願っております。
どうか、お早めに、この醜くゆがんだおんなを、忘れてください。
誰よりも、何よりも、愛している。
2025/03/15 02:01
私月善日