第85話 表と裏と
「……確定した、な」
しばらくの間力無く項垂れていた充は、顔を伏せたまま地面からゆっくりスマホを拾い上げてそう呟く。地獄の底から響くような、唸るような低い声で。
繁と渚沙にも、話の内容は漏れ出た大誠の声と充の言葉から容易に察することが出来た。だからこそ、二人とも充の尋常ならざる今の様子に身動き一つ取れない。
「あいつのことだ。俺に言ったんだから、どうせ今頃世界各国に犯行声明だって出してるはず。大江さんも、これで動きやすくなる」
そう言うや否や、充は広げていたメモやら何やらを鞄に押し込み出掛ける支度をし始めた。ようやく気を取り戻し、慌てて渚沙が声を出す。
「ちょ、ナンコー君? どこ行くつもり?」
「警察庁と装備庁。それからユメミライに戻って、その後新幹線で神戸。閣議終了まで待ってられん」
少ない荷物をさっさとまとめ終わった充は、そのまま席を立ってドアノブに手をのばす。
「本気で行くのか、充」
その背中に、繁がボソリとそうこぼす。良くも悪くも変わった、未だ反抗期の次男坊を心配するような口振りで。
そんな彼の呟きに、充は振り返ること無くこう言った。
「リアルで出来るとこまではどうにかします。でも、あいつは本気だ。だから俺も、本気で止める」
彼はドアノブを捻って開けると、そのまま部屋を後にした。
「で、結局着いてきたのか」
事前に呼んでおいたタクシーの社内で、横に座る渚沙に彼はそう声をかける。それに対し彼女は、少しムスッとした顔で反論した。
「再結成打診したの、ナンコー君でしょ?」
「まぁそりゃそうだが」
「なら文句無いね。それに、装備庁に入るなら私がいた方が楽だし」
そう言いながら、渚沙はスマホで誰かにメッセージを送信し始めた。お相手はどうも、装備庁の人間らしい。どうやらアポを取ってくれているようだ。
「ちなみにナンコー君、向こうにアポ取った? 今てんやわんやなんだから、行くこと自体迷惑なんだよ?」
「それは大丈夫。ついさっき大江さん名義で許可取った。それにサイバーには俺もちょっと繋がり有るからな」
「……勝手に大江さんの名前使って大丈夫なの?」
あっさりとそんなことを口走る充に、渚沙は若干引きぎみにそう返した。いくら責任者とは言え、いささか強引にも見える。
そう心配する彼女に対し、充は「大丈夫大丈夫」と、スマホに目を落としながらそう答えた。
「主導権を握られてる今、手段を選んでる暇はない」
極端に瞬きの少なくなったその瞳は、まるで充が恐ろしい怪物か何かに変わってしまったように、渚沙は思えた。
それが、この事件解決への闘志からなのか、前代未聞の大事件に挑む研究者としての知的興奮からなのか、はたまた親友でありライバルでもある足立大誠への強い感情からなのか。それを知る術は無い。
唯一それを知る者は、充ただ一人。或いは彼自身も、気付いていないのかも知れない。
車は間も無く桜田通りを通過して、警察庁に到着しようとしている。
充の長い一日は、未だ半ばにまで来ていない。
大誠。その夢、俺がぶっ壊してやるよ。
*
「こちらです」
峠の終点から歩くこと数分。小屋の前までたどり着いた茶々丸は、その小屋の大きさに思わず息を飲んだ。
「近くで見ると、おっきいですね……」
地面から軒までの高さだけでも、およそ十メートルは下らないのではないかと言う大きさに、加えてその半分程度の高さの煙突が、白煙をあげながら屋根から天に伸びている。
遠くから見れば気付かなかったが、目の前まで来ると圧倒される。
これが、天下の情報屋九龍をしてトップクラスの鍛冶屋の小屋。
これだけ工房が大きければ、主もさぞ大きく、頑強で厳めしいアバターなのだろう。茶々丸はそう、心を引き締めた。
「……んぁ、ここは?」
失神していた九龍もようやく目が覚めた。「それでは、中へどうぞ」の声と共に、NPCは小屋の扉を押し開けた。
「ウェルンド様! 九龍さん達がお越しです!」
だだっ広い工房のなかに、彼女の声がそう響く。瞬間、
「おおっー!! ダークエルフちゃんだぁぁぁぁー!!」
岩のように巨大な金床の影から、小屋の屋根と同様赤い三角の帽子を被った小人が一人、宝石のように緑の瞳をキラキラ輝かせ、茶々丸の方に飛び出してきた。
「こちらが我が主。ウェルンド様です」
未だ寝ぼけている九龍を背負ってそう彼女が紹介する頃には、ウェルンドなる小人は既に茶々丸の足にしがみついていた。
直後、咄嗟に茶々丸は鋭い前蹴りをウェルンドに喰らわせる。
彼は、まるで虫ケラの様に宙を舞って吹き飛んだ。