第82話 怒髪は天を貫いて
「……で、この山を昇ると?」
ゲーム内時間で一夜が過ぎた朝、茶々丸は背負った九龍にそう問い掛けながら、眼前にそびえる切り立った白い壁を見上げた。
実質的には二時間程度しか寝ていないのだが、体感的には六時間程度の睡眠をとったのと同じに思えるのも、フルダイブのなせる技だろうか。もっとも彼女、こちらで眠るのは始めてだが。
「正確には峠だな。フェンリル峠と言う」
「いや、名前は別になんだって良いんですよ」
「いやいや、この名前ってのが重要でね」
ホワイトステート本領を真っ直ぐ北上し、旧ヴァイスブルク領の北限より少し先に位置する北方山脈の難所・フェンリル峠。
常に猛烈なブリザードが吹き抜ける風の通り道であり、視界、足場共に最悪と言って良い状態だ。しかし、ここを難所足らしめている要因はそれだけではない。
「この峠、道中でアイスウルフの群れが沸くんだよ」
ブリザードに同化する真っ白な毛皮を持つアイスウルフ。並みの防具なら二、三度攻撃を受ければゲームオーバー必至の強力なモンスターだ。
「その露払いを私にして欲しい、と?」
「ご名答! これの向こうにどうしても領内に呼びたい相手が居てね、そのボディーガードをして欲しいと言う訳だ」
「お断りします! 私も命が惜しいです!」
得意気にそう語る九龍を背中から引き剥がして地面に下ろすと、茶々丸は腰を直角に折って断った。今はどんなプレイも命懸け。彼女はまだ、この世に未練たらたらだ。
「なっ……! 君、昨日サンドウィッチを食わせてやったろ!? 一宿一パンの恩を忘れたか!」
「それとこれとは話が違います! 私はまだ死にたくありません!」
「皆が生き残るために必要なことだ!」
「だとしても、流石に昨日の今日は心の準備が出来てませんって!」
「そこをなんとか!」
「いーやーでーすー!」
二人はまるで子供のように、大声をあげてにらみ合いながら口論を繰り広げる。昨夜の涙も、殺伐としたデスゲーム中で有ることも忘れて。
人通りの無い郊外の、モンスターのうようよ生息する山の前。口論の声は山脈や雪原をこだまして響く。それ故に……
「グルルルルルルルルゥ……!!」
ホワイトアウトの山麓に、低い唸り声が聞こえ始めた。その声は次第に大きく、多くなり、遂には空気さえ脈動するほどの響きとなる。それでもなお二人は、
「私と一緒に来い!」
「九龍さんっていつもそうですよね! 私のことなんだと思ってるんですか!!」
そんな声など気にする素振りすら見せずに口論を続ける。
吹雪が徐々に収まり始めた。純白の世界に透明度が出始める。視界がだんだん開けだし、辺りの景色が明瞭になる。その瞬間だった。
「グオォォォォォォォ!!!!」
薄ら白い雪霧の中から、何かの影が一つ飛び出した。向かう先は茶々丸達。唸り声は咆哮に変わる。鋭い影の爪が二人に触れる。直前、茶々丸は振り返り様に凄まじい勢いの裏拳を繰り出した。
「今取り込み中だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」
「邪魔すんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!」
ゴスッ。鈍い音が、茶々丸と九龍の叫びに重なりあって反響する。二人に迫った影は声すらあげること無く、新雪の絨毯に転がった。クリティカルヒットしたらしい。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
流石に疲弊したのか、頭に血が登って絶叫した二人は肩で息をしながら、少し冷静になって辺りを見渡す。
薄霧は間も無く晴れる。この辺りでは珍しい快晴無風の青空が、屹立する鋭利な頂の背後に姿を現す。その真下では……
「「あれ、モンスターでは??」」
口論の声に引き寄せられた無数の白いオオカミ達が、二人をぐるりと何層にも囲んでいた。
頭上から眺めればバームクーヘンの様なその光景。しかし当事者二名にとってこれは、
「あぁ、終わった」
「茶々丸君、死ぬときは一緒だぞ?」
終焉を容易に想像させうる、地獄のごとき光景だった。
オオカミ達の唸り声が輪唱する。先程茶々丸が裏拳で仕留めたのは、彼らの仲間だったのだろう。安らかな眠りを邪魔された上、仲間を倒された彼らの恨み辛みは大きい。
だが、そんなこと二人には関係の無いことだ。
「どうして私ばっかりこんな目に……」
天を仰いで絶望していた茶々丸は、ふとうつむき加減でそう溢す。右手を太刀の柄にかけながら、前傾姿勢で腰を落として。
「ちゃ、茶々丸君?」
「…………って、やるよ」
刹那、彼女の周囲を雷雲の帯が纏い始めた。それはバチバチと大きな音をたてながら、茶々丸を中心にぐるぐると渦を巻いていく。ただ、その怒りにうち震えた眼光だけが透けて見えた。
「えっ?」
じわじわと後退りしながら、九龍は思わず聞き返す。その直後、晴天の空から一筋の稲妻が、渦の中心に突き刺さった。
「やってやろうじゃねぇかぁぁぁ!!!!」
茶々丸の怒号が、雷の炸裂音と混ざり合う。凄まじい光に、九龍は両手で目を覆った。そうしてしばらくたった頃、
「……は?」
大地から円状に雪が消え去り、モンスター達は消滅し、アイテムだけが落ちていた。
突如雪原に現れたそのミステリーサークルの中央には、心底清々しい表情を浮かべて大の字に寝転がる茶々丸の姿があった。