第81話 九龍のサンドウィッチ
Mr.peanuts:取り敢えずこれでゲーム内時間の一日が過ぎた訳だが、皆どんな感じだ?
案内された九畳半程度の部屋の白いシングルベッドに腰掛けて、茶々丸はオープンチャットに目を通す。窓から見える外は既に暗いが、燭台型の照明のお陰で部屋は柔らかな明かりに包まれている。
オープンチャットは閲覧者の言語に自動で文字が変換されるシステムだ。その為他国の言語に明るくなくても、世界中のプレイヤーとやり取りができる。
Катюша:どうもこうも無いわ! 真冬のシベリアに放り出される方がまだマシよ
蜷川新右衛門オルタ:一緒に行動してたリア友が、三回ゲームオーバーした途端姿を見せなくなった
Sauerkraut:やっぱりあの男の言ってることは本当なのか……早く家に帰りてぇ
様々な国や地域のプレイヤー達が普段なら他愛もない会話や情報交換を繰り広げているここも、今日ばかりはいつにもまして殺伐としている。
「オープンチャットも随分荒れてますね」
そんなやり取りを眺めながら、彼女は膝の上にちょこんと座る九龍にそう声をかける。避難してくるプレイヤーを受け入れるため、二人は相部屋での寝泊まりに決定した。
「皆状況に混乱してるからな。無理もない」
九龍は九龍で、何やら個別のチャットで誰かとやり取りをしているようだ。画面から目を離すこと無くそう返すと、また文字を忙しなく入力し始めた。
白虎:結局あの男の正体って、やっぱり足立なのか?
인천스타일:十中八九そうだろ。こんなこと出来るの、アイツぐらいなもんだ
Mr.peanuts:だったら本当にイベントクリアしないと出られないのか
蜷川新右衛門オルタ:うちの政府、ちゃんと動いてくれてんのかなぁ
「私もなにか打ち込んだ方が良いんでしょうか?」
「うーん、取り敢えず今はやめといた方が良いんじゃないかね。こっちだってまだ暗中模索状態だし」
やり取りに一段落ついたのか、チャットを閉じた九龍は茶々丸の方を振り返ってそう諭す。確かに今は、迂闊なことはやらないが吉だろう。
「でもなんか、なにもしないって言うのも歯痒くて」
「行動派だねぇ……ま、少なくとも夜は強いモンスターも沸くから家ん中でじっとしてるのが得策だ。それに、明日からはきびきび動いてもらわにゃならんしな」
ニヤッと笑みを浮かべた九龍はそのまま茶々丸の膝から降りると、トコトコとアイテムを貯蔵している宝箱のような見た目の『ボックス』の前まで向かい、それをおもむろに開けて中を物色し始めた。
Sauerkraut:そもそも二ヶ月ってどっちの二ヶ月だよ! こっちか? それともリアルか?
「明日、ですか?」
「あぁ、明日って言うのはゲーム内時間のことだ。日の出と共に、ちょっと一緒に来て貰いたいところがあってな」
お、あったあった。と言ってボックスから麻袋を取り出した九龍はそれを片手に今度は茶々丸の横にくっつくように座りこみ、袋の中身を差し出した。
「こんなこともあろうかと、君が来る直前に作っておいたんだ。ひとまずこれを食って、明日に備えよう」
茶々丸に差し出されたのは、レタスとハムの挟まれた白パンの簡素なサンドウィッチ。彼女は促されるままに「頂きます」と、それを口に運んだ。
「……美味しい」
こんな事態になってから、始めて食事をした。自然と、そんな言葉が漏れる。システムのお陰で空腹さえ感じないのに、食べる手が、口が止まらない。
上品な味と言う訳ではない。上質な旨味と言う訳ではない。それなのに、今まで食べたどんなものよりも美味く、心が安らいだ。あまりにも、懐かしい味だった。
あぁ、これ、お母さんのと似てるんだ。
全てを食べきったとき、彼女はようやくその理由に気がついた。もう、抑えきれなかった。
胸にあった不安のか溜まりがまるで溶け出すように込み上げてきて、堪えきれずに頬を伝って溢れ出す。止めることなど、もう彼女には出来なかった。
「後で水か何か持ってこよう。水分不足は、お肌の大敵だからな」
九龍は優しくそう呟いて彼女の背中を擦りながら、同じようにサンドウィッチを食べ始めた。