第78話 信じている。だからこそ
ドンという大きな音と共に開け放たれたドアの向こうには、額に汗を浮かべた大江静が仁王立ちしていた。
「大江さん、随分早かったんですね?」
「一旦休憩に入ったの。だから途中経過とその他諸々情報交換しようと思って」
完全に空気と化した渚沙の横をスルリと抜けて、静は繁の用意したイスにどっかり腰を下ろしてそう言った。
「まず閣議の現状から。対策チームの最高責任者は私がなることに決定したわ」
「えっ、それじゃナンコ……北条君はどうなるんですか?」
「大丈夫、私のはあくまでも名目上のものよ。実際に現場であれこれするのは充君に変わり無いから、そこは安心してちょうだい」
焦ったように腰を浮かせた渚沙を、静はハンカチで汗を拭いながらそうなだめる。何とか、現実的な落としどころを見つけられたらしい。これには充も一安心だ。
「対策チーム組織の件は正式に文科省、厚労省、防衛省、警察庁が人員を抽出してくれることに合意してくれたわ」
「そこに総務省も加わる訳ですね」
「ええ。かなりの大所帯になるかもしれないけど、大丈夫?」
「やるっきゃ無いでしょう。向こうで伊藤も頑張ってくれてると思いますしね」
試すような微笑みをたたえた静の言葉に、充は大きく頷きそう返す。
現状、内部との交信が出来ないことは会議の中で明らかになっている。その事は繁も周知のことだった。連絡が取れないのならば、出来る部下を信じるほか有るまいと言うのが充の意見だ。
そして、そんな彼女に負けぬよう最大限尽くすことが、今出来る唯一のことだろうと言うことも。
もっとも、充には別な思いもあるのだが。
「信じてるのね、伊藤さんを」
「仲間を信じないことには、仕事なんて出来ませんからね」
*
「へくちっ!」
「おっと茶々丸君、風邪かい? 気温感じるシステムなんて無いのに」
「いやぁ、誰かが噂してるのかも」
館への帰り際、一行はついでに茶々丸にあてがう家を見に行こうと少し寄り道をしている最中。
大きなくしゃみをした彼女を、背中に負われた九龍がそう笑う。最初のことを思えば、少し緊張もほぐれてきたのかも知れない。
「茶々丸さんは優しいですから、心配してくれる人も多いでしょうね」
「まぁそれに一人、絶対に噂してる奴がいるもんな」
茶々丸の方を振り返り、はははと朗らかに笑みを浮かべるライトに便乗し、九龍がにやけ顔で彼女をからかう。
「いやいや、ミツルさんは私のこと噂するほど暇じゃ無いですよ」
「ほへぇ、そうなのか。私はミツルなんて一言も言ってないんだがな?」
しまった、と思ったときにはもう遅かった。ポロリと言葉を漏らしてしまった茶々丸に、九龍は先程よりも更に凶悪そうなにやけ顔と、爛々と輝く楽しげな瞳を向けた。
「ちょ、九龍さん!? それ誘導尋問ですよね!?」
「さぁーて何のことかな? 第一口を滑らせたのが悪い」
顔を真っ赤にして追求しようとする茶々丸の背から飛び降りて、九龍は悪びれもせずにそう返して前へ前へと駆けてゆく。
「あっ、ちょ、待てっ! 滑らせるように誘ったのはどこの誰ですか!!」
それに負けじと茶々丸はその後を全力疾走で追い掛ける。西の空には、もう夕日が沈みかけていた。
「そぉーらオマヌケポンコツエルフ、捕まえてみなぁー?」
「良いでしょう! お望み通り捕まえてやりますからとっとと停まりなさーい!」
尻尾をひょいひょい振りながら挑発する九龍を、茶々丸はさらに必死に捕まえようと飛び掛かる。つい数時間前からは考えられない程の楽しげな顔をして。
「フォックストロット殿、あれで良いんですよ」
「え?」
そんな二人を眺めながら、ライトは横を歩く彼にそう告げる。
「先行き不鮮明な今の状況が、とてつもなく不安で恐ろしい。それは皆一緒です。ですから、領主だからと肩に力を入れすぎないで、もっと他を頼って下さい。ね?」
「ライト殿……ありがとう、ございます」
彼の肩に優しく手を置き、ライトはバックパックの中からハンカチをスッと差し出した。
悪夢のような一日目は、こうして日没を迎えようとしている。




