第62話 二人の時間は有限で
カーテンの隙間から差す朝日に照らされて、充は目を擦りながら目を覚ました。一糸まとわぬ筋肉質の若い肌が、掛け布団から覗いている。
上体を起こした彼はしばらくぼんやりした頭のまま部屋全体を見渡した。今の時刻は朝の七時。
昨夜は適当なところで食事を済ませた後、素泊まり出来る安いこのホテルに宿泊した。
シングルベッドしかない狭いホテルの一室だ。流石に二人で入るわけにはいかないだろうと、充は床にタオルケットでも敷いて寝ると美幸に申し出たのだが、
「あっ……!」
その後の事を思い出し、彼は顔を赤面させて手で覆った。狭いベッドの左側から、人肌の柔らかな温もりが伝ってくる。
しまった。遂にやってしまったと、気恥ずかしさと罪悪感が充の脳をチリチリ焼いていく。それと同時に、えもいわれぬ高揚があるのもまた事実だが。
そうして充が頭を抱えて赤くなっていると、となりで布団を被って眠る美幸がもぞもぞと身じろぎを始めた。
「んんー。みっくん、もう起きてたの? 早いねぇ」
ひょっこりと中から顔を覗かせた美幸は、未だ眠たそうな目でふにゃりと笑い、充の頭に白く艶やかな腕を伸ばしてぽんぽん撫でる。
末端冷え性らしい彼女の、温もりと冷たさが頭皮にじんわり広がった。
「……あ、結局私達あのまま寝ちゃったのか」
「う、うん。そうみたい」
恥ずかしそうに目を逸らしながら生返事する充。それほどまでに、昨日の夜は鮮明に記憶に刻まれたらしい。
そんな初々しい様子が、かえって美幸のイタズラ心に火をつけた。もっとも、彼女も昨夜が初めての夜だったのだが。
「みっくん、恥ずかしいの?」
「あっ、当たり前だろ! 初めてだったし、心の準備も出来てなかったし……」
「その割にはみっくん、まだ元気そうだけど?」
「えっ?」
思わず充が振り向いた瞬間、気付けば彼は美幸に押し倒されていた。
「チェックアウト、九時だったよね? まだまだ、ヨユーだね」
耳元で、彼女がイタズラっぽく囁いた。
この時ばかりは、二人を隔てるものなど何もない。
朝日が青い秋晴れの空にきらめいていた。
*
夜。成田空港の男子便所の個室に入り、土肥はポケットから普段使いのスマホとは違う黒いガラケーを取り出し、番号を打って耳に当てた。
「もしもし、トンビですか?」
ツーコールの後、電話口にそんな女性の声がした。畏まった口調の、凛々しい声色だ。
「そうだ、カラス。寝てたんならすまない」
土肥は、ほんの少しそう言って笑みを浮かべて返事する。一方、カラスと呼ばれた女性の方は、「いえ、大丈夫です」と相変わらずの堅い口調でそう返す。まるで機械か何かのようだ。
「成田に着いた。今から飛行機に乗って予定通り渡米する。『Jr.』のUSBも、しっかりカバンに入ってる」
カラスの言葉遣いに一瞬の苦笑を見せた土肥は、すぐに顔を能面のようにして、低い声でそう言った。
「かしこまりました。貴方は我々の目です。先に確認した手筈の通り、その子を受け渡して下さい」
よろしく頼みましたよ。カラスはそう言って、通話を切った。
土肥はふぅ、と小さくため息をついた後、ガラケーをスーツの内ポケットにしまいこんで、何事もなかったかのようにトイレを後にした。
「大臣、お待たせしました」
土肥は空港のソファーで、数名の取り巻き達に囲まれている和田のもとに早足で舞い戻ると、そう言って頭を下げた。
そんな彼に気づいた和田は、慌てたようにスマホをスッと隠すと、急いで顔を上げて「おっ、おお、お帰りなさい」と言って何度も頷いた。
「大臣、失礼ですが何をそんなに慌てておられるので?」
「えっ!? あっ、いや、そんなこと無いですよ? 全然、全然慌ててなんて……なぁ?」
不思議そうな顔をしてそう追及する土肥に対し、和田はとっさに取り繕おうとすぐ横で事務作業をしている秘書に突然話を振った。
議員になる前から付き合いのある、信頼のおける頼れる部下だ。きっとフォローしてくれるはず。そんなすがるような目で彼女を見上げる和田。だったが、
「土肥さん。大臣実は、娘さんの写真を見てさっきからずっとニヤニヤしてたんですよ」
銀縁のメガネをくいっと上げて、彼女はクールにそう答えた。瞬間、和田の顔が恥ずかしさで真っ赤に染まる。
「ちょ、おま! なんで言っちゃうんだよ!」
「良いじゃないですか別に。大臣が娘さんラブの親バカだってこと、もう日本全国に知れ渡った周知の事実です」
「周知の事実ってお前、そもそもその話広めたのお前だろ!」
「えっ、マッさんなんで知ってるの!?」
気付けば二人は、土肥や他のメンバー達の前で痴話喧嘩の様な激しい口論をしはじめた。秘書の方に至っては、取り繕った敬語すら既に剥がれている。
そういえばこの二人幼馴染みだったなと思い出しながら、土肥はすぐ近くにいた取り巻きの一人にこう聞いた。
「大臣、そんなに娘さんのこと好きなんですね」
「ええ。そりゃもうメロメロです」
「へぇ……」
仲良く喧嘩する二人を、一行はしばらく生暖かい目で見守った。