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第61話 はじまりの日

 十月。ようやく秋の訪れを感じられるようになった頃、二人は計画を実行に移した。

 新幹線と夜行バスを駆使して、最終的に鹿児島辺りまで落ち延びる。それが、充が精一杯の若い浅知恵を捻って考え抜いた計画だった。

 

「お金とかはどうするの?」

「銀行から全額下ろして、現金だけにする。凍結させられるかもだから」

「みっくんにしては良く考えてるね。上出来」

「ひっでぇ……」


 決行一週間前に交わした言葉が、新幹線に乗る充の脳裏にありありとよみがえる。

 もうじき日が沈む。今日はこのまま岐阜羽島で降りた後、一泊する予定だ。翌日からは高速バスに乗り、神戸から一旦四国に渡る。

 自分の作戦が、全て上手く行くとは思わない。だが、それでも諦めるつもりなど、充には毛頭無かった。


「絶対に成功させる」


 美幸を守って、何がなんでも添い遂げる。決意と自信はまるで、熱病のように若い彼を蝕んでいった。

 充の横で寝た振りをする美幸は、そんな彼の手をほんの少し強く握ってやる。まだ、充は若い。なんとか自分が守ってやらないと。


 車窓から、鮮やかな夕日が顔を覗かせる。二人は、互いにそう固く決意した。



 *



 鎌倉・名越の町を、夜の闇が包み込む。


「そいじゃ、私ももう寝るわぁ」


 大きくあくびをした朝日はそう言って、自身の寝室へと引っ込んでいった。既に時刻は午前零時を過ぎた頃。剛も朝日も眠り、リビングには充と美幸の二人だけが残された。

 カタカタと、充のノートパソコンを叩く音が響く。休み明けの仕事の準備らしい。

 せっかくの休暇だと言うのに熱心なことだ、と、そんな彼を美幸は感心とも呆れともとれるような目で見つめて微笑む。


「ずいぶんワーカーホリックになっちゃったのね、みっくん」

「宮仕えだからね。それに、うちの部署俺含めて二人しかいないから」


 こんなだけど、ちゃんと課長なんだからね? と、ディスプレイから顔を上げた充は自慢げにそう語る。緊張も、最初のことを思えばずいぶん解けてきた。


「二人だけ? それって、窓際って言うんじゃないの? 閑職窓際公務員、大変ねぇ」

「うわ、ひっどい言い方。一応俺、有望株なんだぜ? 自衛隊でも、史上最年少の一等陸佐。凄いっしょ?」


 冗談めかしてそうつつく美幸に、負けじと充も対抗して自慢する。まるで子供の頃のような言い合いに、思わず二人とも頬がほころぶ。懐かしさが、じんわりと胸の中に広がってゆく。


「ふふっ。あの頃の生真面目で甘えん坊のちっちゃいみっくんが、今や立派になっちゃって。……時間の流れって、怖いね」

「うん。すっごい怖い。けど、それでもなんだかんだ楽しいもんでしょ? それに、変わんないものも一杯ある」


 さて一段落と、パソコンを閉じた充はそう言って縁側に腰掛ける美幸の横にぺたんと座り、コオロギやらスズムシやらの鳴く庭先に目を向けた。

 時代がいくらたてども、この庭だけはいつであろうと、いつもと変わらぬ景色を帰ってきた充達に見せてくれる。

 朝日のガーデニングの技量の賜物だろう。――そう言えば、朝日も全く変わらない。


「あらみっくん。ずいぶん詩的なこと言うようになって。公務員やめて、詩人とかにでもなったら?」


 充の言葉にクスクスと笑い声を漏らしながら、美幸がそう彼に言う。どうも彼女の中では、充はいつまでも高校生の頃の、無鉄砲なままらしい。


「生憎国語は苦手科目なもんでね。詩人なんて到底なれやしないよ。今の仕事、案外気に入ってるし」

「苦手科目は、やっぱり変わんないね」

「筋金入りだから」


 二人は互いに視線を交わし、堪えきれなくなって笑う。下らない。心底下らない会話。それでも、どんな会議や談合よりも価値がある。

 楽しく、面白く、それでいて無意味。そんななんの取り留めもない、人生でもっとも懐かしい日々と何ら変わらぬその会話に、充は心地よさを覚えた。そしてそれと同時に、心にずっと空いていた大穴の正体にも気がついた。

 ずっと、長い間求めていたものは、きっとこれだ。

 関係が別たれて十五、六年。充はようやく、答えにたどり着いた。瞬間、心の内から、すっと何かが削ぎ落ちた。充は美幸と、こうして話しているだけで、充分にもう幸せなのだ。



「そろそろ眠くなって来ちゃった。私、先にお休みするわ」


 しばらくなんの取り留めもない会話を交わした後、美幸はすっと立ち上がってそう言った。

 静かにフローリングを踏みしめて、寝室へと向かう彼女。充は思わず、こう聞いてしまった。


「もし時間を巻き戻せるとしたら、美幸ちゃんはどこまで戻りたい?」


 ドアノブに手を掛ける直前、ピタリと動きを止めた彼女はゆっくり振り返ると、爽やかな笑みできっぱりと、こう答えた。


「私、今が一番幸せかな」


 お休みなさい、みっくん。寝室に消えてゆく彼女を、充もまた清々しい顔で見つめていた。

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