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第60話 ファンは良く似た青年で

 交際から二年ほど経ったある日、その時は突然訪れた。


「みっくんごめんね。私達、別れなくちゃ行けなくなっちゃった」


 夏休み。例年通り二人で行った伊豆の砂浜で、美幸は充にそう告げた。

 北条家は名家の部類に入る家。曾祖父の、さらに前の代から議員やら社長やら大手企業役員やらを輩出してきた。

 名家特有のその弊害からか、はたまた男手一つで育てた愛娘を想う不器用な彼女の父の親心からか、美幸は彼女の父がよく知る地元議員の子息と結婚することが、当事者を挟むこと無く決まった。


「んな時代遅れなことってあるかよ……」


 砂浜に腰を下ろして並ぶ二人。悲しげな顔で俯いてしまった美幸に、充は頭を抱えて心の声を漏らしてしまう。

 あまりに時代錯誤も甚だしい。そんなバカな話、今時あり得るものなのか。厳格な顔立ちの、よく日に焼けた浅黒い肌の伯父の顔が、充の脳裏に浮き上がる。

 確かに古風な考え方の人だ。その上、楽天的でのんびりとした性格の祖父母からどうしてこんな人が産まれたのかと想うほどに厳しい。

 せめて祖父母の助太刀があれば、或いはなんとか打開出来たかもしれない。だが既に祖母はこの世におらず、祖父も認知症が進んで老人ホーム。今や息子や充達孫の顔すらわからない。


 充は必死に考えた。美幸と交際を続けられる方法を。そのあまりに若く、青臭い頭を煙が出るほど回転させて。

 誰にも相談などせず、美幸とたった二人だけで、幾度も幾度も作戦を練り、思案した。

 気付けば季節は初秋。死に物狂いで解決策を考え抜いた充は遂に、一つの答えを導き出した。そうだ、これなら行ける。きっとこれなら。

 時刻は夜の十時頃。充は美幸に電話を掛けた。


「俺ら、駆け落ちしよう」


 目には目を、前時代には前時代を。

 このとき美幸がもし彼の申し出を断っていれば、未来は変わっていただろう。

 彼女は小さくため息をついた後、「何をバカなことを」とでも言うような、呆れたような声色でこう言った。


「うん。やろっか」



 *



「剛。この人が前々から話してた充君。あんた、一度会いたかったんでしょ?」


 呆然と立ち尽くす充の横に肩を並べて、美幸がそう眼前の青年に紹介する。瞬間、少年の瞳が宝石のように輝いた。


「えっ、ほ、本当に充さんですか!?」


 持っていたバケツから水が溢れ出しそうなのを気にするそぶりすら見せず、剛は充に駆け寄っていく。そうして彼の目の前に立ち、呆気にとられている充の手を取りこう言った。


「僕、充さんのファンなんです!!」

「えっ?」


 衝撃的な出会いと、間髪いれずに放り込まれたその情報に、充は思わず聞き返す。そんな剛の後ろの方で、「剛君、早えぇよぉ……」と、朝日の弱々しい声が聞こえた。




「――つまり剛君は、フルダイブ技術開発に関わってたメンバー全員に憧れてて、中でも俺のことを、その、尊敬? してるってこと?」


 墓参りを早々に切り上げて、一行は冷房の良く効いた北条家へと戻ってきた。

 ヘロヘロになった朝日は既に、クーラーの風が一番良く当たるソファーの上に仰向けに寝そべり、半ば溶けかかっている。まるで猫だ。


「はい、そうです! 在学中に出した論文や、研究途中でのレポートも、ネットに上がっているものは全部読ませていただきました!」


 フローリングの床に正座して、畏まった居ずまいで剛は何度もそう頷く。凄まじい熱量だ。ここまで来ると少し暑苦しい。


「研究も、初期の頃は充さんが主導してらっしゃったんですよね?」

「ま、まぁ一応そうなるのかな? 多分。でもそんなに大それたことしてないよ?」

「いえいえとっても凄いです!! 何十人もいるアクの強いラボの研究生さん達や学者さんを引っ張っていってたんですから!」


 アクの強いってのは流石に……と口に出そうとして、いやでも確かにその通りだなと充は心の中で思い直す。誰か手綱を引く人間がいないと、途端に空中分解しそうなメンバー達ばかりだった。

 それが今では海外に支所が出来るほどの企業を作り、その中核を協力して担っているのだから、本当に人生何があるかわからない。


「充さんの出した論文の中で僕、一番好きなのが『夢見る羊の国防論()』なんです! フルダイブ技術の発明直前辺りに書かれてますよね? ユメカガクに合流せずに自衛隊に入ったのも、やっぱり関係が?」


 剛は前のめりになりながら、食い入るようにそう聞いてくる。最早鼻息の当たる距離だ。

 とはいえ彼、ファンと言うだけのことはあって本当に充のことを良く知っているようだ。ずいぶん的を射た鋭い質問を投げてくる。

 夢見る羊の国防論。『Jr.』を開発し、渚沙と決別した直後に感情のまま、勢いのまま充が書きなぐった、言わば黒歴史ノートにあたるような論文だ。

 フルダイブ技術を国防に積極的に取り入れていくことの重要性と、それに対して否定的な見解を取りそうな組織への批判等々を盛り込んだ、良く言えば熱く若々しい熱意の見える、悪く言えば青臭い文章。

 もっとも、この論文と『Jr.』がなければ、充は三十歳で異例の一等陸佐の地位に登り詰められなかっただろうし、今の立場も、発言力もなかっただろう。

 そういう意味では、充にとって無くてはならない()()の一つと言える。


「まぁ、あの論文が縁を結んだのは事実だろうね。あのままユメカガクにいても俺の立場なかっただろうし」


 充は少し自嘲気味に笑って庭先から見える秋空を眺める。そうして、この対面する自分に良く似た青年に、こんな言葉を投げかけた。


「剛君。君はフルダイブを、どうしたい?」


 笛吹ケトルの音が響く。キッチンでドタドタと、美幸が慌ただしく動く足音が聞こえた。

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