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第59話 潮騒は遥か果て底に

 充は足が動かない。まるで地面に釘打たれたかのように。そのまま彼は自身の動悸を悟られぬよう朝日と組んでいた腕を解くと、バツの悪そうな顔で俯いた。


「姉ちゃん、知ってたな?」

「知ってたもなにも、ちょっと前から宿泊中だ。玄関から入ってこなかったのが運の尽きだな」


 充に問い詰められた朝日は、悪びれる様子もなく含み笑いして彼の腕を鷲づかみにする。


「そら、歩け! 早くしねぇと日が暮れるぞお」

「あぁー……クソ」


 充は肺が空になるほどのため息をついて、顔を上げる。

 二人に気付いた美幸は、最後に会ったときと変わらぬ笑みで二人を見つめていた。



 *



 伊豆に住む二歳上の従姉の美幸には、充は大層可愛がられた。

 祖父母と縁側で番茶をすするのを楽しみにしている兄や悪路の苦手な朝日と違い、充は彼女に乞われれば、どんなところでも「うんうん」と二つ返事でついていった。

 一人っ子の美幸にはそれが、素直で可愛い弟が出来たように思えたのかもしれない。

 一方の充の方は、自分の知らないことや見たこともない場所に連れていってくれる、物知りの優しい彼女に次第に恋心を抱いていった。

 お互い母親が居ない家庭だったと言うこともあって、目に見えないシンパシーのような物を感じていたのも、或いは事実だっただろう。


「美幸ちゃん。あの、さ……」

「んー? どしたの?」


 中学二年の夏の夜。充は思いきって彼女に告白をした。美幸は当時高校一年生。静岡県内の名門私立高校に通う、品のあるお嬢様になっていた。

 半ばダメ元の告白だった。人並みに勉強が出来る自信はあったが、それでもこの当時はまだまだ柔道一筋。美的センスも無く、格好の良い口説き文句の一つも知らず、まして見映えの良い顔でもない。

 自分の心に踏ん切りをつける為だけのチャレンジだった。ものの見事に彼女に振られ、それでキッパリ諦めよう。そのつもりだったのだが……


「みっくん。私ね、同じこと今から言おうと思ってた」

「え?」


 大きな花火が夜空に咲く。焦げ茶色の長い髪が夜風になびく。彼女はそう、恥ずかしそうにおっとりとした目を細め、八重歯を見せて笑った。

 充の人生の歯車は、丁度ここから狂い始めた。


「遠距離になっちゃうけど、大丈夫?」

「うん、スマホあるから!」



 *



「久しぶり。美幸ちゃん」

「うん。久しぶりだね、みっくん」


 北条家之墓とかかれた墓石の前で、気まずそうに目をそらして言う充に、美幸は以前と変わらず優しげでおっとりとした声でそう返す。

 先程までとなりに居た朝日はそんな二人を置いて、さっさと水汲み場へと行ってしまった。


「元気そうで良かったよ。てっきり、もっとやつれてるもんだと思ってた」

「どこかの誰かが毎月甲斐甲斐しく仕送りしてくれるお陰で、親子二人元気に暮らしてるよ」


 その言葉を聞いて、充はようやく顔を正面に向け直して視線を交える。美幸は「ありがとね」と、八重歯を見せてはにかんだ。

 美幸はもう何年も前に離婚して、以来息子の(つよし)と二人きりで生きてきた。その子ももう、今年で十五になるのだったか。顔写真すら見たことはないが。


「剛君、もう受験生だったっけ。高校選び、順調?」


 ぎこちないながらも、充はふとそんなことを聞いてみる。

 一度沈黙を許せば、そのまま朝日が戻ってくるまで静かなまま気まずい時を過ごすことになるだろうことは明白だ。話題を、途切れさせてはいけない。


「うーん、まぁまぁかな。あの子、すっごい悩んでるみたい。憧れの人みたいになりたいからって」

「憧れの人? 野球選手とか?」

「あなたよ。みっくん」


 間髪いれずに美幸は彼に、真っ直ぐそう答えを投げる。

 衝撃のあまり言葉も出ない充。なにかを言おうと口をぱくぱくさせて、何度も瞬く。頭の中は、予想外の答えに真っ白だ。


「あの子、いつかあなたみたいな研究者になるんだって、すっごく息巻いてる。あの子に夢を見させてくれて、ありがとう」


 美幸は一歩前に出て、今日一番の笑顔で笑う。

 そんな大層なもんじゃない。憧れられるような人間じゃない。心の中で反駁(はんばく)するも、それは喉から出ていかない。


「う、うん……」


 結局充は、また目をそらしてそう小さく頷いた。そうすることしか、出来なかった。


「母さん!」


 ふと、スニーカーの足音と共にそんな声がすぐ後ろから聞こえる。声変わりしたての、まだまだ若い男の声。

 思わず振り返った充は、その顔に呆気にとられてしまった。


「あの子が剛。会うのは初めて、よね」


 癖のある短い黒髪に冴えない顔立ち。眼鏡をしていると言う違いこそあれど、その顔はまるで、充の生き写しのようだった。

 胸の中が、潮騒のようにざわめく。

 喉元まで出たその追及の言葉を、充は生唾と共に飲み込んだ。口にすることが、恐ろしかった。

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