第38話 話し合いは腹を割って
「あら、もうバレちゃった感じ?」
充の言葉に、渚沙はさしたる動揺を受ける様子もなく、余裕綽々と言った様子で聞き返す。発覚は、想定の範囲内の事だったらしい。
「やっぱり、か」
「うん。でもナンコー君、お互い様でしょ? 私達」
姿勢はそのままに、にっこり笑う彼女に、思わず充が動揺する。なるほど、そっちも既にバレてたか。
「お互い、隠し事が出来んのも変わらんな」
「勝手知ったる仲、だからね」
これで状況はイーブンだ。どっちの優位も関係ない。
「ちなみにだが、俺の件はどこまで知ってる?」
「君が歴代最年少の三十歳ジャストで一佐にまで登り詰めた、その理由だってこと位かな。土肥さんが丁度陸幕の人事部に居た頃と被るからね」
なるほど、となるともうかなりバレているらしい。
確かに充が一佐に昇格する一年前、土肥は陸幕に異動になった。その頃には既に、和田も防衛大臣に就任している。
別段充からなにかを言ったわけではないが、あれが彼の出世に大きな影響を与えたのは事実だろう。
「さて、それじゃ次はこっちの番だ。どこまで知ってる?」
ソファーから少し腰を浮かせ、渚沙は前のめりになって充の顔を覗き込む。下手に嘘をついて、後々何かあったら面倒だ。
「七年前の十二月二十五日の朝方、『Jr.』のUSBが大誠の家のポストに入っていた。そこまでしか知らん。大誠は俺が犯人だと思って北海道まで呼び出したらしい。そこまでだ」
充は少し早口になりながらそう答えると、「ふぅーん」と不敵な笑みを浮かべる渚沙を睨む。否定する気は、更々無いらしいな。
「なんで、大誠にあれを?」
「なんで、ねぇ……」
渚沙は充の言葉を反復し、姿勢を起こして立ち上がる。そしてカーテンを一つずつ丁寧に、丁寧に閉めながら、まるで流すように、とるに足らないことのように言った。
「あいつに勝ちたかったから。それだけ」
夏日に透かされたその瞳はほんの少し寂しげで、今日の空のように澄みきっていた。
ただ純粋に、高校時代から神童とまで言われた天才科学者・足立大誠に勝ちたかった。負けず嫌いの彼女なら、表裏なしにそう思っていたのかもしれない。
そもそも、共に『Jr.』を作ったのも、その思惑があったからなのかもしれない。少なくとも、今の彼女が嘘を言っている風には、充には見えなかった。
「勝ちたかった、か」
「そう。勝ちたかった。純粋に、科学者として。そして、それを知らしめてやりたかった。……彼女さんの事は、あとから知ったんだ」
うつむき加減でそう答えた渚沙は、パッと顔を上げて逆に問う。
「ナンコー君はなんで? どうして自衛官になって、『Jr.』を?」
全てのカーテンを閉め切り、ほんの少し薄暗くなった部屋で渚沙は背を壁に預け聞く。
答えない選択肢は、無さそうだ。
「大江さんと和田さんへの恩返しが一つ。もう一つは、フルダイブ技術を守るためだな」
テーブルの上にあった、麦茶入りのコップに口をつけ、さらに充は続ける。
「フルダイブを、守る?」
「そう。この国は、体質的に変化やら新技術やらを敬遠する。一時期盛り上がったP2Pシステムが圧殺されたのも、その体質からだ……そんな日本のアレルギーから、フルダイブを守る。その為に、俺は『Jr.』を売って自衛官になった」
結局、今は出向に次ぐ出向でこんなところに居るけどな。と言って、充はコップの中を空にした。
国に潰されないようにするためには、国にとって有益であると証明するため。
かつて総務官僚だった大江静は、その新技術の有用性に早い段階で目を付けていた。と同時に、充と同じような危惧をもっていた。
二人の利害が一致したのに加えて、当時外務大臣だった現首相の源がアジア東部を中心とした諸外国・地域との共同体『マニラ条約機構』を発足させたのもタイミングが良かった。経済協力と防衛に重きをおいた共同体の最大の意義は、新冷戦体制における日本の地位確立とアメリカの主導する西側諸国への貢献。
東アジアのリーダーとして防衛力強化の必要に迫られた日本には、この新技術の防衛転換は願ってもない話だったろう。
結果、大江と充、そして防衛省にパイプのある和田の三人は、内部協力者の土肥を引っ提げて共謀。今に至るのだ。
「最初はお前と同じだったよ。大誠に勝ちたかった。あの教授に勝ちたかった。でも……どうでも良くなった。花が死んで、脱け殻みたいになったあいつを見たらもう、な」
コップに残った氷が、カランと音を立てて溶け始める。
最初はそうだった。作っただけで満足だった。優越感に浸れるだけで良かった。
だが、動かなくなった婚約者の手を握って慟哭する幼馴染みの嫌に小さな背中を見ていると、何か別な思いが込み上げてきた。
「ナンコー君。君、私がやらなくても同じことをやったろ?」
「……かもな」
空っぽのコップが、対面する満杯の渚沙のコップを透かす。
「あの日、目に見えて変わったあいつを見て、怖くなった。このままじゃ、この技術も研究も、学者もみんなきれいサッパリ無くなっちまうと思った。何でかはわからないけど、そう思った。……だから、大江さんの求めに応じた」
もし万一表で何かがあっても、裏にバックアップを残しておけば技術は生き続ける。
雑草の根のように、裏方で広く、深く根を張る。そうすれば、気づいた頃にはフルダイブは無くてはならないものになる。世界に、無意識に取り込まれて溶け込む。
「俺から話せることは、これだけだ」
嘘は何一つ言っていない。言ってはいけないことは、そもそも話題にも出していない。それも、お互い様だろう。
「私も、全部話した」
「なら、お開きだな」
「うん」
充はスッと立ち上がり、出口に向けて歩を進める。そしてドアノブに手を掛けたところで、「あっ」と思い出したように回れ右して言う。
「大誠からお前に伝言だ」
「なに?」
「ありがとう、だとさ」
それっきり、充は振り返ること無くその場を後にした。
「ありがとう、ね……」
無人の部屋で、渚沙は勝ち誇ったような笑みを見せ、ぼそりとそう呟いた。