第37話 職場に帰るまでが出張です
すごく暇だ。静かなオフィスで事務仕事に一段落つけた優輝は、背伸びをして溜め息をつく。
昨日信也から聞いた話は全て本部に送って個別に調査して貰えるよう手配したし、捜査対象は明日まで帰ってこない。完全にフリーな状況だ。
つくづく優輝は、自分が事務方に向いていないことを思い知らされる。現場で実際に体を動かしたり、コミュニケーションをとったりしている方が彼女には合っているようだ。
……もっとも、こんな目になってからはあまりアクティブなことは出来ないが。いや、だからこそなのかもしれない。
体を動かしたい。誰かと適当に駄弁りたい。一刻も早くデスクワークから離れたい。そんな彼女が思い立った唯一の解決策は、
「そうだ、九龍亭に行こう」
*
「で、ここに来たのか」
「そうなりますね」
九龍亭のいつもの席に腰を掛け、カウンター向こうで大きく溜め息をつく九龍に、優輝――茶々丸は大きくうんうんと頷いた。
「君ねぇ、大体この店がなんの店か覚えてるかい?」
「なんの店ってそりゃ、九龍さんがやってる秘密の情報屋でしょう?」
「あぁそうだとも。私がこっそり隠遁プレイを楽しむために作った半地下の極秘情報屋だ。でも見てみろこの内装を!!」
両手を大きく広げて、九龍は店全体を指して言う。
最初に来た頃とは随分変わって、綺麗に整頓された店の壁や本棚には、至るところに額縁に入った絵画のごとき写真達が大量に飾られている。まるで写真館だ。
「君らがライトを連れてきてから、アイツ毎日のようにここに来ては写真を投棄して行きやがるんだよ!」
「良いじゃないですか。鬱屈としてた雰囲気が明るくなって」
「良いわけあるか! 折角スラムの片隅にある掃き溜めみたいな雰囲気で超重要な情報を取り扱ってる隠れ家的な店を演出してたのに……」
あぁ、なんたることか。と、九龍は頭を抱えてうつ向いてしまった。でも、良く考えてみると、
「結局お客さんが来なかったら同じでは?」
「あ、君今一番言っちゃならんこと言ったぞ」
「えぇー……」
茶々丸は差し出された緑茶に口をつけ、ホッと一息つく。痛覚系統が遮断されているので温度こそ感じづらいが、その分匂いや味はかなり鮮明に再現されている。ユメミライ恐るべし。
「あれ、そう言えば今日は相方居ないんだね」
しばらくそのままほのぼのとしていると、ふと九龍がそんなことを言い始める。
「いっつも君と行動してるから、なんか不思議な感じだな」
「あはは……今日はたまたま都合が合わなくって。また明日連れてきますよ」
「ノーサンキューだ」
二人はそう言い合って、また湯呑みに口をつける。
相方は今……
*
「やっほー、ナンコー君! 久しぶりだね」
待合室の扉ががちゃりと開き、渚沙はそんな昔と変わらぬ口ぶりで部屋へと入ってきた。
「お、おう。久しぶり。元気だったか?」
ソファーに腰かけていた充は慌てて立ち上がり、気恥ずかしそうに視線をそらして右手を挙げる。
最後に言葉を交わしたのは、それこそ大学卒業の一ヶ月以上前だったのではないか。そう考えると、実に七年ぶりの会話になる。当然、緊張の一つもするだろう。
「あら、ナンコー君。恥ずかしいの?」
「なっ、バカ。んな訳ねぇだろ!」
そんな充を面白がってか、渚沙はそらした視線の先に回って顔を覗き込む。とっさに充は右手で彼女の視線を遮り、一歩、二歩と後ずさる。
「ふふっ……変わんないね、ナンコー君は」
「……お互い様だな」
ようやく目線を上げた充はそう言って、二人同時にテーブルを挟んで向かい合うよう、ソファーに腰掛けた。
「それじゃ、あとは若い者同士ごゆっくりー」
ニヤニヤしながら、右手をヒラヒラさせて部屋をあとにする土肥。ここにも昔から変わらない人が居たかと苦笑いして、充は改めて顔を渚沙の方に向け直した。これで、二人きりだ。
「土肥さん、面白い人だよね」
最初に口を開いたのは、渚沙だった。面白そうに扉と充を交互に見て口元に笑みを浮かべ、垂れ下がる焦げ茶の髪を耳に掛けた。
そんな仕草と言い、物言いと言い……本当に昔から変わらない。だからこそ、かえって今のスーツ姿がアンバランスに見えるのだ。
「まぁ悪い人じゃないのは確かだな」
うんうんと充も頷いて、当たり障りの無いよう返事する。そのとき、ふと視界に壁掛けのカレンダーが飛び込んできた。今日は木曜。それがどうも気になって、今度は充から質問を投げ掛けた。
「お前、今日水曜じゃねぇけど、良いのか?」
渚沙は昔から、謎のマイルールに沿って行動してきた。と言うか、そのマイルールで周りを振り回してきた。
原則水曜日にしか行動しない。大学生の頃は、それでもまぁ講義には必要最低限出席してたし、ラボの方も回っていたからなんとかなっていたのだが。
「ずっと気になっててな。社会にでてもあのルールで生きてんのかなって」
流石に今はそう言う訳にはいかないだろう。いくら変わらないとはいえ、そこは変わっているはず。と言うか、変わっていなければ困る。そう思っての質問だったのだが、
「あー、基本的にはそのまんまで生きてるね。どうよ、凄いでしょ?」
あっさりとそう答えた渚沙は、オマケと言わんばかりにサムズアップして見せた。それで良いのかユメミライ、ユメカガク……。
「今はリモートでも働けるし、私のところは部下の子達も優秀だしね。それに装備庁との話し合いだって、タインが渋ってる内は進まない。お陰で私はルールを崩さず生きていける。でも、」
「でも?」
「今日に限って言えば、例外中の例外だね」
言い終わるや否や、左右の手を組み、渚沙は姿勢を前に倒す。そして、先程までのにこやかな顔を一気に引き締め、真面目な顔でこう言った。
「それじゃ、早速用件を聞かせて。今日はその為に、わざわざ予定を合わせたの」
かつて、文字通り同じ釜の飯を食った同居人の、見たこともないその表情。思わず呆気にとられた充は、それでもなんとか持ち直し、生唾を飲み下して話を切り出した。
「今日は、『Jr.』の件で話があってな」