第34話 惚れた弱みに呪われて
大学の研究室で、充はいつものように大誠や信也達と共に研究活動に従事している。こちらは渚沙と行っている非正規のものとは違う、正規のものだ。
「いやぁーそれにしても、大江さんのお陰でずいぶん良い設備が整ってきたなぁ」
キーボードを叩く手を止め、信也がふとそんなことを言う。
この頃はまだ、大江静は一介の議員。だが、世界初のフルダイブ技術発明を期待して、実妹の口座を経由し、去年の暮れからかなり巨額の資金援助を私的に行っている。勿論、非公式ではあるが。
その甲斐あって、私立大の小さな研究室ながら北条ラボは、他の大学の研究室を遥かに凌駕する研究設備や環境が充実している。
研究も、あと一歩の所まで来ていると所長の北条繁は言う。遅くとも五年以内。早ければ三年以内にはその技術が発明されている。そんな目算さえ、出ているのだ。
「いやまぁ、そうなんだがなぁ……」
嬉しそうに話す信也とは対照的に、ホワイトボードに数式をなにやら組み立てていた大誠は少し渋い顔をする。
「どしたの?」
「こんだけの設備整えて貰って言うのもなんだけど、もし仮にフルダイブが完成しても、結局は政府に良いようにされるだけじゃねぇのかって思うんだよな」
折角の技術を、政治や利権争いの道具に使われるのは御免だと言う研究者、学生も、このラボには大勢いる。何より当の所長がそう言う考えを持っているのだ。
もっとも、現実的に考えて国からの援助を蹴れば研究が成り行かないのも事実だから、ある程度は仕方がないと考えてはいるようだが。
「まぁまぁ、まずは研究が成功しなくちゃならんわけだから」
「そうは言ってもなぁ」
電動車椅子を器用に操作して振り返った信也の言葉に、それでも難しい顔を続ける大誠。そんな二人の会話に、設備の点検をしていた充が近づき、言った。
「いいじゃないか、良いようにされても。それでこの技術が後々まで残るんだったらよ」
充のこの考えは、ラボでは少数派の部類に入る。とは言え、その支持者が一定数居るのも事実だ。
「残りゃ良いってもんでもないだろうに。ちゃんと社会に役立つ様に広まんなきゃ。それに政治家の道具みたいにされたら、たまったもんじゃない」
「道具にならもうなってる。大江さんだって、この研究の成功を手土産に党の立場を底上げする魂胆だろうしな。だったらいっそ、その話に乗ってやって、利権の欲しい政治家から金を巻き上げりゃ良い。そうすりゃ、もっと良い研究も出来るだろ」
「あーあ。また始まったよ……」
大誠と充は最近、顔を合わせる度にこんな舌戦ばかり繰り広げている。そして決まって、
「「んで、しんちゃんはどう思うよ?」」
「どう思うって、なぁ……」
信也が板挟みにあう。昔から、気質の違う二人の間に入ってクッション役を買って出ていたから慣れてはいるが、流石に連日この調子だと疲れてくる。いっそ酒でも飲ませて泥酔させれば、大人しくなるのだが……。
「あら、二人ともまーた何か言い争ってるの?」
ふと、信也の背後でそんな声が聞こえてきた。信也は顔を横に向けて振り返る。
「三浦っちも、損な役回りだよねぇ」
「あぁ、ナギか」
そこには、あきれ顔で腰に手をやる、白衣姿の渚沙の姿があった。
「そういや二人とも、高校のときからこんな感じだったの?」
「高校どころか幼稚園の頃からこんなだな。頻度こそ今のがよっぽど多いけど」
「考え方、正反対だもんね」
二人は思わずため息をついて苦笑する。似た者同士の苦労人。絡みこそそれほどあるわけではないが、不思議とシンパシーを感じるらしい。
「これ、どうする?」
「いやー、もう放置で良いと思う。俺も作業戻るし」
「ん、わかった。私はそろそろ帰るから、落ち着いたらナンコー君にそう言っといて」
「りょーかい。おつかれさまー」
そう言って信也は、私物を纏めてラボから出ていく渚沙を見送る。充の過去を知っている者からすれば、少々複雑な心境だ。
「あれ、ナギは?」
しばらく経っていつもの口論も一段落ついたのか、充がそう言いながらキョロキョロとラボの中を見渡す。やれやれ、やっと終ったか。
「もう帰ったぞ。お前らが不毛な事やってる間にな」
「え、マジか」
信也のため息混じりの報告に、充は残念そうな顔をする。コイツ、本当に何なんだ?
「……みっちゃん。そろそろ身の振り方、決めた方が良いんじゃねぇの? この前だって、また伊豆に郵便局で仕送り送ってたろ」
充の優柔不断さは、信也が良く知っている。
こいつは二者択一が迫られたとき、散々迷ってたたらを踏んで、挙げ句どっちも選ばない。なんてことを平然とやるような男だ。
それでなにも気にしていないならまだ良い。ところがどっこいこの男、しっかり後悔してしまう。そう言う男なのだ。
「そもそもお前の初恋ってその人、旦那も子供も居るんだろ? だったらもう――」
「俺だって、分かってる。でも、さ……」
信也の言葉を遮った充は困ったような顔をして、静かにボソリと呟いた。
「惚れた弱みって奴、かなぁ」
充は未だ、呪われている。
彼らのフルダイブが完成したのは、その日の夜の事だった。