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第33話 秘密は誰にもあるもので

 ――七年半前、東京都心某所


 じっとりとした暑さが、世間を席巻している。未だ梅雨明けすら宣言されていないと言うのに、もうセミの声すら聴こえてくる。

 そんな、日本屈指のヒートアイランドの中心……の、とある喫茶店に、一人の女性が熱心にノートを開いて、シャーペンを走らせていた。大学生だろうか。だとすれば、課題に追われているのかも知れない。

 クーラーの効いた狭い喫茶店はこの初夏のうだるような暑さに耐えかねた客たちで大盛況。テーブルもカウンターも満席で、皆例外なく冷たいものを片手に涼を取っている。

 そんな満載の避暑地唯一の空席は、まさにその彼女の腰掛ける席の、テーブルを挟んで向かい側。席には白い手提げカバンが無造作に投げ置かれており、もう一人がいずれここへ戻ってくることを主張する。


 カランコロン


 喫茶店のドアベルが鳴る。瞬間、女性はノートに向けていた視線をパッと上げ、出入り口に目を向けた。

 暗い茶髪のロングヘアーが微かに揺れる。たれ目がちの彼女は眉を凝らして入店者を確認し、思わず表情を弾けさせた。


「ナンコー君、こっちこっち」


 男にしては小さな背を目一杯伸ばして、座席をキョロキョロ探す彼に、彼女はスッと立ち上がり、小さくそう言って手招きする。

 ナンコー君と呼ばれた彼もそれに気付いて右手を顔の高さまで挙げ、他の座席を避けながら彼女の席までやって来た。


「ごめん、ナギ。郵便局結構混んでてさ」


 カウンターから出てきた店員にメロンクリームソーダを頼んだ彼は、置いていたカバンから「北条充 研究No.53」と書かれたノートとペンケースを取り出して、申し訳なさそうに謝罪する。


「大丈夫、混んでるのはここも同じだからね。でも……」


 彼女はそれを聞いて一瞬真顔になった後、致し方無しと言った表情で微笑んで、充の額に痛烈なデコピンを食らわせた。


「いだッ!?」

「コーヒー代、払ってもらうからね?」


 彼女は勝ち誇ったような笑みを見せ、垂れ下がった自身の髪を耳に掛ける。

 そんな彼女に、額を押さえる充は、「は、はい」としょんぼり項垂れて、渋々従うのであった。


 彼女の名前は新稲渚沙(にいななぎさ)。北条ラボのメンバーで、充と同じ三年生。そして彼の同棲相手であり、大いなる秘密の共有者だ。


「ふふっ……一息ついたら、またノート交換しようか」


 渚沙は目を細めながらそう言って、グラスに刺さったストローに口をつける。中のアイスコーヒーを透かした(つゆ)が、グラスと伝って流れて消えた。



 *



「「たっだいまー」」


 六畳半のボロアパートの一室に、二人の声が広がった。時刻は夕方六時過ぎ。昼過ぎから崩れ始めた天気のせいで、外は少し暗がりを帯びている。


「お風呂にする? ご飯にする? それとも……」


 先にドアをくぐった充が立ち止まり、人差し指を立て、回れ右して渚沙に問う。二人で一緒に帰ったときの、いつものノリと言う奴だ。

 勿論理解している渚沙。ニヤニヤしながら、充の次の言葉に被せて言った。


「「研究!!」」


 二人して玄関に靴を脱ぎ散らし、手を洗う間も無く居間へと急いで転がり込む。そして各々ノートを開き、パソコンを起動してキーボードを指で叩き始めた。

 黒くなるほどびっしり書かれたノートの中身と、無数にあるディスプレイを交互に見ながら、二人は頬を伝う汗すら拭わず背中合わせでその作業に没頭する。

 時折口にすることと言えば「No.50取ってくれ」だの、「そっちNo.8ある?」だの短い言葉のやり取りのみ。そして互いに、その求めに応じた番号のノートを手を伸ばして棚から出し、畳を滑らせて相手に渡す。まさに阿吽の呼吸という奴だ。


 気付けば時計は夜の九時頃を指している。重苦しい雲からこぼれた大粒の雨が窓を叩く。そんな雨も通り過ぎ去った数分後、


「「っあぁー!!」」


 またも二人は同時にそう声を上げ、大きく背伸びして畳に大の字に寝っ転がる。お互い、指先あと数センチという程の近い距離。

 二人とも満足げな、それでも少し物足りないような顔をして、目をしばしばと瞬かせる。あまりに集中しすぎて、瞬きの回数が極端に減っていたようだ。


「ナギ、目薬あるかぁー?」

「もうないよー。昨日君が自分で空の容器捨ててたでしょ」

「あぁ、そうだった……」


 よっこらせ、と上体を起こした充は、こぼれてくる涙を袖で拭って、ポリポリと頭をかく。


「確か冷蔵庫の中も空っぽだったか」

「だね」

「んじゃ風呂入ってから買い出しだな。先入るか?」

「おっ、ホント? それじゃ、お言葉に甘えよっかなぁー」

「おう、甘えとけ」


 そんなごくごく自然な会話を流して、渚沙は替えの服一式を抱えて風呂場へ消えた。

 もう、この暮らしをして二年が経とうとしている。

 大誠や信也と共に同じ大学に来て早三年。ラボに入ったのも最初は大嫌いな父親への当て付けと、故郷から少しでも遠く離れたいという思いからだった。

 自分がフルダイブ技術を発明して、鼻を折って、父や継母を見返してやるつもりだった。

 あんたらが捨てたも同然のガキが、出来の悪い次男の俺が、あんたを超えたぞザマァ見ろ。そんな風に言ってやるつもりだった。

 その為に、寝る間も惜しんで研究に身を投じてきた。大願成就出来るなら、青春も友もなにも要らぬ。その、つもりだった。


「なんだろなぁ」


 ふと、そんなことを思いながら、充はまた畳の上に寝転がる。

 もうそろそろ、夏休みの季節が来る。

 初恋の人と、たった一夜の駆け落ちをしたあの季節が。

 忘れられることのないあの季節が。

 未だ引きずり続けている、呪いのごときあの季節が。

 渚沙の想いは、とっくの昔に気付いている。それを素直に、嬉しいと思う自分もいる。明確な答えを出さなくてはならないことも、十二分に分かっている。だが、だが……


「駄目だな、俺」


 進むことも、退くことも、未だ充は決められない。優柔不断であまりに弱い臆病者。それが、北条充と言う男。今も昔も、彼の行動原理は他人本位。自分で決めたことなんて、両手で数える程もない。


「こんな大層なことが出来るのに、ホント……」


 No.1と書かれたノートをペラペラめくり、充は自虐的に笑う。

 始まりのページに書かれているのは「この研究は二人だけの極秘のもの」という一文。二人は今、ラボとは別の意思で研究を行っている。それぞれの、思惑を胸に。


「ホント、どうすっかなぁ……」


 ノートをバサリと投げ捨てて、充は二人のキーボードの間に置かれた黒いヘッドギアを見る。

 公式に、足立大誠がフルダイブ技術を発明したその半年以上も前の事。充と渚沙のフルダイブは、既に実を結ぼうとしている。



 *



 ――現代、東京都・株式会社ユメミライ本社二階


「三浦っち、珍しいね。私を呼び出すなんて」


 明かりの落ちた真っ暗なオフィスに、そんなのんびりとした女性の声が響く。渚沙だ。


「いやー、急に車椅子が動かなくなっちゃってね。長沼も帰っちゃったしどうしようかなぁーって思ってたら、そういや今日はナギが居るじゃんと思って。水曜だし」


 そんな彼女の言葉に、オフィスの奥、部長席から信也が困ったようにそう返す。

 余談だが、長沼と言うのは彼と良く行動を共にしている部下の事。黒ぶちの四角い眼鏡が良く似合う、仕事の出来る良い男だ。変態だが。


 だが、そんな信也の返答に、渚沙は「嘘つかなくても良いよ」と冷たく言い放つ。


「動かないんなら、レバーに手を掛ける必要はないでしょ?」

「……お手上げだ。流石だね、ホント」


 渚沙の鋭い追求に、信也は両手を挙げてやれやれと頭を横に振る。まったく、めざといのは相変わらず変わらないらしい。


「それで? 私を呼び出した訳は何かな?」

「いや、実はね……」


 信也はポケットから、小さなUSBを取り出した。


「これ、何か分かる? 大誠から貰ったんだけど」


 USBに貼られた白いマスキングテープには、シャーペンで小さく「Jr.」と書かれていた。


「なんで今日の昼、充のオフィスに訪ねたのか、それと併せて聞かせてもらっても?」


 信也の瞳が鋭く光る。口調も少しトゲがある。そんな彼に渚沙は……


「防衛機密だから、ね?」


 そう、悪戯っぽく笑って言った。

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