第16話 ライトにはご用心
吹き抜ける風が、ミツルの髪や外套を揺らす。
強烈な光と風に、ミツルは咄嗟に顔を背けて目を覆う。昔なら、閃光弾の光ぐらい何てことの無いものだったが……もう歳らしい。
「先輩、終わりました!」
ふと、茶々丸の声がした。どうやら無事に終わったらしい。ミツルはゆっくり目蓋を起こして顔を上げる。
「あらら……ミツル君、もうお役御免みたいだね」
「取りこぼしはもう行っちまったか。クソ」
そうあきれたような声で話す九龍に頭をかきながら、ため息混じりでそう返す。全く、現役バリバリの頃が懐かし――
「いや、そうじゃなくて」
「え?」
「見てみな、ミツル君」
九龍のそんな言葉に促され、ミツルは茂みの向こう、湖畔の方に目をやった。そして、
「…………はぁ?」
思わず目を疑った。これは一体どう言うことだ? 何かのバグか? それとも夢でも見てるのか?
だってこんなこと、あり得るはずがない。たった一人の肉薄で、たった一振の太刀で、数十羽を越える鳥どもを、一撃で葬るなんて。
「おい、こいつぁ現実か?」
「ここは仮想空間だ」
「いやそう言うんじゃなくってだな……」
いくらゲームと言えど、あまりに現実離れした結果に、ミツルは思わず額に手をやり、再び大きなため息をついた。
だが、そうだ。こんなこと、こんなあり得ないことがあり得るのが、仮想現実。フルダイブワールドだ。
「ったくあいつら、いい仕事しやがって」
彼が青春の多くを費やした、もう一つの世界なのだ。
「せんぱーい! もう良いとこ無しとは言わせませんよー!」
湖の向こうで、茶々丸がそう言って大きく手を振る。先ほどとは打って変わった、無邪気で晴れやかな笑顔で。
「……おう! もう呼ばねぇよー!」
ミツルは大きく息を吸い込むと、そう言って彼女の方へ向かっていった。
「先輩、フン気をつけてくださいよ!」
「分かってるよー!」
「……ところでお二人さん、あの襲われてた男は何処に?」
「「…………あっ」」
*
「お二人とも、助けていただき感謝します! ありがとう! ありがとう!」
男の大きな声が、九龍亭に響き渡る。先ほど鳥達に襲われていた、バックパッカーじみた冴えない丸メガネの男だ。
戦闘後湖の周りを囲っていた藪の中に頭だけ突っ込んで延びていた所を茶々丸が見つけ、放っておく訳にも行かないのでここまで連れてきた。
……お陰で茶々丸とミツルは今、彼に猛烈に感謝され、強い握手をされている。
痛覚遮断機能があるから、痛みはそれほど感じないが――それと引き換えに触覚に薄い膜が張られているような感覚は拭えない。それでも、ずいぶん明瞭に再現されてはいるが。
「い、いえ……」
「それほどでも……」
ミツルと茶々丸は横目で互いをちらちら見合いながら苦笑する。全く、面倒な奴に捕まってしまったらしい。
「おっと、すいません。ご挨拶がまだでしたね」
はっと、男は驚いたようにそう言って、パッと手を離し立ち上がる。この男、反応がいちいちオーバーだ。
「ワタクシ、ライトと申します! 以後、お見知り置きを」
ライトと名乗った男はまたも仰々しく、右腕を胴の前に持ってきて頭を垂れる。いちいち畏まって名乗らずとも、頭の上に表示されているのに。
「私は茶々丸。雪見茶々丸と言います。どうぞよろしく」
「俺はミツル。そんでこっちが――」
「――ここの主の九龍だ。……で? 君ら何でまたここに連れてきた?」
不機嫌そうにジト目で二人を睨む九龍をまぁまぁと押しなだめ、一同は三者三様に挨拶を済ます。
ふと、視界の下にメッセージがポップアップする。フレンド、もとい茶々丸からの個人チャットだ。
『彼、アメリカ出身のようですね』
ただ一言そう書かれた文章を読んで、ミツルはチラリと彼女の方を伺ったあと、そのままの動きでライトの頭上に焦点を合わせる。
現在地・コロンビア特別区
ライトの名前の記された横に、星条旗のアイコンと共にその文字が浮かぶ。
そう言えば、ユメミライの米国支所設立のために向こうへ飛び立った大学時代の先輩が一人いた。彼が今住んでいる所も確か……
「ミツルさん、何か?」
「あっ、いえ何も……申し訳ない。ついぼーっとしてしまいまして」
そんな余事を考えていると、ライトに不審がられてしまった。慌ててミツルはそう繕って、なんとかその場を切り抜ける。全く、おちおち考え事も出来ないな、と、彼は心の中で毒を吐いた。
横からの視線が痛い。いたたまれなくなったミツルは、スッと話を切り替えた。
「そっ、そう言えばライトさん。どうしてあんなところに?」
とっさに捻り出した、当たり障りの無い質問。とは言えずっと、気にはなっていたことだ。
あの森は、地図中央から外れのところにある。規模も小さく、行くには少し面倒な立地にある上に、レアな素材やモンスターが出るわけではない。
必然、そんなところにプレイヤーは寄り付かず、事実今回も二人は他プレイヤーと遭遇することはなかった。彼以外には。
「言われてみたら確かにそうだな。あんな郊外の過疎マップ、好んで行くような奴ァ居ない」
「私も気になります」
他二名も、うんうんとミツルの問いに追随する。
そんな彼らの顔を見て、ライトは少し恥ずかしげに笑ってみせる。そして、バックの中からおもむろに大きな分厚いアルバムのような本を取り出し、答えた。
「ワタクシ、記者をやっているんです。リアルでも、こっちでも」
男はそう言ってまた、恥ずかしそうに短い赤毛の頭をかいた。