第7話:王都へ続く道
二つの太陽の高度も大分高くなった頃、フェアリーゼを乗せた御車が宿の前に着いた。俺とカイエルはそれを見て、宿を後にすることにした。
表に出ると、道路の両脇に人だかりができていた。一応フェアリーゼは「ただの町娘」ということになっているのだが、その身なりが身なりなのだし、多分「何か偉そうな人」が来てると噂になったのだろう。
フェアリーゼの姿は見えないが、多分籠の中に入ってるのだろう。
俺は昨日と同じように御者台に座った。木のゴツゴツとした感触がちょっと痛い。昨日も座りっぱなしだったしなあ。
カイエルも宿に留めてあった馬を引っ張ってくる。
一行がゆっくりと進み出した時、わあっと歓声が上がった。振り向いてみると、フェアリーゼが横窓のカーテンを開き、その顔を人々にさらしていた。手を振るたび、歓声が大きくなるようだった。
やがて村の中心を離れ、のどかな風景の広がる草原へと出る。
今日も空は澄み渡り、うららかな日差しが大地に彩りを添えている。この世界に季節という概念があるのかは分からないが、青々とした緑とぽかぽかとした陽気からするに春であるように思えた。
少し進んだところで、フェアリーゼの声がした。
「すみません、ちょっと止まってもらえますか?」
その言葉に御者は馬車を止めた。先導していたカイエルとアレクも馬を止めて、フェアリーゼの方を振り向く。
フェアリーゼは外へ降りようとしていたようだったので、俺はそばによって肩を貸そうとした。
「怪我が痛むのか?」
「いえ。私も前に座ってもいいですか?」
「前に?」
この御者台は三人掛けだから、御者を挟んだ俺と反対側にもう一人座る余地はある。
「はい。外で見る景色はどんなものなのかなあ、って」
籠はちょうど視線の高さでカーテンを開けられるようになっているみたいだが、そこからの視野はそんなに広くなさそうだ。陽の光も爽やかな風も感じることはできないのだろうし、確かにあんまり面白くなさそうな気がする。携帯ゲーム機でもあれば別なのかもしれないが、この世界にそんなものがあるはずもない。
フェアリーゼがこんな風に籠に乗って移動するのは、快適さの関係もあるのだろうが、あまり衆目に触れないようにするといった意味合いも強いように思える。確か、色んな国で昔はそんな感じだったと聞く。しかしここは人気の全くない道なのだし、別に外に出てもいいんじゃないかなという気がした。
カイエルに聞いてみようかとも思うが、何か「これこれこういうわけで、どうでしょう?」なんて聞くのも間抜けな気がした。ま、いいや。ダメなら何か言ってくるだろうし。
俺は例によってフェアリーゼをお姫様に抱っこして、御者台の片側に座らせた。俺もその反対側に座る。二人して御者を挟み込んでる形だ。
……すっげえやりにくいだろうなあ、御者さん。傍目にも縮こまっちゃってるのが分かるぞ。フェアリーゼと微妙に距離を取ろうとしているのが微笑ましい。
カイエルが前を向き直したのを合図に、俺たちは再び前に進み始めた。
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馬車は林道に入っていた。木漏れ日が景色を鮮やかに照らし出す様はどこか幻想的で、俺は写真を撮りたい気持ちになった。しかし、貴重なバッテリーを風景写真で無駄にするわけにもいかない。フェアリーゼを撮るってんなら話は別だが。
せっかくの1200万画素高性能カメラ付きケータイなのになあ。とほほ。
「なあ、フィー」
俺はフェアリーゼに話しかけた。フェアリーゼはこっちを向いて顔に疑問符を浮かべる。
「フィー?」
「ああ、愛称で呼んでみたかったから。フェアリーゼだから、フィー。変かな?」
それにフェアリーゼだと何となく長いし、他人行儀な感じがしたからだ。そう言うと意図に反して名前をけなしていると捉えられかねないから、言葉には出さないが。
「フィー……」
フェアリーゼは前の方を向いて、しばし考えるような素振りをしたかと思うとにやけた表情に変わり、しばらくして今度は破顔する。ころころとよく変わるなあ。面白い。
「おーい。フィー。フィーいー。フィーちゃーん、フェアリーゼさーん」
「……は、はい!?」
何度か呼んでみたら、慌てた様子でこっちを向き直した。うんうん、自分の世界から引き戻されるのって慌てるよなぁ。俺も授業中に考え事をしていて教師に「御子柴!」なんて言われたりして焦ったりしたもんだ。そして廊下に立たされる、と。いつの時代のアニメだよって話だ。
しかし、フェアリーゼのそんな仕草が可愛すぎる。反則級だろ。
「どうかな?」
「ちょっと……恥ずかしいです」
はにかんで言った。
「おし、否定しないってことは構わないってことだな」
俺はちょっと強引に言ってみる。少なくとも嫌そうな顔はしていないから大丈夫だろう。
「はい」
めでたく愛称が決まったところで、俺はちょっと思っていたことを聞いてみることにした。
「ところでさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「何です?」
「火とか雷とか、そんな系統の魔法って俺でも使えるようになれるかな?」
やっぱ男なら誰しも、かめはめ波を撃つことを夢見てポーズを取ったりしたことがあるだろう。少なくとも俺の友人はみんなやったことがあると言っていたぞ。男子たるものの通過儀礼だ。かめはめ波とは言わないまでも、攻撃魔法が使えるなどとなればそれに食いつかない手はない。なんせ男のロマンなのだから。
「ええ、使えると思いますよ」
「本当!?」
やった。これは心が躍るってもんだ。オラ、ワクワクするぞ。
「はい。私がお教えすることもできなくはありませんが……多分、エストの方がそういうのは得意だと思います。それに、お城ではまとまった時間が取れないと思いますので」
エスト。第三王女、だっけ。どんな娘なんだろう。
「私の方からエストにコーチをお願いしておきましょうか?」
「いいの?」
「ええ。あの子そういうの大好きですから、多分嬉々として乗ってくると思います」
へえ、そうなんだ。なんかフェアリーゼのイメージとはちょっと違うなあ。活発な子なのかな?
「フィーもそういう魔法って使えるんだ」
「いえ、私は四大属性魔法は苦手なんです。女性として、ちょっと情けないんですが……」
フェアリーゼが気恥ずかしそうに言った。
女性として情けない? 四大属性魔法を使えることが女性のたしなみってことなんだろうか。何のためだろう。護身術、とか?
ちょっと考えていると、フェアリーゼが話を続けた。
「家事をする時に必要になるんです。例えば料理の時には火の魔法を使いますし、食物を冷凍保存なんかする時には氷の魔法を使ったりします。他にも、色々と」
「あ、なるほど」
コンロと冷凍庫ってわけか。しかしそう考えると、この世界じゃエネルギーレスでそんなものが使えるわけで、そういう意味では元の世界よりも進んでるなあ。エコ極まれり。元の世界にそんなものがあったら業種の十や二十はぶっ潰れるな。
しかしフェアリーゼは王女なわけで、主婦としてそういう技能が必要になることは無い気がする。趣味で料理程度をたしなむことはあるのかもしれないが。
「ひょっとして、主婦に憧れてたりするの?」
俺が聞くと、フェアリーゼは少し悲しそうに目を伏せた。
「……いえ。それは望んではならないことですから」
その口ぶりからすると、憧れていると見て間違いないのだろう。しかし王位継承者としての義務があるから普通の人の生活を望んではいけない、ってとこか。難しい立場だなあ。
何となく、気まずい沈黙が流れる。
それに耐えかねたというわけではないが、俺はもう一つ話を切り出すことにした。
「一つ、頼みがあるんだけど」
「何です?」
「城での俺の扱いなんだけど、その、何というか……例えば単なる旅人とかにしてもらえるかな。俺、何の力も持ってないわけで、天上人とやらみたいに言われるとちょっと困るかもしれないなー、とか思ったり。難しいかな?」
ひょっとして俺が城に行ってもいいのは天上人っていうのが前提かもしれないわけで、そうするとこの頼みは無理な注文ということになる。しかし、そんな生き仏か何かみたいに扱われるのは正直ご免被りたい。
フェアリーゼがクスリと笑った。
「分かりました。上手く言っておきますね」
「ありがとう」
良かった。これで安心して過ごせる。
そんなやりとりをしていると、カイエルたちが馬を止める。御者もそれに気付いて馬車を止めた。
「何かおります」
カイエルが言った。
数十メートル先の右手の茂みに何か黒いものが見えた。それは林の中から林道の方に向かってもぞもぞと動いているようだった。
「魔物のようですな」
しばらくして、それは林道へと姿を表した。馬よりもずっと大きい図体を持った、カブトムシとクワガタをベースにしたような黒い怪獣だ。
その姿には確かに見覚えがあった。
こちらに襲いかかってくるかと思われたが、俺はこの御車に結界魔法などが施されていることを思い出した。みんな黙っているのは多分、気取られないようにするためなのだろう。
指図されるまでもなく俺も黙ったまま、その魔物が通り過ぎるのを待った。しかしそんな思いとは裏腹に、馬車を引いている馬が突然いきり立ち、いなないた。
黒い怪物がのそりとこっちを向く。
「ちぃっ、気付かれたか!」
カイエルがそう吐き捨てると、アレクと共に馬を下り剣を抜いて怪物の方へと走り出した。程なくして接敵する。
カイエルが剣を構えると、切っ先からさらに光のようなものが伸びた。それを袈裟斬りに一閃する。光は怪物に食い込み、その身体からは緑色の体液が吹き出した。カイエルは体液を一歩引いて回避する。体液は地面に飛散し、「ジュウ」という音と共に煙をあげた。
怪物が前足を大きく上げ、カイエルめがけて打ち下ろした。カイエルはさらに一歩引いてそれをかわすと、今度はアレクが一歩踏み込み、炎をまとわせた剣を横薙ぎにした。
紅蓮が軌跡となって走り、怪物がたまらずのけぞる。それを隙と見たのか、離れた距離からカイエルが今度は逆袈裟に剣を走らせた。空を切った剣からは光の軌跡が放たれ、怪物を切り裂く斬撃と化した。
続けざまにカイエルとアレクが光と炎の斬撃を加える。怪物の身体にそのたびに深い傷が刻まれ、体液が飛び、辺りの木々を焦がし、茶色に枯れさせ溶かし散らす。
それを数度繰り返した後、カイエルとアレクは手を止めた。
怪物はその場に硬直したかと思うと、やがて「ズゥン」と音を立ててその場に倒れた。
その戦いぶりに俺はすっかり見とれていた。光と炎が織りなす華麗な饗宴だ。そして、二人が「指折りの騎士」であるという意味を改めて実感した。あの巨大な怪物をものともせず、息を切らした様子さえ見せないのだ。
だがそんな感嘆の気持ちもさることながら、一つ気になっていることがあった。
「あの怪物は?」
「グラベグという魔物です。凶暴ですが、動きが遅いのでさほど危険ではないと言われています」
なるほどね、凶暴な魔物か。ってことは、廃病院での判断は正しかったわけだ。そして同時に、奈美と理子が無事に逃げられたかどうかが心配になってくる。
「実はさ、あの魔物、俺のいた世界でも見かけたんだよ」
「リュウの世界にもいるんですか?」
「いや、聞いたことがない。俺もこっちに飛ばされる直前にはじめて見たんだ」
そう、元の世界には絶対にいないはずの生物。それが存在していたということは、考えられる結論は一つ。
俺と似たように、この世界から飛ばされたということだ。
そしてそれは同時に、一つの可能性へとたどり着く。すなわち、元の世界に帰れるかもしれないということだ。ゼロとそうではないものとの間には絶対的な隔たりがある。そういう意味で「帰れるかもしれない」という事実は大きな意味を持つ。
しかし昨日の自分であれば可能性の多寡は別としても帰ることを考えただろうが、今日になって気持ちは随分と変わっていた。少なくともフェアリーゼが何に悩んでいるのかを確かめるまで、俺は帰る気にはなれないだろう。仮に今、例のブラックホールが出現したとして、俺はこの世界に残ることを選ぶような気がする。
かめはめ波……もとい、四大属性の魔法が使えるなんて特典も付くしな。うん、ロマンを体現するまでは帰れないよなあ。実際に目の当たりにしてしまったし。
そう思い、俺は帰れる可能性については考えないことにした。
「それにしても……グラベグも、人を襲ったりしなければ危害を加えられることも無いのに」
フェアリーゼが悲しそうに呟いた。彼女の事だから、こんな怪物に対しても痛ましく思っているのだろう。
「ところでさ」
俺は一つ、重大なことに気がついた。
林道にはその幅ほどもある、巨大な怪物の死骸。その下からは緑色の体液がジワジワと漏れ出て、大地を腐食していっている。
「……どうやって先に進むんだ?」
俺の質問に対し返ってきたのは、諦観を表す沈黙だけだった。