第2話:崩落
「へぷしっ!」
俺は可愛らしくくしゃみをした。ぶるぶる。うー、さぶ。
洞窟内はじめっと寒いし、俺は濡れ鼠だし、そりゃくしゃみも出るわな。風邪引くぞ。
「暖めましょうか?」
少女の言葉に俺は「え、ひょっとして人肌で?」なんてダメ過ぎる発想をしてしまう。いや、でもひょっとして俺のスゥイートマスクが彼女のハートをストライクして、そこから始まるめくるめくフォーリンラヴ、なんて。
……あるわけねえか。
少女が一歩俺の方に近づく。俺は緊張して、瞼を閉じた。
ぽわぁ、と全身を優しい空気が包み込む。なんだ? と俺は目を開いて自分の身体を見た。少女のかざす手の先、つまり俺を取り巻くように淡い光が発生し、ぬくもりが俺を包んでいる。あ、気持ちいいかも。ひなたぼっこしてるみたいだ。
「これは?」
「熱波の魔法を弱い出力で用いたものです」
なるほど、魔法か。さっき話してた奴だな。
とすると、少女が気まぐれに出力を強めたりしたら、俺は速攻火だるまになってしまうわけか。ガクガクブルブル。あまり変なことは言わないようにしよう。
「魔法、か……信じられないけど、実際に見せられちゃなあ」
「信じられないって、何がです?」
「魔法っていう存在そのものが。俺の世界じゃ、そんなものはないからな」
俺の言葉に少女はきょとんとした表情を見せる。
「魔法が無い? 俺の世界? すみません、話がちょっと見えないのですが……」
ああ、そうか。俺が異世界あるいは異惑星人っていうのはあくまで自己完結しただけであって、彼女の知るところじゃないわけか。
「んー、えーと、俺もまだちょっと自信ないんだけど、どうも俺は違う世界から飛ばされてここに来たみたいなんだ。んで、俺がいた世界じゃ魔法なんて無いんだよ」
少女がぽかんとする。
考えてみれば、俺の言ってる事ってまるっきり電波ゆんゆんじゃねえか。うわ、また変な人だと思われたかなあ。
「違う、世界……やっぱり貴方は天上人さまでは無いのですか?」
「それは違うと思う。ちゃんと地面に足つけて生きてたし」
なんか天上人って部分にこだわるなあ。何か意味でもあるのかな。
「そういう君は、さっき王族とか言ってたけど、お姫様か何かなの?」
「はい。ラルファート王国第一王女、フェアリーゼ=フォン=エルシュトラウムです」
フェアリーゼ、か。なんかすっごく高貴そうな名前だなあ。
「貴方のお名前をよろしければ教えていただけませんか?」
「ああ。御子柴龍って言うんだ。しがない高校生」
「ミコシバリュウ、さんですか。コウコウセイって、何です?」
ああそうか、教育体系も違うのか。
「学校はこっちの世界にもある?」
「はい」
「高校ってのは学校の一つで、15歳から通うところだよ」
「あ、そうなんですか」
うまく伝わった、のかな?
そう言えば、この世界の文化水準ってどうなってるんだろう。魔法があるのは分かったけど、科学技術は? 教育制度は? 考えてみると、分からないことばかりだなあ。当たり前か。
――いやいやいや、気にするところが間違ってるだろう、俺。異常事態にあてられすぎて麻痺したか?
どういう原理でぶっ飛ばされたのかはこの際どうでもいい。現実として受け入れる以外に術はないからだ。大事なことは、元の世界に戻れるのか――だ。
「フェアリーゼ……さん? さま?」
「何も付けなくて結構ですよ」
フェアリーゼが微笑んだ。うん、その方がありがたい。
「フェアリーゼ、この世界で俺みたいに異世界から飛ばされてきたっぽい人っていたりする?」
「え、と……すみません、少なくとも私は他に存じません」
言って、申し訳なさそうな表情をする。
そう、か。まあ、何となく予想はしていたさ。俺の世界でだって異世界に行ったり来たりしたことがある人なんて聞いたことがない。だとすると、帰る術は絶望的と考えて間違いないだろう。
そんな風にあっさり割り切れるのは、俺がいなくなって心配する人があまりいないからだろう。寂しいことだが。実の両親は俺が幼い頃に他界したし、今の養父母は俺をちょっと疎ましく思っている節がある。義妹は少し悲しむかもしれないが、仕方がない。諦めてくれ。
元の世界での変化のない日常に執着が無いとは言い切れないが、魔法が当たり前というこの世界に興味が無いわけではない。というか、結構興味津々だったりする。どうせ珍しい事件に巻き込まれてしまったんだ、楽しまなければ損だというものだ。
あ、でもネットとケータイとテレビゲームが無いのは地味に痛いかも。
……お気楽だなぁ、俺。
しかし、だ。問題なのは――果たして俺はこの世界で生計を立てられるのだろうか、ということだ。生きていくためには仕事をしてお金を稼いだりしなきゃならない。右も左も分からない、市民権だって無いだろう俺がこの世界で生きていけるのか?
思い、俺は身震いした。
ふと、俺は大金を稼ぐ術を思いついた。目の前に高貴な姫君。ならば攫って身代金を要求、そうすれば一生働かなくてもいいだけの大金が――
「?」
……いや、ダメだろ俺。色んな人に殺されちまう。
「さっきから表情がくるくる変わってますけど、どうかしました?」
うぉう、やべ、表情に出てたのか。
俺は両手の平で頬をぱしぱしと叩いて気を引き締め直した。
まあ、くよくよ悩んでも仕方がない。異世界から来た、という物珍しさでふれこめば、餓死するってことはきっと無いだろう。
……昔から順応することだけは得意だったが、こんなところで役に立つとはなあ。
――あれ?
「今、揺れなかった?」
ふと平衡感覚に変な感覚を覚え、俺は聞いた。
「はい、少し揺れたような気が……」
――きた!
いきなり地面がぐらぐらと揺れ、俺はバランスを崩し右へ左へステップを踏んでしまう。
天上からぱらぱらと砂つぶてが落ちてくる。揺れはなおも弱まる気配を見せず。俺たちは必死でバランスを保とうとする――が、もう無理だ!
耐えきれなくなって俺は前の方に倒れ込んだ。ちょうどフェアリーゼを巻き込む形で。
ふにゅ。
右手に柔らかな感触。膝をついた俺は左手をごつごつした地面に、右手をフェアリーゼの――左胸に。
「――ひ」
フェアリーゼの表情が歪む。
「いやあああああああああああああ!」
悲鳴と同時に、俺はフェアリーゼから強烈な平手打ちをもらった。勢いぶっ飛ばされ、俺はフェアリーゼの横に倒れ込む。
うぅ、役得……そして、痛い。
揺れはなおもとどまるところを知らず、天上から落ちてくる砂も石つぶてに変わり、水面がぼちゃん、ぼちゃんと波打つ。
――これ、やばくね?
「逃げるぞ!」
「は、はい!」
俺の号令に涙目のフェアリーゼは力強い返事を返した。
「出口は?」
「あっちです!」
フェアリーゼが指さした方向には、背丈より大分高い程度のほら穴があった。俺たちがそっちに向かって走り出すと、背後の方で「ドドォン」と轟音が轟いた。軽く振り返ると、巨大な岩が落下したのか、水面が今までにない巨大な波しぶきを立てていた。
「きゃっ!」
悲鳴が聞こえたので振り向いてみると、フェアリーゼが地面に膝をついていた。転んだのか。
「大丈夫か?」
「はい。――つっ!」
立ち上がろうとして、フェアリーゼが苦痛に表情を歪めた。足をかばっている。捻ったのか!?
必死で走ろうとするが、そのペースはさっきよりも圧倒的に遅い。まずい。このままだと――
「――行ってください!」
フェアリーゼが気丈に言う。
ほら穴の中で落ちてくる天井の石も次第に大きくなり、俺たちは生き埋めの様相を呈しはじめている。
「行けるかよ!」
「でも、このままじゃ二人とも!」
ああ、そうかよ。このお姫様はこんな状況でも人を気遣えるほどお優しい方だったんだな。そう考えると、自分が(意図せずして)しでかしてしまった不埒な出来事について、申し訳なく思ってしまう。
しかし今はそんなことを気にしている場合ではない。
まさか、フェアリーゼを置いて自分だけ逃げようなんて思えるはずもない。しかし、フェアリーゼは走れない。ならば――
俺は意を決した。
「ごめん!」
「え――きゃっ!」
俺は右腕をフェアリーゼの背中に、左腕を膝裏にあてて持ち上げた。
一言で言うと「お姫様だっこ」だ。
正直なところ、俺の力じゃお姫様だっこは無理だろうと思っていた。「火事場の馬鹿力」をあてこんでいたのだ。しかし結果は――オーライ。楽ではないが走れないほど辛いわけでもない。
だっこしたあとで思ったのは、おぶれば良かったんじゃないか、ということだ。それだったらそんなに力はいらないし、何より背中で感触を楽しむことができたかもしれない。
――やっぱダメ過ぎるな、俺。
もっとも、実際には「はい、背中に乗って」なんて悠長なことをやってる場合じゃなかった、ってのもあったのだが。一刻一秒を争うぞ。
俺はフェアリーゼを抱えたまま、全力で出口に向かって駆けていった。




