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第1話:洞穴の姫君

 ブゥン。


 暗闇が俺の全身を包み込んだかと思うと、何かに引っ張られるように俺は飛んだ。いや、飛ばされたと言った方が正しいか。


 そう、宙を舞っているような感覚だった。


 ふわりふわりと右へ、左へ、上へ、下へ。水面に揺れる木の葉にようにユラリ揺れ、なされるがままに舞う。


 やがて、俺の身体を取り巻いていた得体の知れない力が消え失せ、再びの無重力感が襲いかかる。落下しているのを感じていると、視界に光が戻った。


 目の前には、水面。それは猛烈な勢いで迫り――


「うわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 ドッボォォォォォォン!


 強烈な水しぶきを上げて、俺は水中に落下した。勢いはしばらく止まらず、数メートルは沈んだだろうかといったところでやっと速度が緩やかになった。


 しかし、浮かびそうになる気配は無い。


 ――ヤバい。服を着たまま水中に落ちると、水を吸って数キロの重りになって溺れるんだっけか。


 俺は慌てて、水面に向かって水をかき始めた。必死になってやっと浮上に転じたものの、そろそろ肺があえぎ声を上げはじめる。苦しさに巻かれながら、このまま溺死してなるものかと俺は水をかき続けた。


 数分にも思える数十秒が過ぎ、やっと水面が見えてきた。俺は手の動きを速め、やっとの思いで水面から顔を出した。


「――ぷはぁっ!」


 俺は思いっきり酸素を吸い込んだ。悲鳴をあげる肺に酸素が満たされ、怠さが急速に回復していく。それでも、沈んでしまうので手足の運動は止めることができない。


 それにしても、つくづく水泳が苦手じゃなくて良かったと思っていた。もし25メートル泳げないようなカナヅチだったとしたら――想像し、俺は身震いした。


「ここは……?」


 見る限り、俺がいるのは洞窟のような場所だった。青黒いごつごつとした壁が左右にそびえ、天井は目もくらむほど高い。なぜ光の差さない場所なのに目が見えているのかというと、辺りにはふわりふわりと緑色のホタルみたいなものがたくさん舞っているからだ。しかし、それにしては光が随分と強い気がする。


 俺は光をつかんでみたいという衝動に駆られたが、残念ながらそんなことをしている余裕は全く無い。気を抜くと溺れてしまう。


 それでも少しは余裕ができてきた俺は「ドドドドド……」と水を打ち付けるような音がするのに気付くと同時に、自分が流されていることに気付いた。


 下流の方を向いてみると、川の流れが途切れていた。


 まさか、滝――!?


「嘘だろぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」


 俺は焦って進行方向と直角に逃げようとしたが、見ると川岸というものはなく、絶望的にそびえ立つ壁面があるだけだった。流れに逆らって逃げようにも、勢いが強すぎてどうにもならない。


 抵抗虚しく――俺は空中へ投げ出された。


 もう何度目か分からない、無重力感。


 ヒュオオオオオォォォォォ……


 ザッブゥゥゥゥゥゥゥン!


 再び、俺は水面にたたきつけられた。また水中深くに沈み込む。

 しかし前と違ったのは、今回は少しばかり心の準備があったことだ。すなわち、肺いっぱいに酸素を吸い込んである。


 沈む勢いが弱まってから、俺は水面に出ようと水をかき始めた。そこで、さっきとのある違いに気付く。

 水をかいてもかいても、上の方に出ることができないのだ。数度あがいて、滝から流れる水の勢いが邪魔しているのだと気付いた。


 今度こそ溺れる――そんな恐怖を感じながら、しかしつとめて冷静に俺は水平方向へと泳ぎはじめる。少し下へ沈み込んではしまったものの、下方向への力はたちまちに弱くなっていく。


 少し進むと、目の前には垂直にそびえる壁があった。俺は壁にそって、水面方向へとあがく。そしてたどり着く酸素のある場所。


「――ぷはぁっ! げほっ、げほっ!」


 何なんだよ畜生。得体の知れない化け物に追いかけられるし、訳の分からない暗闇に飲み込まれるし、おぼれかけるし、滝に突っ込むし、厄日にも程があるんじゃねえのか? 無事に帰ったら、厄払いにでも行った方がいいかもしれない。


 俺は咳き込みながら目を開いた。すると――

 目の前には、膝があった。


 ――人?

 思い、俺は顔を上げた。


 見上げた先には、透き通るような白い肌をした少女がいた。燃えるような腰ほどある赤い長髪はしかし煌びやかさをたたえ、繊細な顔立ちは一級の美術品でさえかすんでしまうように思えた。年の頃は俺と同じか少し下なくらいか。プロポーションは少しばかり細身であるようにも見えたが、形の良い双丘は確かにその存在感を主張している。


 すなわち――

 裸なのだ。一糸まとわぬ。


「キ――」


 しかし、劣情を催すよりも美しさに見とれてしまうという方が正しかった。それほどに、完成された美。


「キャアアアアアアアァァァァァァァァァ!」


 鼓膜をつんざくような悲鳴が洞窟内に響き渡った。俺は我に返って、慌てて身体を反転させた。


「ご、ごめん!」


 俺は三度水中に潜った。手を動かし、浮かず沈まずの状態をキープする。息の限界近くまで潜ったあと、俺はまた水面から顔を出した。

 少女のいるだろう方向に背を向けたまま。


 今度は、滝の音に混じって衣擦れの音が聞こえてきた。服を着ているのか。もったいない――そう思うと、まぶたの裏に少女の姿が蘇った。


 うん、欲情するのは無理だな、やっぱり。


 そんなことを考えていると衣擦れの音がやんだので、俺は少女のいるだろう方向を向く。ちょっとだけ前の方に出ると、やっと足がつく場所に出た。くたびれた両手両足を休める。


 少女は変わった形の衣服をまとっていた。白をベースにした上衣には青や緑の刺繍が施され、胸の辺りにエンブレムみたいなものが入っている。下は薄いピンク色のスカートだが、奈美が着ていたようなフリフリしたものではなく、しっかりとした厚手の生地でできているようだった。


 形容するなら、どこか中世的というか、ファンタジックというか、そんな服装だ。


 少女の表情は、頬をわずかに紅潮させつつ、どうも怯えているように見えた。無理もない、いきなり知らない男に裸を見られてしまったりしたのでは。


 少女が何事かを話しかけてきた。


「○△∨〒×△▼?」


 何を言っているのか分からない。自分が話せる言語は日本語とちょっとばかしの英語だが、そのどちらでもないようだった。ドイツ語か、フランス語か、ポルトガル語か、はたまた名も知らぬ言語だったりするのか。


 俺が無反応でいると、少女は小首を傾げ、ポケットから何かを取り出した。見ると、それはシンプルな作りの指輪のようだった。あれだ、シルバーアクセによく似ている。


 少女はそれを俺の方に差し出した。俺は半ば条件反射的にそれを受け取る。

 しばらく見つめ合う俺と少女。すると少女は両手で「指輪をはめて」というような仕草を見せたので、俺は素直に渡された指輪を右手の中指にはめた。お、サイズぴったりだ。


「通じますか?」


 少女の透き通るような声が、今度は明確な言葉となって聞こえてきた。

 うぉう、ちょっと待て。何をした!? さっきまでワケノワカラナイ言葉だったのに、いきなり意味が通じだした――つーか日本語が聞こえてきたぞ?


 こいつ、ひょっとして日本語が喋れたのにからかってたのか? なんて思ってしまう。あ、でも、よく見ると言葉と口の動きが合ってない。何だこれ。


「あ、ああ、通じるけど」


 しかし考えてみれば、目の前の少女はとても日本人には見えない。というか、何人にも見えない。自分の理解を超えた生物のように見える。


「――ひょっとして、"天上人"さまですか?」


 テンジョウビト? 天井?

 あれか、飛行機やバスの中で色々案内する――て、それは添乗員か。


「ごめん。テンジョウビト、って何?」


 俺はストレートに疑問をぶつける。


「天に住まう方々の事です」


 少女の説明に、俺は小首を傾げた。


「うーん……天に住んではいないと思うけど」


 そう言うと、少女は少し落胆したように見えた。


「そうですか、では、あなたは……? ここは王族以外立ち入ることができないはずなのですが……」


 いや、そんなこと言われても。何でここにいるのかなんて、俺が聞きたいよ。

 ていうか、王族? 皇族じゃなくて? って、皇族でもそれはそれでびっくりか。


「いま、王族って言った?」

「はい」


 うーん、何か混乱してきたぞ。少し冷静になってみよう。


 王族って言うからには王が存在してるはずなわけだが、日本に王は存在していない。一方、海外を見てみればイギリスみたいに王の制度が存在している国もある。とすると、俺はどっか見ず知らずの国にぶっとばされたのか?


 いやいやいや、常識的に考えてテレポートするなんてありえないだろ。とすると……


「わかった!」

「はい?」

「君はちょっと妄想気味の電波ちゃんだ!」


 少女はぽかんとして、


「違います!」


 言い切ってきた。ちっ。


 まあ取りあえず、場所を聞くのが手っ取り早いか。テレポートなんて認めたくないが、何が起きてるのかはっきりさせてかなきゃ話が進まない。


「ここって、どこ?」

「ここ、ですか? アンタイル山の聖堂ですが……」


 アンタイル山? 聞いたことないなあ。


「えっと、何国?」


 俺の質問に少女は小首を傾げた。


「ラルファート国、ですが」


 やっぱりラルファートなんて聞いたことが無いぞ。地理は苦手じゃない方だが、そんな国名は見たことがない。というか、やっぱり日本じゃないのかよ。テレポート説は正しかったようだ。


 そう思い、一つの仮説が浮かび上がる。


「ひょっとして、俺はブラックホールに吸い込まれたせいで死んでて、ここは死後の世界、とか?」

「何をおっしゃってるのかさっぱり分かりませんが……死後の世界ではないと思います」

「だけど、死者が死んだことを自覚できるものなのか? ひょっとしたら君も死んでて、俺と一緒に死を自覚できていないだけ、とか」

「変なこと言わないでください! 貴方の方がよっぽど電波じゃないですか!」


 うげ、電波扱い。言われてみると地味に凹むなぁ、コレ。


 考えてみれば、俺の服装は肝試しやってたときと一緒なんだよなあ……ユーレイになってまで服を持ってくなんて考えづらいし、やっぱり生きてるってことなんだろうか。まぁ死亡説は完全には消えないものの、可能性は低いか。


 もう一回冷静になってみよう。ラルファートという国なんて聞いたことがない。とすると、単に俺が知らないだけか、あるいは――ここが地球外か、異世界か、だ。テレポートなんてぶっ飛んだ現象が起きたらしいんだ。それが地球の外まで働いたとしたって不思議じゃない。


 仮説を確証に変えるため、俺は彼女にたった一つの質問をする。


「ここって、地球だよね?」

「チキュウ? 何です? それ」


 ビンゴ。どうやら俺は見知らぬ星か見知らぬ世界にぶっ飛ばされたらしい。


「あー、取りあえず、何となくだけど状況つかめたっぽい……」

「?」


 そうすると、もう一つ疑問がある。


「それなら、何で君は日本語を喋れるの?」

「ニホン語、ですか? 私、そんなの喋ってませんよ」

「けど、現にこうやって……」

「言葉のことですか? それなら、さっきお渡しした指輪デバイスの魔力によるものです」


 言われて、俺は中指にはめられたその指輪を見た。


「解語の魔法が込められています」

「カイゴ?」

「異なる言語を解釈する魔法です」


 異なる言語を解釈? ああ、口の動きと言ってる内容が合ってないのはそのせいか。

 ――どういう不思議現象だよ。それと、魔法? なんだ、魔法の世界か? ここは。


「魔法っていうと、あれか、どっかぁーんって火の玉飛ばしちゃったり?」

「はい? もちろんそれもありますが」


 うわ、マジかよ。マジで火の玉飛ばしちゃうのか。

 まぁ解語なんてものがある時点で、火の玉飛んだところで不思議ではないよなぁ。


「雷をずっがぁーんと落としたり?」

「はい」

「氷でかちんこちんに固めたり?」

「はい」

「風でざしゅって切り裂いたり?」

「はい」

「光でぽわぁって傷を癒したり?」

「傷を癒す、ですか……それは聞いたことがないです」


 何だ、傷を治すことはできないのか。だとすると傷つけっぱなしなわけか。物騒だなあ、魔法。


 ともあれ、だ。


 俺は何か得体の知れない力によって空間をばびゅーんとテレポートして、魔法とかが存在するような星か世界にきちゃったわけだ。多分、謙吾も同じようにどっかにぶっ飛ばされたんだろうな。転落死してりゃいいのに。


 そう考えて、俺は奈美と理子のことを思い出した。多分、俺が闇に吸い込まれるところを見ていたはずだ。逃げ場無し、じゃねえか。心配だなあ。


 しかし心配しても仕方がない。きっと俺たちに続いて逃げたんだろうと思っておこう。無事にこの世界で会えればいいが。家に帰ってりゃもっといいけど。


 まず俺がすべきことは状況把握、だ。今分かったことは、ここがラルファートという国で、目の前の少女は王族だということ。ってことはお姫様かな? なんかやたら高貴な感じはするし。あと、魔法という力があることくらいか。よし、色々聞いてみることにしよう。

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