第13話:少女の苦悩
「身体、もう大丈夫か?」
俺とエストは荒れた大地の上に並んで座っていた。俺は体育座りをくずしたような格好で、エストはいわゆる女の子座りをしている。石混じりの砂地で座り心地は悪いが、仕方がない。
「うん、心配かけてごめんね」
「いや、謝るのは俺の方だ。ごめん」
俺は先ほどの出来事を思い出し、情けなく思うと同時に、戦慄に震えた。
一歩間違えれば――
「けど……案外、安全じゃ無かったんだな」
別にエストを責める意味はない。子供でも魔法で遊んだりする、というエストの言葉の言葉を過信して、たがが外れてしまった俺が悪いのだから。
「……普通は、安全なんだけどね」
エストが苦笑いを浮かべる。
「ううん、本当は……危険なもの、なのかもしれない。今でこそ防御魔法があるから格闘技感覚で魔法合戦なんてやったりするけど、昔は防御なんて無かったんだって。だから、魔法は生活の基盤であると同時に、危険な兵器でもあった――」
それは大体想像がつく。これだけの破壊力を持ったシロモノなのだ、普通の人がどれほど扱えるのかは知らないが、兵器として有用であることは想像に難くない。
「で、防御魔法が誕生して、兵器としての機能は失った、と」
「……最近までは、ね」
エストが体育座りになって、神妙な面持ちで続ける。
「十年くらい前の話らしいんだけど、その防御壁を"中和"する技術が開発されたの。現象を中和魔法でコーティングして、防御壁を突き破る。それで、魔法はまた一気に脅威に戻ったわ」
いたちごっこ、か。どこの世界も変わらないもんなんだな。
例えばスパムメール。昔はシンプルな広告メールだったらしいが、受信側がキーワードで弾くようになると、暗号みたく置換したり画像で置き換えたり縦読みをさせたり、あの手この手で送りつけようとしてくる。フィルタをかけるたび、それをすり抜ける手段を講じてくるのだ。
正直、スパムメールにはブチ切れたくなっていたところだ。
「中和魔法って、簡単に使えるのか?」
俺の問いに、エストは首を横に振った。
「デバイスが国によって厳重に管理されてるから、そう簡単には手に入らないわ。密売されてたりするって話は時々聞くけど……」
まるで拳銃か覚醒剤だな。この世界にもヤクザみたいなものがいるのかな。
「でも戦争をするのは結局国家だから、一番肝心な部分で物騒なことになってるんだけどね」
戦争、か。フェアリーゼもそんなことを言ってたな。
近代において重火器が台頭してきたように、この世界でも防御壁の中和技術は魔法の殺傷能力を一気に高める危険な存在なのだろう。
「……あたし、魔法くらいしか取り得が無いんだ」
エストが続ける。
「姉様みたいに頭も良くないし、人望があるわけでもないし、粗雑で王女らしくないし……」
言って、膝に顔をうずめる。
「だから、思うんだ。あたしの力なんて、結局は人殺しの能力なんじゃないかって。でも、認めたくなかった。だって、魔法の力を否定されたら、あたしに取り得なんて無くなっちゃうもん。あたし、要らない子になっちゃう――」
最後の方は、今にも泣き出しそうな声色だった。
エストが自分の力をそんな風に捉えているなんて、全く想像していなかった。俺は魔法に対し、単なる憧れからそれを使えるようになりたいと思っていた。考え方の違いは、取り巻く環境を知っているから生じたものなのか。
「……それは、違うよ」
俺は、応える。
「どんな技術も、能力も、大切なのはどう使うか、だよ。――月並みな言葉だけど、さ。魔法の力を戦争に利用する人もいれば、家事や農業に使ったりする人もいる。事実、生活にとって魔法は重要なものじゃないか」
「……でも、家事や農業に使う魔法なんてたかが知れてるよ。あたしの持つ力は、余計なものなんだよ」
余計なもの、か。確かに、過ぎた魔力は家事には不要かもしれないけど……本当に、それだけなのだろうか?
俺は考えを巡らせる。エストを、傷つけようとする概念の刃から守るために。
「余計、なんて無いさ」
俺は続ける。
「魔法を悪用する人がいれば、そんな奴から守る人だって必要になってくる。戦争で破壊するものがいれば、逆に戦火から守る人だっていてもいいはずだ。それに、魔物なんて物騒なものもいるんだ。魔法を正しく使えば、人を守ることができる。そんな時に、どんなに力があってもありすぎることはないだろ?」
魔物の側からすれば、魔法は自分を傷つける凶器なのかもしれない。だが、そもそも魔物が人間を襲うから自己防衛のために応戦する必要が生じるわけであって、やむを得ないことなのだと思う。
まあ、そのあたりはもっと勉強するべきなのだろう。
「どんな技術だって、最初は学問として好奇心から生まれてくるものだと思うんだ。そして、それは純粋な存在なんだ。だけどそれが利用されるとき、必ず正の面と負の面が出てくる。技術を悪用しようとする奴はどうしたって出てくるんだ」
俺の話を、エストは黙って聞いている。
「そんなときに、悪い奴を止められる人がいれば素晴らしいことだと思う。だって、苦しむ人を助けることができるんだから。それは、力のある人にしかできないことなんだよ。心ある人が力を振るえば、それはきっと支えになる」
もちろん、力を無条件で礼賛するわけじゃない。だけど、力なき意志は無力なのだと俺は思う。どんなに歯切れの良い言葉を述べたところで、それを実現するだけの算段が無ければ何の意味も持たないからだ。
「だから、エストの力はきっと人々の幸せを守るためにあるんだよ」
我ながら、柄にもない語り口だと感じていた。自信もない。だけど落ち込むエストを目の前にして、何とか力になれないか――なってやりたい、と思っていた。
エストが少し顔を上げる。
「それに、さ。一番大事だと思うことなんだけど、能力があるかどうかなんてどうだっていいんだよ。誰かを必要として、必要とされて、愛情の輪の中にいれば、さ。フィーのこと、大切に思ってるんだろ?」
エストがこくりと頷く。
「だったら、フィーもエストのことを大切に思ってるんだよ。それだけで、いいじゃないか」
フェアリーゼのあの性格だ、自分を慕ってくれる妹を大切に思わないはずがないし、だからこそエストもフェアリーゼを慕っているのだろう。
「だからほら、元気出せよ。エストに湿っぽい顔は似合わないぞ」
俺は自分から笑顔を作る。それにつられて、エストの表情も少し柔らかくなる。
「リュウ」
「ん?」
「……ありがと」
言って、微笑む。うん、大分元気出たな。
「守るための力、かあ……」
言って、天を仰ぐ。
「そんな力、あたしでも振るえるようになれるのかな」
「なれるさ。正しい心さえ持っていれば」
「正しい心……」
エストが少し考え込む素振りを見せる。
「あたし、自分が馬鹿だってことを諦めてたけど、もっともっと勉強しようと思う。自分の力を正しく使えるようになりたいから。馬鹿なままだと、誰かに利用されたり、勘違いして力を悪い方向に使ってしまいそうだから」
「そっか」
確かに、な。何が正しくて何が間違ってるか、それを判断するには知恵と知識は不可欠だろう。いや、世の中には正しいも間違ってるも無いことがほとんど、か。そんな時、自分が"良かれ"と思うことを決断していかなきゃならないわけで。
特に王族なんて、そんな決断を迫られる機会は少なくないだろう。
「だけど、エストは絶対馬鹿じゃないと思う。本当に馬鹿だったらそんな風には考えられないよ。正直、俺も今のエストの言葉を聞いてハッとしたんだ。多分さ……エストって、単に学問とかそういうのが嫌いなだけじゃないの?」
「……う」
エストが言葉を詰まらせる。
「……だって、歴史とか面白くないし、神学とかわけ分からないし、礼法とか性に合わないし。何よ神の奇跡が大地を作りたもう、って。今日日、おとぎ話でもそんなの見ないわよ」
ぶつぶつと不平をこぼす。うーん、確かにそりゃ不満の一つも言いたくなるような面子だわな。名前を聞くだけでで眠気をもよおしそうだ。
俺だって、例えば古典歴史古典古典歴史古典なんて時間割をやられたりしたら、軽く発狂できる自信がある。――古典の先生、ごめんなさい。でも本音なんです。分かれば面白いのかもしれないと、分からないと……苦痛なんてレベルじゃねーです。
「ま、少しずつ慣れていけばいいんじゃないか? 考えも変われば、きっと見方も違ってくるんじゃないかなって気がするし」
「……そう、かな」
「そういうこと」
必要は発明の母、なんてね。
「まあ……俺も頑張らなきゃな。いくら魔力があるからって、暴発の危険があるんじゃ使い物にならないよ。完璧に、制御できるようにならないと」
実際、重要な問題だと思う。例えば誰かに襲われたとして、うっかり魔法で応戦すれば相手に大きな怪我――あるいは死をもたらしてしまうかもしれない。そんなのはまっぴらだ。
「じゃあ、リュウがしっかり制御できるようになったら再戦しようね」
「怖くないのか?」
「ん……リュウだったらきっと大丈夫って思うから」
そっか。じゃあ、期待に添えるように頑張らなきゃな。
「リュウ」
「ん?」
「あたしたち、"正しい力"を使えるようになろうね」
言って、エストが手を差し出してくる。俺は微笑んで、その手を取って握手を交わす。華奢だけど、力強い感触。
「でも、リュウの力は姉様を守るためのものかな?」
「……まだ言うか」
俺は思わず苦笑いを浮かべる。なんで俺とフェアリーゼをそういう関係にさせたがるんだ。
……悪い気はしないけどさ。
「さて、と。それじゃそろそろ帰ろっか」
俺とエストは立ち上がり、尻に付いた泥を払う。エストが指笛を鳴らすと、遠くをうろついていた竜――アステアがこちらに飛んでくる。
来たときと同じように、俺たちはアステアの背に乗った。エストが手綱を鳴らすと、アステアが一声いなないて、羽ばたき始める。
空に、舞う。運動したあとの風はとても心地よかった。
「ちょっと寄っていきたいところがあるんだけど、いいかな?」
「いいけど、どこへ?」
「クレニアス総合商店。欲しい本があるんだ」
ふーん、本、か。ってことは、活版印刷の技術なんかもあったりするのかな?
「そういうものって、召使いの人が用意してくれるものなんじゃないのか?」
わざわざ王女が街まで出て買いに行くもんなんだろうか、と思った。
「うーん……ちょっと、ね。流行ものの小説だから、買いに行ってもらってるのがバレたら『そんな低俗なものを読んでる暇があったら、テーブルマナーの一つくらい覚えなさい!』なんて言われちゃうし。ああもう、思い出すだけでうっとーしい」
なるほど、な。誰だって買いにくい本の一つや二つはあるよなあ。俺だって、中学生の頃にエロほ……げふんげふん。
嗜好はいたってノーマルですよ?
「その店って、服とかも売ってる?」
「うん、売ってるよ」
うーん、どうしようか。服を買いたいが、金がない。かといって、さすがにエストに金の無心をするのは……
ええい、腹をくくれ。
「すっげぇ恥ずかしい頼みなんだけど……その……金を貸してくれないか?」
恥を忍んで、頼むことにした。
「いいけど、何に使うの?」
「服。着替えがない」
「そうなんだ。いいよ、買ってあげるから」
「いや。気持ちはありがたいけど、甘えてしまったら人間としてダメな気がする。稼ぐ方法も教えてもらったし、ちゃんと返すよ」
「ふうん……」
気分を害してしまったかな、とちょっと不安になる。
「やっぱりリュウって偉いね。あたしだったら、きっと甘えちゃうなあ」
「そんな大層なもんでもないよ。変な意地を張ってる部分もあるだろうし」
男の意地、ってやつだ。ま、こう言うと男女差別になりそうだし、口にすることはないのだが。そんな意図は無いにしても、だ。
何にせよ、換えの服が手に入りそうで一安心、かな。