一章 エルフのふとももステーキ
魔大陸にある原初の森林、その奥地。
ここは非常に力が強く血に飢えた魔獣や猛獣の跋扈する危険な森で、範囲は大陸の三分の一以上に及ぶ。
そんな危険な森の中に住まう亜人がいる。
この章で紹介する食材は「エルフ」である。
私が捕獲したのはメスだった。
横でもがき、さながら芋虫のように這いながら逃げ出そうと体を捩らせる。
猿轡をしているので、喋ることはできないながらも、時折うめきながらこちらを睨みつける様子は、今にも私を食い殺さんとするようだった。
まあ食べる側は私なのだが。
後人のためにどのように捕獲したのか、少しばかり記そうと思う。
エルフは警戒心が高く、森の生活に適応した種族であるため森の中での罠猟はおすすめしない。
また、エルフは弓の名手であるため、遠距離からの弓を使った猟も、逆に手痛い反撃をくらう可能性があるためにおすすめはしない。
ではどうするのかというと、答えは夜襲、つまりは寝込みを襲うのである。
エルフの集落はその特性上、棲家が木々の間や樹上に個別に作られることが多く、一体分の所有する土地が大きい。
そのため、個室に一体のみで睡眠をとっていることが多く、簡単に寝込みを襲うことができる。
また、種族的に子を沢山成す生態をしておらず、一集落にいる個体数は多くないので、夜間であれば警備につく人数がかなり少ない。
そのため、捕獲に際しては警戒心の強い昼間を避け、夜間に捕獲することが望ましい。
さて、捕獲方法を説明し終えたところで、さっそく調理工程に移ろうと思う。
捕獲の良いところは、血抜きしなくて良い点にあるだろう。仮に殺して運ぶことにするのであれば、血抜きしなくては肉は臭みが出てしまい、また腐りやすくなってしまう。肉も硬くなるだろう。
つまりは長距離の移動には適していないので、現地での速やかな処理が求められてしまう。
しかし捕獲であればゆっくりと火を起こし、鉄板を焦がしてもなおそれから調理を始められる余裕がある。
話が少し逸れたので、戻そう。
エルフを調理するにあたり、私が最初に悩んだのは、その可食部位の少なさである。
エルフはオス・メスともに細身の個体が多く、脂肪分が極端に少ない。かといって筋肉量があるわけではないので、赤身も少ない。
内蔵はあるが、臓物は処理に手間取るので調理に時間がかかるし、食道や腸は内容物によって他の可食部位を減らしてしまうかもしれないので、腹腔内にはあまり手をつけたくないのが本音だ。
であれば、どこを食べるか。
私が目をつけたのは太ももである。
太ももは体格上動かすことが多いためある程度筋肉量が確保されるし、また、両側あるため可食部位も量が確保できる。
ナイフを手に取り、私はエルフの太ももを眺め、そしてもう片方の手で少し触れた。
ふとももは実に柔らかく、焼いてみる前から食感に期待が持てた。
ナイフを滑らせ肉を剥ぎ取る間、エルフがかなり動いた。人によってはこの解体工程があまり好ましくないものもいるため、記載は簡潔にしておくこととする。
出血もそれなりであったが、まあすぐに食べてしまうので、これで死んでも味が落ちることを気にする心配はない。
切り分けた肉をさっそく鉄板にのせる。
しばらく焼くと、食欲を手招きする香ばしい香りが鼻腔に流れ込んだ。
やはり肉を焼いている時間はどんな調味料にも勝る至極のスパイスである。
さて、両面をしっかりと焼いて、味付けはせずに、ナイフで肉を切り分ける。
なんの抵抗感もなくナイフが肉に入っていった。
とても柔らかいことが手の感覚で分かる。
やや生に近かったが、食欲を抑えきれずに私は一口サイズに切り分けた肉を口へと運んだ。
はっきり書こう、これまで食べたどんな肉よりも美味であった。一度だけ招かれたことがある王族の晩餐会で食べた最高級品質の牛肉よりも、そして、初めて食べたドラゴンの肉よりも美味いと感じた。特別に空腹であったわけでもないのにだ。
脂身がほとんどないからか肉に臭みがまったくない。臭み消しをせず食べているのに、肉そのものが美味いとは素晴らしい。普通、肉にはその生き物の匂いがつくものだ。特に肉食の魔物や動物は、肉に独特な匂いがつく。
エルフは基本草食であるからか、肉に臭みがつきにくいと考えられた。やはり食べるものと肉の味の関係性は切っても切れないらしい。
また、美味いと感じたのはそれだけが理由ではない。噛んでいることを感じさせない柔らかい食感も、旨味を引き立てている。赤身肉であるのに歯がまったく噛みづらさを感じないことによって一口、二口と食べ進めていても顎に疲れが溜まらない。ふとももは二足型の生物であれば背中の次に筋肉がつきやすい場所だ。筋肉は筋張って硬くなるので、柔らかいというだけで驚きであった。
ある程度食べすすめたあと、私は鞄からバジルを取り出した。
臭み消しにと持ってきたが、単純な味付けにも使えるので少し味付けをすることでまたさらに旨味を引き出せるのではないかと考えたのだ。
まだ焼いていない太ももにサッとバジルをかける。
満遍なくちらしたところで肉を焼くと、バジルの爽やかな匂いがあたりに広がった。
合う。
絶対にエルフとバジルは合う。
食べる前からそう確信させるほどに、肉の上で繰り広げられる肉汁とバジルのダンスは私の食欲を掻き立てた。
しばし焼いた肉を、また一口サイズに切り分け、口に運ぶ。
美味いと分かっているものを口に運ぶこと時間は、本当に幸せな瞬間である。
香りたつバジルの爽やかさが口いっぱいに広がり、エルフ肉の上質な脂と肉汁がそれに続いて口を楽しませる。
口に入った肉を飲み込んだあと、私は空を見上げてこう思った。
エルフとはハーブとの限りない相互作用を持つ上質な肉をその身に持つ亜人であったのだと。
未知への探求、その第一歩目を確かに踏み出した瞬間であった。
ちらとエルフの方を見ると、なにやら目を見開き震えていた。
君の肉は素晴らしい、今まで食べた肉の中で最高級の品質だ。柔らかいだけでなく臭みもない。これは王族でも舌鼓するほどの極上肉だ。
私はそう伝えた。
もしかしたら、と猿轡をずらして肉を口に運んでやったが、吐いてしまった。
もったいないことだ。
しかし、草食のエルフたちに対し強引に肉を食べさせればそうなるだろう。
これは私の失態であった。
あまりの美味さに焼いていた肉はすぐに食べ終わってしまった。
だが太ももはもう一本もある。
先ほどと同じように肉を削ぎ、鉄板に乗せた。
肉の焼ける音だけが、世界に響き渡る。
この音と、広がる匂いはいつまでも感じていられる。
その時、風切り音を伴って足下に矢が突き刺さった。
矢と矢羽の向きから放たれた方向を推察しそちらに目を向けると、エルフの集団がこちらに走ってきているのが木々の間から確認できた。
そう、つまりはエルフの仲間が助けに来たのだ。
野生の生物であればそんなことはしないものだが、やはり文明、文化のある亜人だからこそ起こったことだろう。
助けに現れたエルフたちはまるで軍隊のように統一された衣装を纏い、そして一様に脅し文句を口にして私を斬り殺そうと剣を高々と掲げていた。
このとき、全て返り討ちにすることも考えたが、殺してしまえばかなりの肉の量になり消費が追いつかないのと、またこの柔らかいエルフ肉を食べに来たいので、ここで殺しすぎてしまうのは良くないだろうという二つの理由から食事を中断し、逃げることを私は選んだ。
まだ焼いている肉があるが、焼ききるまでには包囲されてしまうのが、一つ心残りではあった。
また食べにくる。
そう捕まえていたエルフに告げると、私は荷物を持ち、森の外側へと逃げたのだった。
以上がエルフのふとももステーキの紹介であった。気になったものはぜひ、エルフの柔らかい肉とその味を確かめてほしい。