第一話 最初から
風の音がする。
ヒヤリとした冷たい風を顔に感じて目が覚めると、そこは暗闇を照らす月と木々が立ち並び生い茂る芝生の上だった。
どこだ此処は。俺は普通に寝たはずだ。どうやったらこんな場所に。
疑問を抱くがすぐに異変に気づく。
体が、いや世界が大きい?
目に見える木が物凄く大きく感じた。
それに何だこれは。布に包まれているのか。いや、その前にこれはバスケット・・・ただの籠程度しか広さは無いはずなのにすっぽりと俺は入っている。
手足も上手く動かない。
俺はとある想像にゾッとした。その感覚が広がり、全身にゾワゾワとした感覚が走る。
――――――手足を切られた、のか。
必死に布に包まれていて見えないが、体を動かそうとしても、一向に布から手足を出すことは叶わなかった。
クソッ。何なんだ急に。何が起きてるんだ。〜〜〜!
「あっ・・・ぉ、おっ、・・・・・・あっ」
声が出ない?!
叫ぼうと体全身に力を入れるが、出たのは小さな呻き声。
そんな馬鹿な。嘘だろ。
「あ・・・ーお、き――――――あっ!」
ちくしょう。何なんだ。体は動かないし声も出せない。
軽いパニック症状に陥り、最悪な想像だけが脳裏をかすめる。
そしてあり得ない事を考える。
あの夢の仕業か?!
その後は焦っても無駄だと悟り、ただただ空に浮かぶ黒い雲を見つめ、冷たい風に耐える。
目の前には木が立ち並び、時折する枝が折れる音や動物の鳴き声に良くない想像をして冷や汗が流れる。
「グルルル・・・」
そして、その時はやってきた。聞こえてはいけない音、心臓が跳ねるように音を鳴らす。
大地を歩く音と唸り声が徐々に近づいてくるのが分かる。
地面の揺れ、匂いがすぐそこまで来ているのを分からせてくる。
冷水をかけられたように思考が止まり息をとめ、目を閉じて何事もなく通って行くのを願うことしか出来ない。
頼む、頼む、頼む、頼む頼む頼む頼むたの・・・。
「グルルル」
目の前で音がして目を開けると、目の前に赤い目をした白い狼が口から涎を垂らして覗いていた。
「あ、ア、ぁあーーー!」
無慈悲にも大きく口を開け、牙を見せつけながら噛み付いてきた。
―――――終わった。
思考が流れ、目を閉じた。
・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・。
何も起きない事に震えながら瞼を開く。
「ウ”ーーー!」
眼前で口を大きく開いたままの狼の牙があった。だが、バスケットの上あたりで光の膜によって止まっていた。
「グルゥー・・・」
狼が諦めて顎を引くと光の膜も同時に消えた。
た、助かっ。
「グルゥ!」
再度狼が大きく口を開けて来たがまた光の膜で防がれた。
冷や汗が止まらず、息が出来ない状況が続いたが、その後、何度か噛み付こうとするも全て防がれた狼は森の方に帰って行った。
ふーーー。
心の中で大きく息を吐く。ようやく呼吸が出来た気がした。汗で湿っている。だが、不思議と冷たい風を感じなくなった。
よく分からない状況で体も動かないし、バスケットは光るし、本当に、何が起きてるんだ!!
しばらくして落ち着くと夢の事を思い出していた。
そういえば、こうなる前に変な夢を見たな。世界の追放だとか私の世界だとか。ププッ。あれが現実で言ってたら痛すぎでしょ。
思い出して笑うが、実際あの夢の後に今の状況に陥っている訳だし少し真面目に考えるか。
・・・と考えても違う世界に来ました。代償は手足と声です。なめてんのかあいつら。くそーあいつら今度会った時は・・・って夢か。
それよりも建設的な話だ。落ち着け。状況の確認だ。
手足は・・・あれ。落ち着いてみると全然動かないだけで感覚はあるぞ!
ちゃんと確認は取れないが幻肢ではないと思いたい。
それにしても随分と体が小さくなった。手足があるにしてもバスケットに入るサイズだもんな。周りも何だか大きく見えるし。
・・・あれ。布に包まれて、バスケットの中。体は小さい。
――――――赤ん坊に戻ってるのか?!
いやいや、待てよ。何で戻った。それにバスケットは日本の文化じゃないぞ。それに赤子がこんな森の入口に捨てられていたら大問題だ。
どんどんと疑問が解けては生まれていく。その過程、ありえない状況に興奮しつつも一つの仮説がうまれた。
という事は本当に。まさか。俺は赤ん坊になって違う世界に飛ばされたって事なのか?!
・・・アーーーッハッハッハッハッハッハ、まじ?
とりあえずの状況は分かったがある事に気づいてすぐに思考が冷める。
なら、何故赤ん坊が肉食の獣がいる森の前にいるのか。
まるで、取って食べてくださいと言っているようではないか。
俺は無力な赤ん坊でこっちの世界に送られ、目の前に肉食の獣。
体の芯が震える気がした。
俺は死ぬのか。何も出来ずに食べられるのか。
こんな状況だ。あの訳の分からない光の膜だってきっといつか破られるように出来てるはずだ。そうじゃないと、殺すために置かれた場所と生かすために張られた膜では意味が矛盾する。
・・・まあ、破られなかったとしても俺は何れ餓死するだろうから、それまで怖がらせるというのもあるかも知れないが、ガキにする意味は無い、と思いたい。
くそっ、こんなところで死んでたまるか。親が居たら引きずってでも同じ目に合わせてやる。
先程までの狼の口を開けた光景がフラッシュバックする。
風でも汗でもなく体の芯が寒い。震える。
それでも無力な俺に出来ることは何も無い。ただ、確定した死を待つだけしか出来ない。
助けて。誰か。恩は絶対返す。なんだってするから誰か助けてくれ!
どれだけ祈っても森の中からする生き物の鳴き声と、木々が揺れる音だけが世界を支配している。
時間が経って、考えれば考えるだけ悪いことしか思いつかなかった。
餓死って苦しいのか。狼に食べられるのとどっちが辛いのか。それとも舌を噛む。でも怖い。死ぬってすぐなのか。悠はしばらく生きてたな。俺も同じ目にあうのか。でも俺はちゃんと死ぬように噛んだけど狼はそこまでしてくれるだろうか。
俺は寒さに震えながら楽に死ぬ方法だけを考えていた。時折くる処刑人に時が止まりつつ、去ってもよりマイナスの思考へ傾いて行った。
その日は眠ることなく永遠と続いた。
陽が登った。冷え切った心も少しだけ楽になった。でも震えは少し残っている。
ただ陽が登った事で人が通るんじゃないか。と少しの希望を抱けた。
だがその日はあいにく人は通らなかった。
また長い夜がやって来た。寒い。
また狼がやって来た。今回のは今までより一回りサイズが大きい。これだけ大きいと膜を破られんじゃないか。と不安に駆られたが結局今までの繰り返しだった。
夜はまた一睡も出来ずに思考は何度も同じ事を繰り返し考えていた。
陽が登ると少しだけ希望が湧いてくる。頼む、今日こそ誰か通ってくれ。俺の命が掛かっているんだ。
だが今日も人は通らなかった。
また寒い夜が来た。三回目の夜だ。瞼が重く眠たかったが寝ている間に人が通ったら。寝ている間に噛み付かれたら。そう思うと眠れなかった。誰か、早く助けて。
夜中にどうやら寝たらしい。
だんだんとこの状況に慣れてきたのだろうか。人は思ったより強いのかも知れない。考えたって死ぬ時は死ぬ。慣れたと言うより諦めた。
不思議と喉が渇いたり、お腹が空いた感覚がない。今まではそれ所じゃないと思っていたが今の心境だと違うのかもしれない。
ゆっくり眠って餓死の心配も減り同時に助かる気がしてきた。もしかして思ったよりも膜は強くて生きられるんじゃないのか。
そう思うと途端に体から力が湧いてきた。
四回目の夜がやって来た。今日も人は通らなかった。でも、待てばいい。心に余裕が生まれていた。
星空をゆっくり眺めるが、分かりやすい星座は見当たらなかった。やっぱりここは地球では無いんだなと再確認をしたその時。
「ゴギャアアァァ!」
星空が鋭い牙で埋め尽くされた。
しばらく膜を破ろうと噛み付いたままだったが、諦めて帰って行った。
何だ今の?!心臓が一瞬止まったぞ。
普段なら狼の唸り声とかで気づくが今の奴は体毛が黒く、顔より口の方がでかい生物だった。
そして何より突然だった。
な、何はともあれアイツでも膜は破れなかったという事は安心して良いんだよな。
ちょっとしたサプライズはあったがその日から日が経つのが早くなった。
赤ちゃんの体だからか寝ようと思えばいくらでも寝れるし、もう狼や他の獣が来ても余裕で見ていられる。テレビみたいに別世界のように思えた。
数日が経った。途中で詳しく数えるのをやめたが一向に人は通らない。
更に数日が経つがまだ人は通らない。ただ、ある程度は動ける様になってきた。まだ立つことは出来ないが、ハイハイなら出来るだろう。動くスペースがないけど。
どんどん日を重ねるとようやく、立てるようになった。転んでひっくり返らないように慎重に立つ。
周りを見ると、見渡す限り永遠と草木が生い茂っていた。
日中の暖かい風が、草に波をうみながらやって来てそのまま森の葉を揺らしていく。
ちょうど森と草原の境目にいるのがよく分かる。
ただ、文明の形跡が一切見られない事に不安の火種がほのかに燃えてきた。
大丈夫。きっと誰か来るはず。この中で待てばいいんだ。
打ち消すように考えつつ、その日から出来るだけ立ち続けた。人が見える事を願って。
雨が降ろうが、雪が降ろうが、光の膜によって護られた。
こっちに来て一年が経ったのでは無いだろうか。それでもまだ人は通らない。
立って、待って、待って、待ち続けた。
そんなある日、月明かりで夜も明るい草原でとある場面を見ることが出来た。
森から少し出た草原で二匹の動物が向かい合っていた。
片方は今までに見たことないサイズのでかい白い狼だ。
そしてもう一匹は以前驚いた黒い毛並みで顔が口なんじゃないかってくらい広がる四足歩行の獣。
見たままだと白い狼の方が倍くらいでかいが、黒い獣は逃げることなく向かい合って睨み続けていた。
しばらく互いを睨み合っていたが、突然白い狼が遠吠えみたいな声を上げる。
「アオオォォォオン!」
何だあれ?!
遠吠えをしたと思ったら狼の頭上にでかい水の球が出来上がった。
「ゴリュ!」
黒い獣からも声がしたと思って見たら姿が消えていた。
白い狼も姿が消えた事に戸惑っているのか、ただ立ち尽くしている。
しばらくは動きがなく、ただ白い狼が立っているだけにしか見えなかった。
だが突然動きがあった。横から見ている俺だからこそ気づけたが、白い狼の後ろで黒い影が蠢いたと思ったら黒い獣がそこから口をでかく拡げて飛び出してきた。
白い狼も気づくことなく、黒い獣はそのまま狼の後ろ足の根元にかぶりついた。
「グリュゥゥウ」
そのまま根元を喰いちぎる。
想像したがその通りにはならなかった。
噛み付いていた黒い獣に向かって容赦なく水の球が飛んで行ったからだ。
黒い獣は多少の肉をちぎったものの吹き飛び気絶。そのまま白い狼がとどめを刺した。
何か凄いものを見た気がした。
あれは恐らく魔法だ。ゲームや漫画であったのと同じようなものだ。なら、この光の膜も魔法で出来ているんじゃないか。
そこまで考えて、体が震えた。
もし、もしもあの水の球をぶつけられてもこの光の膜は大丈夫なのか。大丈夫なはずがない。
・・・でも、もし俺が使えたら体格差があろうと、赤子であろうと、何とかなるんじゃないか。
希望と絶望の両方が降ってきたことに俺はよけに頭を悩ませる展開となった。
それから更に日が経ち、今までになかった異変によって俺は更に追い込まれる。
――――――お腹が空いている。