父の背中
初めは詩のつもりでスタートしました。
けれども詩というには少し長く、ヒューマンドラマとして投稿してあります。
けれども、内容的にヒューマンドラマというには描写が足りないと感じているのですね。今の自分の力では、このくらいを書くのが精一杯でした。
まずは、この物語はフィクションです。
父はやさしい人だった。
一家に君臨する祖母のもとで、
黙々と仕事をする、職人であったように思う。
僕は山が好きな父に連れられて、
いろいろなところへと行った。
身体が、特に幼少期は強くなかった僕は、
父には物足りない子ではなかったのではと、
そんなふうに、ふと思うことがある。
父は僕と違って、人に好かれる人だった。
僕以外の家族は、外交的な人好きのするタイプで、
内向的な自分とは違っていたからだ。
「違う家の子じゃない?」
そう言って同級生からかわれたことも幾度かある。
今思うと皮肉な話だ。
でも僕には皆まぎれもない大切な家族だ。
そこには決して変わらない。
父の余命がわずか二か月だと、突然来た母からの留守電の伝言を聞いた時、
足下が崩れ落ちる思いだった。
かけ直した時の母の話では、今も元気に仕事をしているという。
医者嫌いで、年一回の健康診断すら行かない父だが、
僕と違い、身体もたくましく強く、
病魔に侵されてしまうことはないと思えたのだ。
身体も弱く、心が出来損ないの僕が生きて、
なぜ父が死ぬのか?
理解できなかった。
僕が代わりに死ねばいい。
そう思ったことが何度もある。
−◇−
父は祖母よりも先に逝った。
梅雨頃に父の余命宣告を母が受けてから、
母が、わらにもすがる思いで医者との話し合いで行われた、治療の投薬の副作用で、坂道を転げるように、父はあっという間に体力を落とし、
それでも、父はうだるような夏の最中にではなく、秋の涼しい風が吹くころまで頑張ってこの世界に留まっていた。
僕は父を看取ることができなかった。
あまりに早過ぎる余命と、医者と母との相談の結果、
優しく繊細な父に告げるべきでないということになったからだ。
だから僕は、普段通りに振る舞うために、
あの3ヵ月間はいつもと変わらないように見える日常をなぞっていた。
あの時期は仕事をしながら、時折抜け殻のようだったのではないかと思う。
迷惑が掛かると予想できたので、勤務先の上司には伝えてあったから、
たぶんいろいろと気を使ってくれていたのだろう。
父の逝った日も、僕は仕事に出かけており、
勤め先にかかってきた母からの涙声の連絡を受けて、
仕事を抜けてから東京のアパートへ急ぎ、
帰り支度をして喪服を手に、入院先の病院を目指したのだ。
けれども、勤め先からアパートを回り、地元の病院までだと、どう急いだとしても数時間はかかってしまう。
焦る心と、間に合わないという諦めとが、ぐるぐると渦巻く中、
かばんに放り込んだままだった読みかけの文庫を取り出し開き、
まったく頭に入らず閉じてしまうということを何度も繰り返しながら、
いつもの帰省の時のように、幾度も列車を乗り継いでいった。
昼過ぎた頃に着いた病院では、亡くなった父の身を清めている最中で、
僕は直ぐに父の顔を見ることができなかった。
僕は結局、一時間ほど間に合わなかったのだ。
親戚や家族の話では、母や祖母、兄弟に看取られながら、
父は最後ににっこりと笑い逝ったのだという。
還暦を経ず若くして逝った父が、
笑って最後を遂げたことは、家族や周囲の人に対して、間違いなく救いになっていたのだった。
今、そのことを思い返して感じているのは、いつか僕も、ああやって笑って逝きたいということだ。
そんな想いが胸の内にある。
それは僕の最後の夢だ。
前を向き、悔いなく進み、笑って逝きたい。
父は今、やはり看取ることのできなかった、僕の弟分だった愛犬と共に、どこまでもどこまでも、かつて行きたいと思ったところへ行っているのだろう。
いつか山登りをした時に見た、
あの楽しげな背中が見えるようだ。
−◇−
父の居ない時間が、僕の人生の半分であった時を越えて過ぎようとしている。
やさしい父だった。
父は、出来の良くない、跳ねっ返りな弟の作った借金の取り立てにも行かない人だった。
父の兄弟の中では一番酒が弱く、陽気な酒のみだった。
酒が過ぎることもあり、時折酒の悪さで感情を激することもあったが、
それでも家族に手を上げることはなかった人だった。
僕は父が死ぬまでに、叱って叩かれたことも、
平時に怒鳴られたこともなかった。
優しく繊細な人だったのだ。
そして人に好かれていた。
父の葬儀には多くの人が訪れてくれた。
ごくふつうの家庭の自宅での葬儀に、数百メートルにもなる弔問の列ができたということはなかなか無いと、
葬儀の様子を写真に収めてくれた、父の友人のひとりがそんなことを語ってくれた。
僕は今も、母と、もう居ない祖母と共に、いただいたその時の写真を見ながら、家族とした父の話のことを忘れられない。
父が居なくなってからも、
僕の、父の背中を追う日々は続いた。
年齢を重ねてきた僕の顔つきは、父にとてもよく似ているという。
少し不思議に感じながらも、そういうこともあるのだと思いながら、今までの日々を歩いてきた。
僕が父の年になり、父の背中に追いついて並び、
そして追い越した先には何が見えるのだろう。
僕の人生はそこまでかもしれないと思ったこともあったけれど、
まだ幾らかは続いてゆくその道を、歩いてゆくことになるのだろう。
僕の先にある道。
僕には何が見えるのだろう。
僕はどこまでゆけるのだろう。
僕はそのことを思うと、少しだけ、わくわくする気持ちになることに気づく。
とても楽しみだ。
そして続く道の先に、きっと父の背中の幻を見るのだ……。