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先代勇者は相棒を救いたい


 ユーツァが、水竜の攻撃を受け傷付いた勇者から聖剣を奪わなかった理由はただ一つだ。

 あの勇者は、例え自分が死のうとも決して聖剣を手放そうとしない。叩きのめして気絶させようが、剣を奪われるくらいなら死ぬ。魔王討伐のためなら他の全てを犠牲とするという主張とはあまりに矛盾した、自己犠牲の精神が根付いている。

 聖剣さえあれば次の勇者が現れるとでも思っているのだろうか?

 きっとそうじゃない。勇者は、あいつは――



「おにーちゃん、寝ちゃったのー?」

「考え事してたの。寝てる暇ねーからさ」

 よく知る少女の呼び声で、マチノは我に返った。ここはミナの隣町で、知人の家だった。といっても、山を一つ越えた隣町であり、山間にあるここは外との交流も少ない。交流があるとすれば、水竜への信仰を同じくするミナだけだ。

 交流の無い理由は山が険しいこと。そしてもう一つ。

 マチノの前にいる少女には、黒い角と翼、尾が生えている。口を開けば小さな牙も見える。人間ではないのだ。この子供だけでなく、町に住む全員が。

 ここは魔族の隠れ住む地である。黒の英雄がひっそりと作った、彼なりの平和によって成り立たせた町である。人間と魔族の境界が曖昧なミナ以外との交流は行えない。

 対するマチノも、今この場では人とは異なる姿をしている。

「白粉持ってきたよー」

「お、サンキュー」

「お手手出して!」

「はい」

 マチノが少女に差し出した腕は、暗闇のような色をしていた。

 腕だけではない。顔も、眼球や口腔さえも、ありとあらゆる部位が影そのものだった。光を一切反射しないそれは、影がそこにあるのか、空間が切り取られているのか、その区別もつかないほど。当然、表情も見えない。シルエットが衣服を着ている状態だった。

 その手に少女が色を付けた白粉を塗って、存在を固定するように、彼を人に変える。

「お顔もー」

「はいはい」

 少女が頬に手を伸ばす。白粉の付いた手で頬を捏ねて、額に手を当てて、鼻筋を撫でる。そこでマチノは手を止めさせた。

「後は俺がやる」

「えー?」

「変な顔にされたら困るんでなァ」

「しないよー」

 マチノは鏡台の前に座り、より細かく丁寧に顔を塗り込んでいく。手慣れていた。

「おにーちゃん、お目目どうしてるの?」

「んー? 竜のお兄さんに貰ったんだがな、これ」

 少女に問われ、マチノは小さく透明な容器に入った、二枚の薄い膜を取り出す。目の模様が描かれているそれを、迷いなく眼球の上に置いた。数回まばたきをして、鏡で見た目を確認すると少女に見せる。

「ほら、目に絵を貼っつけんの」

 言葉通り、真っ黒だった眼球に、人間と変わらない強膜や虹彩が描かれる。

「お目目痛ーい」

「痛くねーよ。ずれると痛ぇけど」

「お目目の色お揃ーい」

「そうそう、アンとお揃い」

「お口は?」

「口専用のやつがあってなー」

 荷物から次々に化粧道具を取り出し、マチノは少女に説明して見せた。さながら親子か兄妹のように見えるが、彼らに血縁関係はない。

 楽しげに話す二人に、男が声をかける。

「さっきの話なんだが」

「おう」

 楽しい化粧遊びを切り上げて、マチノは男に向き直った。

 男はこの町の町長である。そして、マチノと最も親しく、付き合いの長い男だった。少女と同じ角と翼が生えている。尻尾は無い。

「詳しく聞かせてくれ。勇者が来るとは、どういうことだ」

「新勇者が生まれたのは知ってっかァ?」

「……初耳だ」

「あっはァ、やっぱこんな田舎にゃ情報も来ねーか。昨日ミナを出たとこだ。次はキリュに行くらしい」

 火山を見上げる町キリュ。ミナから山脈を越え、人の手が及んでいない大森林を抜けた先にある町である。山中にあるこの町は、直線で向かうならば確かに立ち寄ることになる。

「キリュか……ここを通ることは無さそうだが」

「海から行くならな。ただ、真っ直ぐ山を突っ切るならわかんねーぜ?」

「わざわざ陸を行くか?」

「水竜が荒れやがったんだ。んで、船は出なかった。一日待ちゃいいのに、運の無い勇者御一行は陸路を選んだわけだな」

 本来は、大森林を抜けることなどあり得ないのだ。この地に魔物こそ発生しないが、自然の動植物、そして土地の広大さが人間の感覚を狂わせてしまう。だからこそ歴代の勇者すら通らない『人の手が及んでいない土地』のままでいられたのだ。

 そのことを知らない人間はいない。その上でこの地を進むということは、相当の覚悟を抱いているということであり、魔王討伐の旅を急いでいるということであり。

「んで、それより運の悪ィお前らの村は通り道になっちまってるってこと!」

 それだけ焦っている勇者の前に魔族が姿を表したとなれば、交渉する機会すら与えられない可能性がある。

「だから、我々に逃げろと命じたのか」

「今回の勇者は、白の奴とは違ぇからな」

「しかし、家を捨てるなんて」

「俺に逆らうのか?」

 マチノは傍らに居る少女の肩を抱いた。町長は目に見えて動揺し、俯く。少女は彼の一人娘である。わかりやすい脅しだった。

「……い、いえ。黒の英雄様に逆らうことなど」

「ひひっ、それで良いんだよ。尻尾切られんのは痛かったろ?」

 この町に来るなり、マチノは住民全員に逃げ出すよう指示を出したのだ。あと一時間程度で最低限の荷物をまとめて、家を捨てて、迂回ルートでミナを目指せと。町民は誰一人マチノに逆らえず、今も着実に脱出しつつある。

「んな顔すんなよ。最悪でもミナに数日、そうでなくても山の中に隠れてりゃ戻ってこれる。一時避難するだけだ」

「勇者と話し合いは……」

「無理だな。なんつーか、俺に似てんだよ、今期の勇者サマは」

 突如、窓の外が騒がしくなった。誰かが叫び、誰かが焦って助けを呼んでいるようだ。

 町長は明確に恐怖を表情で示した。

「早すぎる……まだ半数も脱出していないぞ」

「まあ、いざとなったら俺が出てやらァ。今日は止める奴も居ねぇことだし……」

 対するマチノは平然と、むしろ楽しげに混乱を眺めていた。今はユーツァが居ないのだ。城でも、洞窟でも、地竜の前でも、ミナでも隙あらば武器を手に取っていたマチノを制し、時には体を羽交い締めにしてまで止めていた相棒が居ないのだ。だから今なら、やるべきことを終えた後ならば、思う存分戦って遊べると思っていた。

 そんなマチノに、窓の外から声がかかる。

「魔物が出たんです! マチノさん!」

「ん」

 マチノの高揚していた気分が一気に下がった。

 魔物について改めて説明しよう。魔王が発生すると共に自然発生する化け物である。動物のような外見をしているが、血を流さず、死ねば霧となって消えてしまうため肉も皮も残らない、その上間近に居る生き物全てに攻撃を行おうとする、非常に凶暴かつ非生産的な存在である。

 魔族と呼ばれている少数種族が、人間を襲うために率いている、召喚している、作り出している……等と噂されている存在でもある。しかしこれは事実とは異なっていた。

 魔物は魔族のみが存在する空間には現れない。しかし、現れないだけであって、魔物は魔族を識別しない。人間ばかりが魔物に襲われているとされているのは遭遇率の差でしかないのだ。

「この地に魔物だと!? 馬鹿な!」

「ふーん」

 マチノからすれば、理性がなくただ暴れるだけの、あまり面白くない存在だった。

「勇者が来たからだろ」

「……勇者はそんなものまで呼ぶのか」

「知ーらね。でも、経験上はそうだな」

 言いながら、マチノは武器を手に取る。面白くない存在ではあるが、町を守るためなら楽しくない仕事でもやらねばならないと。

「しゃーねぇから、退治してやんよ。じゃあなアン、ジル。良い子に逃げてろよ」



 現れた魔物は、巨大な熊に見えた。ただし体に比べて腕が非常に大きく、なおかつ四本生えており、目は頭の中心に一つしか存在せず、口は腹部と思わしき場所に大きく開いているが。

 魔物は家畜小屋に居た動物達を襲っており、既に全身が血で塗れている。

 マチノが近寄ると、魔物は当然一番近くに居る生き物であるマチノに襲いかかる……ことはなく。まるで全く気付いていないかのように、既に動かなくなっている家畜をただ咀嚼している。マチノは悠々と魔物の眼前に立ち、手に持った斧を振り下ろした。

 一撃で魔物は霧となり、後には噛み砕かれた血と肉が残る。

 あっという間に終わった戦闘だったが、それを見ている者達がいた。

「また会ったな、魔族」

「どーも、今期の勇者サマ」

 勇者一行だ。

 マチノは今振り下ろしたばかりの斧を向けて、笑いかける。

「ヤるかァ?」

「ああ」

 勇者は聖剣に手をかけた。

 水竜との交戦で負った傷は、少なくとも外見上は癒えている。仲間の僧侶による回復術の力だった。しかし完全に元通りとはいかないとはその場の全員が理解している。我を失った水竜に立ち向かった勇者の体は万全とは程遠い。立っているだけで体内に残った傷跡が痛むはずだ。

 戦士が怒鳴った。

「待て、レイ!」

「待たねェ!」

 勇者の代わりにマチノが答える。マチノが振るう手斧が空を切る音を立て、勇者の肩を抉ろうとした。

 勇者はそれを後方に飛び退いて避け、すぐに体勢を切り替え聖剣での一撃を打ち込む。回避と攻撃の間に隙の無い、素早すぎる動きだった。

 マチノが聖剣を防ぐ。すぐさま剣が引かれ、体勢を整える間もなく次の衝撃が来る。それを防いでもまた次が来る。全てを避けることはマチノにとって簡単だが。

「っとおしいなテメェ!」

 力任せに剣を弾いて、マチノは後方に跳んだ。

「今度は、どうするつもりだったんだ? 町を襲ったのか?」

 勇者は淡々と問いかける。問いかけながらも、既に肩で息をしており、疲労しているのがわかった。万全ではない状態で、息を挟む暇もない速度で次々と攻撃を繰り出したのだ。かなりの負担になっているだろう。

「は……だったらどうする? 止めらんねェくせに」

「止めてみせる」

「そりゃ無理だ。テメェら一度でも俺らに傷を付けたことあるか? ねーよなァ? それが実力なんだよ」

「止められるかという、可能性の話ではない。貴様を止め、平和を作る者が勇者だ」

「平和! ひひっ、平和、そう! 平和っていいよなァ、俺も大好きだ!」

 大きく腕を広げ、無防備に、マチノは言った。その表情は凶悪であり、全く信憑性がなく、あまりにちぐはぐな発言であったために勇者の仲間達は恐怖を覚える。

「なーんかよく誤解されるんだけどよォ、俺は平和主義者なんだ! 人々が一つの目標に向かって力を合わせて、心を一つにして、協力しあう平和を目指してんだよ俺は! ところでそんな平和をお手軽に何より早く確実に生み出す方法をお前らは知ってっかァ?」

 マチノはにんまりと笑い、勇者に向かって宣言した。

「恐怖だよ」

「下衆だな」

「お前は同意してくれると思ったよ!」

 再び地面を蹴って、二人は距離を詰める。

「伏せて!」

 魔法使いの声が割って入った。勇者は指示通りに膝を折り、その上を刃物めいた鋭い突風が吹く。それはマチノの体にぶつかり、上半身を細かく切り裂いた。しかし。

「効かねぇ!」

 怯むことなく突き進む。

 勇者は剣を掲げた。

「地の加護よ!」

「俺は汚れてもキレねぇよ!」

 視界を覆う小規模な砂嵐が発生しても、惑わされることなくマチノは斧を振り下ろす。避けられず、手斧は勇者の太股を切り裂いた。

 ようやく勇者の表情が歪む。しかしそれも一瞬のことで、マチノが斧を引き戻すより先に次の手を打った。

「水のっ、加護よ!」

 聖剣にまとわり付くように水が発生する。それはマチノを押し流すように激しくぶつかった。傷を負うほどのものではないが、突然横殴りの豪雨を浴びたような気分になる。

 なにより、全身が水流により濡れてしまったのだ。

「っ、クッソうぜぇ! 水竜の野郎……っ!」

 びくりと、マチノは動きを止めた。皮膚に乗せていた白粉が落ちている。そしてそれを、勇者の仲間達は見ていた。見て、そして驚愕に目を見開いていた。

 当然だ。マチノは暗闇そのもののような姿をしているのだから。

「何だお前……その、黒い姿。魔族じゃねぇ……魔物ですらない」

 当然だ。マチノは魔物でも、魔族でもない。おそらくこの世に二つとない存在だ。

「……ははっ」

 マチノは人間ではない。正確には、人間ではなくなってしまった。それを、悔いはしないが。

「ひひっ、ひゃははははは! 怖いか? 怖いよなァ!? そうだ、それでいいんだよ人間は!」

 タガが外れたように笑うマチノの言葉通り、驚愕は恐怖に変わる。恐怖は震えと強張りとして体に現れ、体の異変は敗北への一歩として、更なる恐怖を呼び起こす。

 マチノは叫んだ。

「恐怖だ! 俺を怖がれ! もっと、もっと……俺をっ!」

「新種の魔族だろう。殺すだけだ」

 冷静に言い放ったのは勇者だ。千切れそうな片足を引き摺り、痛みに脂汗を流しながらも、その表情に恐怖はない。敵意と呼ぶには鋭すぎる、殺意だけが瞳に宿っていた。

「なんで……」

 対するマチノの表情は見えない。ただ、声が震えていることと、動きが止まったことだけがわかる。

 その隙を逃すはずもなく、勇者はマチノを切りつける。それをマチノは紙一重、わずかに服が破れる程度で避けた……つもりだった。

「いっあ!?」

 聖剣が淡く放っている光が、触れずともマチノの肌を焼いた。予想外のことに思わず体が強張る。その一瞬の間に勇者は次の一撃を打ち込む。聖剣はマチノの腹部に強く叩き付けられた。

 肉が焼ける。悲鳴は飲み込んだ。マチノは痛みに耐えながら地面を蹴り、勇者一行から素早く距離を取る。

 そして、片膝を付いた。

「ぐっ、あ……ってぇな……」

 押さえた腹部から黒い液体が滲み出す。マチノの血だ。

「傷を付けることができたな」

「テメェ……!」

 マチノは勇者を睨み付ける。しかし、その視線も表情も通じない。

「気に食わねぇなそのツラ……怖がれよ! 怖がって、俺に許しを乞え! 俺が救ってやるからよォ!」

「私は誰に救われる気もない。もし救うとすれば、それは私自身だ」

「黙れ! 恐怖に勝るものは無ぇ。人を纏めるのも、人を生かすのも、人を殺すのも、人が強くなるのも全部それだ! 人は恐怖に打ち勝てねェ!」

「それは良かった。私はお前に打ち勝てるということだ」

「はァ!? なんでそうなるんだよ!」

 勇者の唇が弧を描く。穏やかで、優美ですらあった。マチノが今最も望まない表情だった。最も嫌う表情だった。

「怖がっているじゃないか、この剣を」

「なっ……!」

 初めから、マチノは聖剣を全て防ぎ、弾いていた。決して触れないようにしていた。魔法の風で体を切り裂かれようとも意に介さないというのに、聖剣の輝きによる傷に悲鳴をあげた。

 恐怖していたからだ。

「は……はは……なんだよ。なんだよそれ」

 自覚していなかった事実を突き付けられ、マチノは肩を落とす。その顔は暗闇となっており、誰にも見られることはなかったが、心が折れたように見えた。少なくとも、戦意を折れたのだと。勇者の仲間はそう期待した。

 しかしマチノは叫ぶ。

「俺は……二百年だ! 勇者サマと違って、俺は俺の意思で、クソ女神の手を借りずに自力で生きてきたんだ! 地獄だろうが死神だろうが世の摂理だろうが全部ぶった斬って! この世界から否定されちまっても生きたんだ! 人を辞めてでも!」

 震えて力の篭らない手を持ち上げ、彼にとっては軽すぎる斧をやっとの思いで持ち上げる。

「聖剣だぁ!? もうんなもんとっくに越えてんだよ! クソ女神の手を逃れて、光すら俺を映さねぇようになって、世界の全てに弾かれても! それでも、俺は、生きた!」

 己で己を鼓舞する。

「覚悟のレベルがテメェと違ぇ!!」

 マチノは自棄になって再び勇者に飛び掛かる……ように見せかけて方向を変えた。勇者ではなく、後方で魔力を溜めている魔法使いに迫る。気付くと瞬間に彼女は魔法を炸裂させたが……遅かった。魔法の電撃は魔法使い自身とマチノを同時に襲う。

「ルーシー!」

「次はテメェだ」

 魔法使いの名を叫んだ戦士のすぐ目の前にマチノは接近していた。魔法の効果がどの程度あったのか、暗闇そのものであるマチノの体からはなにも読み取れない。まるで無傷かのように見える。

 戦士は自身の身を守るため、反射的に腕で頭を庇った。無防備な胴体を蹴りつけると彼はその場に倒れて動かなくなった。

 その次に、戦士に守られていた僧侶を殴り付ける。

 あっという間に、勇者の仲間達は倒れ、起き上がらない。

「仲間が全員居なくなったなァ!? これでまだそのツラ出来んのか勇者サマよォ!」

 マチノの目的は、勇者の心を折ることにあった。いや、マチノはいつもそのつもりで戦いに挑んでいる。恐怖を与えることが勝利の必須条件であると考えていたし、恐怖によって人は命令を聞くのだと。だから、強い恐怖によって支配すれば、戦わなくとも済むのだと。信じていた。

「……それが、関係あるのか?」

 しかし勇者には通じない。深く傷付き、仲間を失ってもなお勇者は動じない。

「勇者は私だ。私さえ居れば、魔王は……」

 言葉が不自然に切れる。勇者が倒れたからだ。

 おそらく、太股の傷からの出血が多すぎるのだろう。

「……悔しいよな」

 倒れる勇者の前に、マチノが立つ。腹部から下は黒い血が滴っている。それでも最後に立っているのはマチノで、見下していた。

「憎いよなァ、妬ましいよなァ、殺してやりてェくらいによォ! 何もかもが!」

 見下して、言う。

「もう嫌になるよなァ……」

 マチノの表情はわからない。そこにあるのはただの影だ。空間が切り取られた末のような暗闇だ。だからなにも読み取れず、人によってどうとでも読み取れた。

 嘲るようにも、罵るようにも、勝ち誇るようにも、失望するようにも、疲れ果てたようにも、後悔するようにも、本心ではないようにも、もしくは……過去の非力な、勇者になれず、勇者を救えなかったマチノ自身の自虐に聞こえたから、彼の時代に生きた勇者はその場に現れた。

「まっ……待て待て待て待てマチノお前ぇー!」

 ユーツァが、マチノの腕を掴んだ。

「おっま、手加減できねーんだから早めに逃げろって俺いつも言ってません!?」

 まるでいつも通りの、無茶をする相棒を叱る声だ。

「……え」

「いやいやちょっと何呆けてんの! ほらさっさと逃げるぞマチノ!」

「いや、お、俺が逃げんの?」

「そう! だってお前は逃げ出した相手を逃がさねーから!」

「……よーくわかってんじゃねェか」

「そりゃあ付き合いが人外じみた長さですし!」

 ユーツァはマチノの腕を掴んで、半ば引き摺るように引っ張っていく。マチノはたいした抵抗もせず連れられていく。

 いつものように。

 勇者が声を振り絞った。

「お前……待て、魔族。逃げるな……」

「おいおいおい止めとけって勇者さん! アンタの実力じゃこの馬鹿止めらんないからさ。ごめんね? 今回は深追いしないでくんない?」

 決死の声は、ユーツァが潰す。それでも諦めず起き上がろうとする勇者に、ユーツァは柔らかい声でとどめを刺した。

「あのね? 言い方変えたげよっか。『見逃してやる』っつってんの。わかる?」

 返事はない。だからユーツァは話を終わらせる。

「そんじゃ。また会おうな!」



「何故、私は何故……私、が」

 力が抜け、目が回り、起き上がれない状態で勇者は震えていた。恐怖ではない。後悔や決意といったものでもない。

 自分自身への憎しみと、自身よりずっと高みに居る二人への嫉妬によって。

「何故私が一番になれないんだ!」

 勇者には、マチノの言葉が……弱い己に対する、同情に聞こえていた。



「お前のせいで俺まで悪役っぽくなっちまったぁー!」

「ははっ、やっちまったなァ」

 山を降り、ミナに向かいながら、ユーツァとマチノは笑いあっていた。道中、避難中の町民達に会い、勇者一行が身動きがとれない状態にあるためミナから救助を呼んでほしいと頼んでからは、一時的に重荷の一部を下ろしたような気ですらあった。マチノの傷は血を止めることしかできておらず、何一つ状況は好転していないとしても。

「なあ、ユーツァ」

 マチノが呼び掛ける。呼んだ後、言いにくそうに続けた。

「……見た目、とか。種族とか。白とか黒とか、そういうのさ。何も気にしねぇ奴ばっかりなら隠れ住む必要ねェのにな」

 今度はユーツァが問いかけた。

「今期の勇者、どう思いますかねマチノさん?」

「最悪」

「評価が一変してんな! そりゃそうか」

 しかし何と言おうと、聖剣の勇者は決められている。覆ることはない。この評価に意味はなかった。

「どうすっかね、こっから」

「俺ァ知ーらね。ユーツァが決めろ」

「つってもなぁ……」

 ユーツァは少し考えて、答えた。

「今の時代は、今の勇者に任せたい。ムカつくけど……魔王討伐には、適任だと思うんだよな、あの性格」

「どーかねェ」

「暴走したら、俺達で止めりゃあいい。勇者と英雄コンビに敵う奴は、女神様くらいだろうよ」

「そりゃそうだろーが」

「どっちにしろ、魔王は倒さなきゃなんねぇ……から。だから、旅の手伝いとかしつつ、聖剣をやっぱ……」

「魔王が殺されなくても良い方法、見付ける気はねーの」

「無理だろ。魔王が居る限り、魔物は生まれるし。魔物は人を襲う」

 ユーツァはきっぱりと、語気を強くして言った。

 マチノが言う。

「殺したくなかったんだろ」

「殺さなきゃならなかっただろ」

 ユーツァが答える。

 マチノは気にせず続けた。

「殺したくなかったし殺したくねェから、次の勇者に魔王退治を押し付けようとしてんだろ」

「勇者が魔王を殺すのは当然のことだろうが!」

「じゃあお前が今の魔王殺せよ」

「っ……」

 ユーツァは言葉に詰まってマチノを睨んだが、そこにあるのは影だけだ。睨み返されている気がして、目を逸らす。

「ユーツァ、お前……逃げてるだけだろ」

「……違う」

「殺させたくねぇってのは、確かに、現代の勇者見てりゃあ無くなったよ。あいつ気にしねェ性格だろ、多分。でもな、そもそも俺は魔王と勇者の制度なんざどうでもいいんだよ。要らねぇと思ってるが、有っても別に良い」

 マチノの言葉は力強かった。力強く、ユーツァが口を挟む隙を与えない。

「ただ、お前がその分悩むんなら話は別だ。悲しまねぇ馬鹿勇者の分までお前が泣くのはおかしいだろ」

「な、泣かねぇよ」

「いや、泣くね。お前、今期の魔王とあの子を重ねてる。まだ今の魔王を見たこともねェくせに」

「重ねてない! 関係ない!」

「じゃあなんで魔王を討伐しない?」

「それは……今の時代は、今の……」

 ユーツァは上手く言葉が紡げなかった。声が震えた。『あの子』のことを、そして今の魔王のことを考えると、後悔が全身を止めてしまう。体が動かず、苦しくてたまらなかった。

「お前、言ったよな。今の勇者に重荷は背負わせたくねぇって。だったら初めからお前がやりゃ良かったんだ。過ぎたことじゃねーよ、これは。今からでもできることだ」

 呼吸に必死になっているユーツァに、マチノは言葉を投げ続けている。

「もうちょい自分のこと見ろよ。今のお前、矛盾だらけだぞ」

 投げられる言葉のほとんどが、ユーツァの耳には入っていなかった。ただ、苦しさだけがそこにあって。

「何で諦めんだよ。女神を殺せば、全部終わるんだろ。俺はもう会えねぇけど、お前ならあいつに会えんだろ。殴れんだろ」

 マチノの言葉は、過去の罪に囚われる自分を思ってのことだとわかってはいたが。

「これからも、俺は諦めないからな。俺は……お前と一緒に戦いてェんだ。お前と女神に決着を付けるために、生きてるんだ」

 ユーツァは何一つ、答えられなかった。


 次に目指すは火竜の山。

 人を慈しむ炎の地である。



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