先代勇者は初ダンジョン中を狙いたい
2020/4/22 修正
トントントンと小気味良い音を立て、まな板の上の野草を切っていく。時刻は日の出すぐで、場所は森に作った焚き火と岩による簡易拠点。
先代勇者ことユーツァが朝食の準備をしているのだ。寝惚け眼でその様子を眺めていたマチノが言った。
「なんつーかよォ」
「何だマチノ」
「包丁が聖剣になってんぞ」
「凄いだろ」
ユーツァが使っている、なんの変哲もない包丁。それが野草を刻む度に僅かに光を放っている。聖剣の証である。聖剣とは勇者の証であり、勇者の使った武器は神聖なものである。先代勇者の使用した包丁は神聖なものである。
「俺が包丁使えなくなるからやめろ」
マチノにとっては触ると痛い迷惑な光る刃物だ。
「触らないように荷物に入れといたら、昼には普通の包丁に戻るだろ」
「昼飯作ったらまた聖剣になんだろ」
「昼飯はお前が作れ」
「やだよめんどくさい」
「俺だってめんどくさい」
「じゃあもう止めよーぜ」
「お前少しは働く気無いの?」
刻んだ野草を鍋に入れ、魔法で火を起こす。マチノはその様子を笑って見るだけで、手伝う気はなさそうだ。
ユーツァは話を変えた。
「お前、いつから火傷するようになってんの」
「わりと前から」
「いつだよ」
「覚えてねーなァ、二百年生きてんだから」
「それだよなー」
ヘラヘラ笑いながら会話して、今度は狩ったばかりの野鳥の羽をむしり始めた。
その手を止めず、目線を変える。
「あ」
「お?」
反応したのは同時だった。森にある洞窟の中に、四人の人間が入っていくのを見たのだ。聖霊の住む洞窟に勇者一行が入っていったのである。
「行ったな、勇者達」
「早朝から張り切ってんねェ」
「飯食ったら後追うぞ」
「おー」
聖霊の洞窟とは、聖剣に選ばれた勇者が真っ先に向かう地である。最奥には、女神の加護を強く受けた者の前にしか姿を現さない聖霊がおり、聖剣についての知識を与えてくれると言われている。
何度対策をしようとも、自然と辺りの動物達が集まり、それらの排泄物で汚れていき、排泄物を求めた虫が集まり、それらを食う小動物がまた集まり……小さな生態系が出来ているというごく普通の洞窟だ。
聖剣伝説に深く関わる土地である故に何度か観光地化が進められたが、管理の手間がかかりすぎる上に特に見るべきものもなく、周辺住民が森と洞窟の開発を拒んだこともあり結局自然のまま放置されている場所でもある。洞窟の入り口には朽ちた看板や装飾が落ちており非常に物悲しい。
地元では、聖洞饅頭という土産物が開発の名残として残っていたりする。物悲しい。
そんな洞窟の半ば程で、ランタンを掲げる勇者一行が歩いていた。
「皆、怪我はないか?」
「問題ねぇよ」
この洞窟には動物だけでなく、魔物も住み着いていた。三年前から急激に世界に発生した、動物のような外見の、血を流さず、死ねば霧となって消えてしまうため肉も残らない、非常に凶暴な生き物である。伝説によれば二百年前の魔王が現れた際も世界中に現れたとされている。
それらを各々の力で凪ぎ払いながら、危なげない足取りで進んでいく。
僧侶が言った。
「任せてください、例え怪我をしても私が治します」
「襲撃されても眠りこけてた人が何言ってんの」
魔法使いが返す。ユーツァとマチノが城に潜入した時のことを話しているのだ。確かに、あのとき勇者が呼んだのは戦士と魔法使いの二人で、応えて姿を表したのもこの二人だ。
言葉に詰まってしまった僧侶に微笑みかけ、勇者は柔らかく言った。
「フィルの部屋は離れていたんだ。意地悪するな」
「えー?」
「それに、彼は戦う為にいるわけではないだろう。そういうのは、私とコンラッドの仕事だ」
言いながら、勇者は聖剣に手をかけた。鞘から抜くと同時に振り上げる。力強く、しかし視線を寄越さずに振るわれたその剣は、頭上から彼らを狙っていた魔物を打ちのめし、消滅させた。
「……本当に、この旅は敵が多いな」
緊張感に溢れた眼差しで、勇者は洞窟の奥を見詰める。
「……強くね?」
「こんくらい平気みてェだな」
難なく魔物を切り捨てていく勇者一行を覗き見ながら、ユーツァとマチノは顔を見合わせた。模造剣の軽さと扱いやすさが原因だろうが、勇者の攻撃の速度は異常であり、魔物に避けられるはずもない。歴戦の戦士か、それこそ先代勇者くらいしかその剣の軌道を理解できないだろう。そして女神の加護の輝きは魔物にとって弱点であり、一撃触れれば大ダメージだ。
もしかして軽い模造剣を使うのが最適解なのでは? 考えたが、強度が足りないのは目に見えている。早めに剣を取り換えた方が、勇者にとっても良いだろう。
ユーツァはローブとマスクで顔を隠しながら、交換用の剣を強く握った。
「盗賊の本気見せてやるか……」
「じゃー俺は後ろで見ててやる」
盗賊経験のないマチノは大人しくすることにした。とりあえず、今は。
洞窟内は暗い。ランタンを掲げて道を照らしてはいるが、勇者一行は道を照らしているだけであり、全てを見渡すことはできない。洞窟内は一本道だが曲がりくねっており、特に見渡しが悪い。足場もコウモリの糞や蛆が所々落ちており、一歩踏み出すのにも神経を使う。横幅もさほど広くはなく、縦に並んで進むことになる。
つまり、彼らが通ってきた道である背後への注意は完全ではなくなる。
暗闇に紛れるローブで全身を覆ったユーツァは、彼らの後ろを歩く。気配を消し、隙を見てランタンを奪うつもりだ。ランタンは二番手である僧侶が持っているため、隙を付けば問題なく暗闇にできるだろう。
次に魔物が現れ、戦闘に意識が向いた時がチャンスである。
眼前の暗闇から魔物が現れるのを、じっと待つ……歩幅を合わせて、気配も足音も消しながら、待つ……。
魔物が現れた!
「はぁ!」
勇者が一撃で倒す!
「……」
振り出しに戻った。勇者一行は何事もないかのように歩き続ける。
ユーツァは思った。やっぱりこの勇者、強くね? と。
……そして、最深部に辿り着いてしまった。
最深部はやや広いホール状になっており、開発の名残として朽ちた人工の祭壇が壁際に置かれているだけの空間だ。壁一面にはかつて女神と勇者を讃える壁画が書かれていたのだが、これもまた人の手によって上書きされた挙げ句その塗装が剥がれて元の絵が破壊されている。哀れである。
ユーツァはマチノの隣に逃げ帰った。
「盗賊の本気ってのはどうだった?」
「すっげぇムズい」
「へへっ、そりゃな」
「……おっちゃんの話は邪魔しない方がいいだろ。聖剣についての大切な話だ」
「じゃー待っとくか?」
「もーどうしよー」
ユーツァは力無げに肩を落とす。
最奥の祭壇付近では、勇者が聖剣を掲げていた。掲げた剣は光輝き、ホール全体を明るく染め上げる。思わず歓声を漏らした一行の前に、剣とはまた別の発光体が現れた。
人の形をした発光体は、威厳に満ちた声で勇者達へ語りかける。
「ふぉーっふぉっふぉっふぉ。よくぞ参られた、聖剣の勇者よ。ふむ、今期は四人か。良いのぉ。仲良くやるんじゃぞ」
威厳に満ちた声だが、語り方は親しみやすかった。
「聖霊よ、我々にこの剣についての知識を与えてくれ」
「よろしい。では、おぬしらの今後の旅路とその目的について、わしから教えよう。しかし、その前に一つ」
「その前に?」
意味深に聖霊が言葉を切ったため、勇者はごくりと唾を飲み問い返す。聖剣を持つ手に力が篭った。
聖霊は言った。
「地元で売ってる聖洞饅頭はどうじゃ?」
聖霊の手には、近くの村で有り余っていた土産物が乗っていた。
「……遠慮する」
「いやマジ旨いんじゃ! 想像で書いたわしの顔とか焼き印されとってな、それがまあ渋いイケメンでな」
「顔が無いように見えるのだが」
「そりゃ聖剣の光に照らされんとわしの姿誰にも見えんのじゃもん! わしゃ村人と話せん! 寂しい!」
「しかし我々は先を急ぐ身であって」
「どーせ世界は滅びん! どうじゃちょいと二十年ばかしこの老人に付きおうてはくれんか」
「断る。私はすぐにでも前に進まなければならない」
「今期はなんと真面目な勇者か……」
光の塊は嘆くようなポーズをとった。ポーズをとった拍子に視線がずれ、偶然にもホールの端に居るユーツァ達へと顔が向く。
「あっ」
目が合った。聖霊とユーツァの目が合ってしまい、聖霊は不自然に言葉を止める。
ユーツァは必死に身振りで『無視してくれ!』とアピールする。聖霊はハッとして、勇者達に向き直る。勇者一行は訝しんでいたが、話が始まれば言及はしまい。
「……おほん! では語ろう、勇者よ。おぬしは次、南方にある洞窟に行き第一の聖竜と出会うのじゃ」
「聖竜、とは伝説の」
聖霊の言葉に、勇者が言う。聖霊はちらちらとユーツァの方に視線をやりつつ会話を続ける。
「う、うむ。さよう。その血を吸い、聖剣は更なる力を得るのじゃ」
「血を吸う、ということは、斬れと」
「あー……まあ、その」
聖霊はまたちらちらとユーツァを見る。明らかに会話に集中していない様子に気付き、勇者一行は聖霊の気を逸らす何かの存在を確かめるためそちらを向く。
当然そこには、潜入時と同じように顔を隠したユーツァとマチノが居るわけで。
「お前、あん時の!」
「げっ」
戦士がユーツァを指差す。ユーツァは言われるが早いか出口に向かって駆け出し……武器を構えているマチノに気が付いて引き返した。
マチノを掴んで引っ張る。
「マチノ逃げろ! 立ち向かおうとすんな!」
「逃がすか!」
ダッと駆けてきたのは、やはり身軽な勇者であった。輝く聖剣を灯りとし、戦闘体勢であるマチノに切りかかる。
軽い模造剣であることを活かしたフェイントを混ぜ、切り込む。しかしマチノはそれを簡単に受け止めた。
「……やはり、お前ら」
勇者が呟く。
マチノが反撃しようとした瞬間、ユーツァはその足を蹴りつけ、姿勢を崩させ、首根っこを掴んで引き摺って走った。真っ直ぐに、出口へと。
勇者も後を追いかける。
「何なんだ。答えろ、魔族。お前の強さは何なんだ! それほどの実力を持ちながら、何故私達を殺さない!」
追いかける、が、追い付けない。
「目的はなんだ!」
勇者の声は叫びに近かった。恐怖と緊迫とで追い詰められた者の声だ。
しかしユーツァは振り返らず、その言葉を背に受け、洞窟の外へと姿を消す。その足は素早く、追い付けないと勇者に確信させるには充分だった。遥かな実力差があるのだと確信させるには。
「……敵が多いな。早く、強くならなければ」
自分に言い聞かせて、勇者は洞窟の奥へと戻る。
盗賊の素早さを最大限生かして逃げてきたユーツァとマチノは、洞窟の外、今朝拠点として使った焚き火後に戻ってきていた。
無理な姿勢のまま走らされたマチノは痛めた肩を回している。
「で。次、どーすんだ」
「えーとえーと……聖霊に話を聞いたら、竜巡りだ。あとは各地に住む聖竜達から力を譲ってもらうんだ。そうやって各属性の力を付加して聖剣を強化する。そういうルートが決まってる」
「そーいやそんなのやってたか。いつの間にか竜どもと仲良くなってたもんな」
「竜巡りしてないお前の方があいつらと付き合い長いのホント謎」
「人望ってやつ?」
「マチノ、お前人間から見たらすごい悪役」
「うっそだろ。黒の英雄だぜ俺ァ」
「この話は止めよう。先のことだよ問題は」
ユーツァは手をヒラヒラさせて話を切る。そしてマチノが本題を口にする。
「聖竜達が剣に力を宿すんだろ? そんときに指摘してくんねーの」
「いや……あいつらが自力でそんな気の利いたことするわけない」
「あー……」
マチノは聖竜達の顔を思い出す。地、水、火、金、木、そして後一匹。その中には人間の価値観を知らない者や、気を使いすぎる者、そして単純な人嫌い等が居る。これらは指摘しないだろう。一番気付く可能性があるのは水竜であるが、彼は機嫌を損ねやすい。
「ねーな」
「ポンコツばっかだからな!」
ユーツァは身も蓋もない言い方をした。
「で? 具体的案を出せよユーツァ」
「目的地はわかってんだ。次に行くのは地竜の洞窟! そこで先回りして地竜に話をつけて!」
「ほうほう」
「平和的に剣を折ってもらう」
「平和的に剣を折るってなんだよ」
マチノが言う。ユーツァは無視して自前の剣を手にする。
「で、これが新たな剣だって、地竜から渡してもらえば受け取られんじゃねーかなと」
「んー……」
提案を聞き、マチノは考える。地竜の性格を加味すると、成功率は低そうだとは思ったが。
「無茶苦茶だけどまだいけっか」
「ひっそりは無理そうだからさー、この方が手っ取り早い」
「じゃあそれで。地竜に土産物買いにいくか」
「後で聖霊のおっちゃんにも挨拶し直さねーとな」
「聖洞饅頭持ってくかァ?」
「ねーよ」
軽口を叩き合いながら、先代達は今日の予定を決め始めた。
次に目指すは地竜の洞窟。
盲目の竜が日夜鍛練に励む地である。