先代勇者は寝込みを狙いたい
「これが、伝説の聖剣……」
ある王国を見下すように存在する岩壁の上。勇者と呼ばれる若者は呟き、巨岩に突き刺さる剣の柄に触れた。精巧な細工がなされた美しい剣は、応えるように、喜ぶように淡く光を放つ。
それに臆することなく、勇者は力強く剣を握る。遥か昔、魔族と人間の戦いに終焉を与えたというその聖剣は、持ち主を選ぶとされていた。どのような力自慢の人間にも引き抜かれることなく、どのような災害に見舞われようとも傷一つ受けず、女神の加護を受けて鎮座し続けていたものだ。それが今、勇者の細腕によってあっさりと引き抜かれる。
ここに、伝説に認められた勇者が誕生したのである。
その歴史的な瞬間を、遥か遠くから眺める影があった。
「やばい、やばいぞマチノ……」
双眼鏡(魔力による視力強化作用付き)越しに新生勇者を眺める男が呟く。豊かな金髪を胸元まで伸ばして一つにまとめている、一目だと女に見えなくもない人物だ。
「何がやばいんだよ、ユーツァ?」
応えたのは、黒いローブで全身を隠している男だった。唯一見える口元をにやにやと歪ませながら、焦る相方を眺めている。
聖剣の安置されている岩場を一望できる国一番の展望台の、閉鎖されて誰も入れないはずの最上階。そこに居るのはこの二人の男だけだ。
ユーツァは双眼鏡から目を離し叫んだ。
「だってあれ、俺が土産物屋で買ったレプリカなんですけど!?」
「あっはっはっは!」
マチノは手を叩いて大笑いする。ユーツァは苦々しい顔でマチノを睨んだ後、ため息と共に肩を落とした。
ここにいる二人は、白の剣士ユーツァと黒の戦士マチノ。彼らこそ、巨岩に残された聖剣の所持者とその相棒、つまりは『先代勇者とその仲間』である。
解説のため、三百五十五文字程時を二百年程前に戻そう。
世界各国、全ての時間軸で語られるように、人間代表である勇者と魔族代表である魔王の一騎討ちは実現していた。剣技と魔術の飛び交うそれはあまりに激しい、三日三晩に渡る死闘であったという。
そして結果は勇者の勝利、人間の勝利であり、無事に帰還した勇者は『遥か未来に再び魔が蔓延ったならば、この剣は光を取り戻すだろう』と言い残し魔王討伐に使用した聖剣を大地に封じた。
……というのがお伽噺かつ伝記の中身であるが実際は異なる。剣は勇者が封じたのではなく、当時の王国が権力を誇示するためにそれらしく飾ったものであるし、勇者は王国への嫌がらせとして見た目だけは綺麗な模造剣を渡していた。もっと言うなら魔王との死闘なども無かった。勝負は一時間程度で、その内訳は『挨拶五分、交渉十分、駄々の捏ね合い四十分』といったものであった。
解説は以上である。話を現代に戻そう。
岩場に居る『現代の勇者』とその御一行が立ち去るのを確認した後、『先代の勇者』達もまた移動を開始した。
伝説と謳われる存在だけあって、彼らの身のこなしは常人を遥かに越えている。部屋の鍵を内側から閉め直し、展望台のメンテナンス用の小窓からするりと抜け出すと、懐から取り出したロープを使い遥か下方に見える建物の屋根へと飛び移った。二人とも危なげなく着地し屋根伝いに駆けていく。白昼堂々と大人二人が異様な行いをしているというのに、気配を消した足取りは誰にも察知されない。
勿論、小窓の鍵も隙間から通したワイヤーを使い見事に閉め直している。使ったロープも回収した。痕跡は何一つ残していない。
このどれもをやってのけたのはユーツァだ。勇者というよりはプロの盗人である。
ユーツァの後を追いながら、マチノが言った。
「ところでユーツァさん、本物は?」
「売った」
「んふふふふははははっ、やーもーお前のそういうとこ最高!」
「騒ぐなよ、バレるだろ」
ユーツァに咎められ、マチノは笑いを押さえ込む。
「買い戻さねーの?」
「いや、無理。魔族に売ったから」
「魔族に!」
「そー。んでもって魔王の墓に入れられてるはずなんだよねー」
押さえた笑いが噴出した。
「女神の剣を! おっまえ本当やるねぇ! クソ女神も抱腹絶倒してるだろうね! あーそのツラを見てやりてェ」
「あの人のこと嫌いだよなお前」
「当然」
ユーツァはサッと姿を消した。一瞬見失ったマチノが視線を周りに移すと、彼は屋根から地面に落下し何食わぬ顔で大通りへ混ざっていた。
マチノも真似して人混みに入り込む。
「で? これからどうすんだ?」
「知らずに着いてくんなよ」
「おいおい、相棒だろォ?」
「市販の剣と取り換える」
「どうやって?」
「寝てる間に」
ユーツァがあっさり答える。マチノは数秒考えた。
「いや、バレるだろ」
「大丈夫、俺が使って加護は宿す。なんかあれだろ、剣が相応しい形に姿を変えたとかそういう風に捉えられるだろ」
「そんなもんかねェ」
「そう思ってもらわねぇと困る」
言って、立ち止まる。気付けば二人は路地裏に辿り着いている。すぐそばには、薄暗い壁に埋もれるようにして隠れている、古びた扉があった。
中からは何の音もしない。しかし、足元に埃が溜まっていないことからつい最近に使用されたことがわかる。
「で! 勇者は国王に報告しに行ったから、多分今夜は城に泊まる。俺が聖剣抜いたときもそういう流れだったからな」
「ふむふむ」
「夜になったら城に忍び込むんだけど、お前さぁ……」
ユーツァは扉に手をかけながら、マチノを窺った。黒い男はにやにやしながら猫撫で声を出す。
「導いてくれんだろ、勇者様?」
「オーケー、お前が着いてこれるルートを使ってやる」
「わーい!」
マチノが能天気な返事をすると同時に、ユーツァは扉を開けた。
同時に声を張り上げる。
「話は聞いてたろ野郎共! でかいヤマ登りてぇ奴は着いてこい!」
扉の向こうは酒場のような装いで、見るからに荒くれ者という風体の男や、深い影を宿した者が集まっていた。それぞれ思い思いの席に着いていた彼らは、ユーツァの声に呼応し、ギラギラとした目で立ち上がる。
血の気に満ちた声で、鬨の声があがる。
ここは盗賊ギルド。血生臭い裏家業を営む者や、一般的ではない仕事を引き受ける仲介所だ。
つまりは管理された必要悪の住む場所である。そして、先代勇者の故郷である。
『現代の』勇者と、その仲間である魔法使い、僧侶、戦士の四人組は聖剣を抜いた者として国王へ報告を述べていた。そして彼らが勇者とその一行であると認められたあと、魔王退治の旅の支度をするために、一晩城を借りて休むこととなった。
夜になり、誰が言うでもなく勇者の部屋に仲間達が集まった。皆、旅立ちを目前として緊張した様子であり、気をまぎらわそうとしている。
話題は自然と聖剣についてのものになった。
勇者は聖剣を手に持ち掲げる。
「……素晴らしく、軽い剣だ。非力なこの身でも問題なく扱えるだろうな」
模造剣なので当然である。
「それに……訓練場での一件を見ただろう。何も切れなかった。恐らく、魔に関わる以外のものを傷付けることはないのだ」
模造剣なので当然である。
「触れても金属の冷たさがない。むしろ温もりさえ感じる程だ……これも女神様の加護だろうか」
木製の模造剣なので当然である。
「……魔王は、聖剣でなければ貫けないと聞く。逆に言うなら、これは魔王にとっての最大の弱点だ。勝機は我々の手にあるのだから、恐れずにいよう」
勇者は力強く言って、緊張する仲間達を勇気づけた。仲間はそれぞれ顔を見合わせ、強い意思を籠めた目で頷く。
僧侶が言った。
「しかし凄いですね……二百年も雨風に晒されてなお傷一つないとは。流石女神の与えた白の聖剣」
「ああ、神々しい」
これに関しては、勇者に力を与えた女神の加護によるものである。聖なる光は物質を強化する。よって、単なる模造剣と比べればこれは格段に頑丈で、鈍器としてなら使用可能だ。しかし、それは相手がただの人間や動物である場合のみである。
戦闘で長続きはしまい。
「さて、明日は早い。皆もう休むとしよう」
重大な事実に気付かず、勇者一行は各々宛がわれた部屋に戻り、眠りにつくのであった。
夜。
盗賊ギルドの卓越した技術、コネ、知識、金の全てを総動員し、警備にほんの僅かな隙間を開け、ユーツァとマチノは城内に潜入していた。その常人を越えた身体能力を駆使して壁を登り、天井に張り付き、時には一瞬で見張りの意識を失わせ、ゆっくりと、しかし確実に勇者一行の眠る客室へと近付いているのである。
どう考えても元勇者と英雄の所業ではない。二人ともローブとマスクで顔を隠しての潜入であるためますます盗賊でしかない。しかし元勇者と英雄ほどの実力者でなければ行えない所業である。
物音一つ立てず、見付かることなく、二人は勇者の眠る部屋に侵入した。
勇者は気付かずにぐっすり眠っており、月明かりに照らされた部屋を見渡せば聖剣が机の上に置かれている。あっさり見付かったお目当てのものに、マチノが聖剣に手を伸ばす。途端、叫んだ。
「いってぇ!」
ジュッ、と肉が焼ける音が悲鳴と同時にあがった。
「何者だ!」
勇者が声に反応して飛び起きる。マチノは転がるように倒れ込みつつ勇者から距離を取った。
勇者の前には、顔を隠した怪しい人物が二人いる光景が広がっている。
「曲者だ! 起きろコンラッド! ルーシー!」
勇者が呼んだのは両隣の部屋で眠る仲間の名前だった。返事らしき声が隣から僅かに届いてくる。彼らが部屋に来るのも時間の問題だろう。
「おい! 加護付きじゃねーか! 火傷したぞおい!」
「言っただろ! お前は触んな!」
「あーもう普通に痛ぇし武器持てねぇじゃねーかこんなの!」
「武器持つな! ってか持ってくんな! お前力加減知らねーんだから!」
しかしマチノとユーツァは口喧嘩をしていた。
その隙に、勇者は聖剣を手に取り構える。
「聖剣に触れられないとは……貴様、魔族か」
「あーあー! ちーがいーますー! そーいう決め付け良くないと思うー!」
勇者の言葉に、火傷を負った手を振りながらマチノが答えた。緊張感も焦りもない、子供みたいな答え方だ。
何があった! と叫んで、勇者の仲間である戦士と魔法使いが駆け込んできたが、やはりマチノに緊張感はない。
「三対二とかひっでぇな、今期の勇者ってのは」
「真面目にやれって、なぁ」
あまりに酷い態度をとるマチノを、ユーツァが嗜める。
それと同時に、勇者の振るった剣先がユーツァに届いた。
「えっ、ちょ」
が、ユーツァは紙一重で避ける。
休む間もなく次の一撃が放たれ、二度三度と連続して聖剣が振り下ろされた。
「おいおいおい待てって新勇者!」
それを全て避けながら、ユーツァは手を前に出し待ったをかける。しかし聖剣を狙う不審者、しかも魔族である可能性が高い者に対して手加減をする勇者ではない。
「危害は加えてないんだから見逃してくれませんか!?」
何度も繰り返され、止まることのない猛攻を避けながらユーツァは命乞いを始めた。その途中にちらりとマチノを見る。彼は短剣で戦士の持つ斧と鍔迫り合いをしていた。その隣では魔法使いが魔力を溜めているのが見えた。
「くっ、そ……何故当たらん!」
「そりゃ流石に……って、うおっ!」
勇者が大きく横凪ぎに剣を振るう。流石に避けられず、ユーツァは自身の持っていた剣で勇者の剣を受け止める。
勇者は猛攻を止めない。
「あわわわわっ! ま、待って本当に待ってこれっ、ちょっ」
魔法使いが魔力を溜めていた。ということはそろそろ……。
「行くよレイ、コンラッド!」
女性の声がして、同時に勇者の攻撃が止む。魔法に巻き込まれない為だろう。
「魔法イヤー!」
当然ユーツァも、合図に合わせて飛び退いた。
先程までユーツァが居た場所に小規模な雷が落ち、床が焦げる。転がって壁際に避け、すぐに体勢を整えると、マチノも丁度隣に逃げてきていた。二人で並び、勇者一行と対峙する。
「……マチノ」
「おう、ユーツァ」
二人は互いに目配せする。そして同時に言った。
「勇者強すぎません!?」
「本気出してやっかァ!」
タイミングは完璧だったが心は正反対であったようだ。情けない声を出したユーツァと、意気揚々と突撃しようとするマチノだった。
ユーツァが紙一重でマチノの背を掴んで押さえ付ける。
「駄目駄目駄目駄目お前今回は引け! 無理!」
そして力任せに引っ張り方向を変えさせ、背を押した。押しながらユーツァも一緒に駆ける。そして窓を剣によって『切り裂き』、外へ飛び込む。
「じゃーな勇者御一行! 追いかけてくんなよ!」
捨て台詞を残して逃走したのであった。
城内に現れた侵入者の噂は瞬く間に広まった。マチノが聖剣に触れられなかった件から、魔族の刺客が送られてきたのだという誤解になり、すぐさま城下町へ広まった。明日には国中に知れ渡るであろう。
当の犯人二人はというと、盗賊ギルドに顔を出すこともなく、あのまま駆け抜けて郊外へと逃亡していた。協力者たちは事態を察して沈黙を貫くことであろうし、帰還するわけには行かなかったのだ。
「過ぎたこと言うのは好きじゃねーが……刺さってる時にすり替えりゃよかったんじゃね?」
マチノが言った。ユーツァは頭を抱えた。
「まさか新勇者が出てくると思ってなかったの!」
「魔王が生まれたんだからそりゃ出てくんだろ」
「だって早くない? 新魔王発生から三年ですよ!?」
「時間感覚麻痺してんぞ」
彼らは二百年前に活躍した伝説の人物である。それから現代まで活動を続けていたのだから、三年は誤差のようなものだ。しかしそれは彼らにとってはの話である。
「で、これからどーすんの?」
「これから……」
マチノに言われ、ユーツァは肩を落とした。どうしようか、と考え、太陽を見上げ、東へと指を向けた。
「後を追う。多分、あいつら森の洞窟に行くはずだから」
「ほう」
「俺のときはそうだった。そこの奥にいる聖霊に聖剣の扱いを教わるんだ」
「ほほう」
「あのおっちゃん基本暇だから、普段は森の獣集めてるし、多分今は魔物も呼び込んじまってる。ってことは洞窟がダンジョン化してるわけだ」
「つまり?」
「初めてのダンジョン攻略で疲弊したところを狙う!」
ユーツァが拳を握る。
マチノは腕を組み、首を傾げた。
「もうさ、俺達でぶっ飛ばしゃあよくね?」
「怪我させて旅を続けられなくなったら困るだろ。手加減できねーんだからお前!」
「負けるあいつらが悪くね?」
「まだ序盤なんです! 彼らは! やめろ!」
「ってか俺達で旅すりゃ良くね?」
「俺は次世代に任せたいの! 絶対に! 譲らねーぞ!」
「つーか放置で良くね?」
「お前なー!」
……説得には時間がかかりそうだ。