ドラゴンおじさんの本気
アレクニールの腕に噛みついて離さないもの。
それは——奇妙な生き物だった。
シルエットこそ犬に見える。ただ、目がなく、毛皮もない。血の滴る肉をむき出しにした怪物が鋭い牙を食い込ませる。
鉄の剣も通さないアレクの肉体に牙を突き刺すあごの力。
ただの犬ではないことは明白だった。
「くっ! 離せ!」
腕を振り、無理やり引きはがす。宙へ投げ出された犬の怪物は、ひらりと着地した。
「いった~ いきなり噛みつくなんて、しつけがなってない」
激痛に顔をしかめながらも、アレクニールは怒ったりしなかった。むしろ手を差し出して指を小刻みに動かし、警戒を解こうとする。
ドラゴンであった頃はペットなど飼ったことのない彼ではあったが、従僕の巨人が熊や狼を飼っていたので、真似をしてみたのだった。
肉がむき出しの犬は、大きな男がする妙な仕草にいったんは近寄るが——
がぶり、と手を丸ごと噛む。
「こら! 痛いじゃないか!」
抗議するものの、理解してもらえるわけもない。
追い詰められたアレクニールは、近くの寝台に犬の怪物を叩きつけた。
きゃうん、と悲鳴を上げて犬が動かなくなる。
小さな動物が決して嫌いではないアレクニールは、いたたまれない気持ちになった。
「ますます謎だ……こんな生き物、見たことがない」
再び一人になったことで、彼は老人の亡骸を見た。
死んでなお肉体を斬り刻まれるなんて、理解できない。
「……ご老人」
少なくとも自分だけは、別れを済まそう。
酒をもらったから、酒で返す。そう考えたアレクニールは、入り口には戻らず奥へと進んだ。
地下室は思っているよりもずっと広い。相当数の部屋があり、どこもかしこも血の匂いがする。
放置された死体の数は百を下らないだろう。
目的のものもありそうにない。
諦めて引き返そうとしたアレクは立ち止まった。
立ちふさがるのは、先ほどの犬。しかも今度は一体ではなく、数えたくないくらいに多い。
剥き出しの尖った歯を見せつけてにじり寄る様子は、大の男でも恐怖を覚える光景だった。
「ちょーっと数多くない?」
いつ飛び出してもおかしくない気配に、アレクニールは逃げた。普通に戦ったのでは一方的な虐殺になってしまう。
「小動物相手は苦手だ!」
一歩目から全速力。同時に犬たちも床を蹴る。
いくつもの扉を超え、引き離したことを確認した彼は、急いで扉を閉めた。
体をドアに押し付けて、ドアノブを固く握り、絶対に入って来られないようにする。
予想に反して、犬の怪物が来た気配はない。
やっと振り切った、と彼は息を吐く。
束の間、音が聞こえた。
リズミカルで耳に残る音楽は、鼻歌だろうか。
振り向くと、部屋の真ん中でなにかをしているニンゲンが目に入る。
明かりによって照らされた白衣の男がぐちゃぐちゃと手を動かすたびに血がとび散った。
「……んん? 誰でしょうか?」
なんとものんびりした口調で振り向いた男の顔面は、赤い。それは血によるものだとわかった。
男の前にある台に寝かされているのは、まだ若いエルフ。生を失った姿で、虚ろな目を天井に向けている。
アレクニールは知らずのうちに拳を握りしめていた。男から感じる死の気配が警戒を呼び起こす。
「おや? 囚人の方ですか。ここは立ち入り禁止ですよぉ?」
「ああ、いや、人を探してここまで来た」
「尋ね人ですか。見つかりました?」
わかっていて聞いているのは間違いない。
「しかし、どうやってここに来たのでしょう? 私の番犬がいたはずです」
「すぐ外にいるよ」
ほう、と男が目を細める。
「君は所長か?」
「ええ、そうです」
「もしも酒があるなら分けて欲しい」
「酒なら少しはありますねえ。そこの棚に入ってます」
なんという幸運、とアレクニールは跳び上がりそうだった。
「ですがそれは私の酒。あげませんよ」
「そうケチなことを言わずに」
「ダメです」
ただで寄こせと言ったところで、くれるはずもない。だからアレクニールはがっかりしなかった。
今度は別のことを聞いてみる。
「今日、老人を一人招いただろう? その老人をなぜ殺した?」
「老人……? さて、覚えていませんね」
「思い出せ。そしてわけを教えてくれ」
「ふむ……そうは言われましても。例えばあなたは今まで食べた食事を全て覚えていますか? 無理でしょう。なので私も覚えていませんね」
しゃあしゃあと言い放つ所長に対し、アレクニールの胸がざわつく。
初めてわきあがる感情の正体を、彼は知らなかった。
「ではもう一つ。ここはなんだ? どうして同胞の遺体を切り刻むんだ」
「そう……ですね。教えて差し上げましょうか。あなたを殺したあと、耳元で理由を囁いてあげます。それでいかが?」
男が口を歪ませて笑った。
理解不能だ。
この男は、狂っている。
「ここを見られたからには、生きて帰すことができません。あなたも私の研究に付き合っていただきます」
「それはご免だな。くだらん研究になど誰が付き合うか」
「くだらん、とはずいぶんな言いぐさですねえ」
アレクニールは身構えた。両拳を胸の前に上げて、左足を少し出す。誰に教わったわけでもないファイティングポーズが、所長を名乗る男に重圧をかける。
対して所長は、台の上にある刃物を手に取った。薄く、そして磨かれた刃が妖しく光る。
「ひょお!」
奇声を上げて迫る所長の速さは、アレクニールを驚かせた。濃厚な死の匂いを発していても、戦うニンゲンだとは思わなかったのだ。
きらめきが走り、薄刃が彼の体を裂く。
「おお……なんという肉の手応え! あなた、ただの囚人ではないようですねえ」
所長は驚いていた。
アレクニールも驚いている。
(体が熱いな。血が騒いでいるみたいだ)
これまで感じたことがない熱は彼の頭をどこまでも冴えさせる。
ニンゲンとは面白いものだ、と思った。白衣の男はアレクの知らない『技術』を持ち、鉄の剣を弾くはずの肉を裂いた。
薄皮一枚切られた程度のことが、不思議でならない。
再び奇声を上げて飛びかかってくる。
アレクニールは思い切り上に跳んだ。
大きな体が所長よりも高く浮き上がる。
固い足裏を使ったフットスタンプは、決まらなかった。身をひねった所長がぎりぎりのところでかわしたのだ。
着地した白衣の男が驚愕の表情を浮かべる。
一方で、アレクニールは口の端を歪ませて獰猛な笑みをした。
「面倒になってきました。さっさと片付けさせていただく」
「本気、ということか。だったらこっちも全力を出そう」
「減らず口を……」
所長が走り出す。白衣越しに燐光をまとうのをアレクは見逃さなかった。
一直線ではなく、右から左へ踊るように進み、捕らえさせないつもりだ。
面妖な術を前にしても、アレクニールは動かなかった。
かつてないほどに集中し、機を待つ。
「死ねえ!」
所長のナイフは、アレクの胸を斬ったところで止まる。
「なに……!」
彼の両腕はがっちりと掴まれてそれ以上動かせなかった。
「ひょお!!」
しかしそれでも、所長は掴まれていることを活かし、両足でもってアレクのあごを蹴り上げる。
蹴りの衝撃が大男の顔を強制的に上へと向かせた。だが、それだけだ。
「痛いんですけど」
「なんですって!?」
突然やって来たよくわからない男に、所長はようやく、いまさら恐怖を覚えた。自らの肉体を改造し、身体能力を引き上げているにも関わらず、会心の一撃が効いていない。
それだけではなかった。所長は赴任する以前、戦場にいたのだ。若かりし頃、戦いで習得した『スキル』を使用しているのに、通用しない。
額に汗を滲ませる所長は、事の異常さについて考えた。が、もう遅い。
アレクニールが掴み取った手に力を込めると、所長の腕が潰れる。骨が砕け皮膚を突き破った。
「同胞を切り刻むなんておかしいだろ。戦ならまだしも、兵士ではない者を殺すことになんの意味がある」
「……は、離しなさい!」
「答えろ」
所長はあぶら汗をにじませてアレクの睨みつける。だが、力を込められると盛大な悲鳴を上げてぐったりした。
「わ、私に同胞など……いない。か、彼らは、ただの実験対象……人間の進化の……礎となったのです……ひひひ……」
なにがおかしいというのか、所長は笑った。
「実験だって? なにを言ってる?」
「理解できないのは……あなたがバカだからでしょう……」
アレクニールは気が遠くなった。同時にドラゴンならば絶対にしないことを平気でやってのけるニンゲンに初めて恐れを感じる。
「こんなおぞましいものを理解しなきゃならないんなら、俺はバカでいい」
「!?」
彼は手を離した。そして所長が床に落ちるまでの刹那、全力を込めた拳を叩きつける。
固い拳は、所長の胸に吸い込まれた。
一発ではない。
右の次は左、そして次は右と、宙に浮いたままの所長へ撃ち込んでいく。
数十、いや、数百の連打。その全てが本気だった。
アレクニールはニンゲンに興味などない。エルフにもだ。
だが、友は違う。
夢ジジイは酒をくれた『友』だった。
アレクニールは友を切り刻んだ者を許す気などない。
撃ち込まれる拳全てが必殺の威力。
いつからか所長の瞳から光が消えた。
「あの世でご老人に謝罪でもしておけ!」
最後の一発がすでに死んでいる所長を吹き飛ばす。
白衣の男は、無言のまま壁を突き抜けて、どこまでも飛んでいった。
再び静寂が訪れる。
戦いは終わったのだ。
不気味男・所長登場。
前話を含む一連のネタ元は……わかったらすごい。マジですごい。超ゲーマー。
インスパイアと言いますか、かなり影響受けました。
コメント等など、お待ちしております。




