伝説の雪男
びゅうびゅう、ごうごうと聞き慣れない音がして、アレクニールは目を覚ます。
目に映るものは何もない。
時刻は夜で、明かり一つない暗闇が広がっている。
「な、なんだここは……」
神を名乗る男からオーブをかすめ取って、壊したところまでは覚えているのだが、その先は記憶がない。
姿は戻っておらずニンゲンのままである。男の焦り具合から言って、てっきり元に戻るとばかり考えていたがそうではなかった。
「……寒い。寒いぞ!」
意識がはっきりした途端、強烈な寒さが襲いかかってくる。叩きつけるような吹雪は痛みすら感じるものだった。
体をこすって暖めるも、ほとんど効果がない。
風雨をしのげる洞窟、神殿、遺跡、なんでもいいから欲しいと思った。
「ううっ……ここから離れないと」
アレクニールは独り言とともに慣れない体を引きずるようにして、歩き始める。
鱗がない剥き出しの肌は寒さ直に感じているみたいで、すごくつらい。
目が慣れてくると、一面が雪原だとわかった。生物の気配はなく吹雪の音がうるさいだけだ。
「……ん? なんだ!? 鼻からつららが……」
想像を絶する冷たさに驚く。寒さに強い氷竜であってもこのようなところには住まないこと請け合いだ。
「そ、そうだ! ファイアブレスを……」
竜の言語を口にして炎の息を生成する……はずが、何も出てこない。
「力すらも戻っていないのか……」
アレクニールは愕然とするばかり。結局のところ牙も爪も翼も尾も魔力でさえも全て失ったままなのだ。唯一の救いがあるとすれば、あのいけ好かない男に一矢報いたということだけ。
火が出ないとなれば、がぜん寒さが身に染みてくる。
ニンゲンの体は不便すぎて、涙が出そうだった。
「そういえば……彼らはいつも服を着てるんだっけ」
ドラゴンであった彼は生まれてこのかた服など着たことがない。
戦場で見たニンゲンたちはみな同じような服や鎧を身に着けていた。
今にして思えば、巨人たちも服を着ていたし、魔族や精霊、獣人も同様だ。となると服を着ない種族はドラゴンだけとなる。
「くっ……なんだか負けた気分だ……」
種族格差を思い知り、歯ぎしりをする。
しかしながらそんな思いを頭に浮かべるも限界。
「それにしても……寒い! もう無理!」
歩けども歩けどもそこは雪原。大陸のどこら辺かもわからないうえに一人ぼっちである。
このままでは凍死してしまう——
と、感じ始めた頃、遠くに火の明かりが見えた。オレンジ色の暖かそうな光は人がいる証だ。
アレクニールは考えるまでもなく、雪を蹴って走った。
雪原に建てられた小屋の地下は、火が焚かれていて暖かい。北国に住む者達は家の地下に寝室を作り、暖かくして寝るのが習慣なのである。
凍える体をこすりながら、敏感に火の気配を追ったアレクニールは、地下室へ飛び込んだ。
「さむーーーーーーーい!」
ドアを蹴って中へ入ると、そこには二組のニンゲンがいた。
剣を持ち、鎧の上に暖かそうな毛皮を巻いた兵士が四人。
もう一方は、怪我をした老婆と少年、部屋の隅で怯える若い娘が二人。こちらの四人は耳が尖っていて、不思議な雰囲気を持っている。
なにか揉めているな、と一瞬だけ考えたものの、寒さをこらえるのが限界のアレクニールはたき火の前に出た。
火にあたると同時に安堵のため息が出る。
突然すぎる闖入者に誰もがぽかーんとしていた。
ただでさえ荒事が起こりそうなところへ、大きな体にもっさりした長髪の男がやってきたのだ。雪や氷の合間から見える肉体はぜい肉一つないたくましいものだし、驚かない方がおかしい。
「きゃあ!?」
少し間を置いて娘たちが悲鳴を上げる。
その理由は怪異な風貌だからではない。
アレクニールは素っ裸で全部が丸見え。フルもフル、正真正銘のフル裸である。当然、隠すべきところも見えているわけで。
「雪男……?」
少年が思わず呟いた。
彼らの住むこの島では、山中に住むという雪男の伝説がある。
呆気に取られているのは耳の尖った者ばかりではなく、兵士たちもだ。
彼らもどうすべきか、わからないでいるのだった。
「ふはああああ……生き返る」
その間にも雪男と誤認されたアレクニールは、ひどく安心した様子でため息をついている。
どう見ても蒸し風呂でまったりしているおじさんにしか見えない。
最初に我を取り戻したのは、隊長と呼ばれた男だった。強烈な暴力の匂いを放ち、アレクニールに剣を突きつける。
「おい、なんだおまえは?」
「後にしてくれないか? ようやく熱くなってきたところだ」
「狂ってんのか? こんな吹雪の日にフル〇ンだと? 死ぬ気なのか?」
「質問が多い。一つずつにしてくれ」
鋭く光る切っ先を見てもまったく動じない雪男・アレクニールに業を煮やした隊長が剣を振りかぶる。
しかし——
隊長は剣を振りかぶったまま、固まってしまった。よく見れば雪男・アレクニールのもっさりした髪先に火が点いているのだ。
「……お、おまえ、燃えてんぞ」
「ん?」
雪男は視線を己の髪に向けて、慌てだす。
「どうりで熱いと思ったーー!?」
「いや気づけよ!」
立ち上がった雪男は、あちぃぃぃぃ、と叫びながら部屋を出て行ってしまった。
沈黙が訪れる。
誰もが状況を理解できていない。
「た、隊長?」
「……追え! あの野郎は火がついたのをいいことに逃げやがったんだ!」
普通に考えたらあり得ない暴論だったが、誰も異を唱えなかった。それほどに場は混乱していたのだ。
慌てる兵士たちが外に出ると、部屋に残ったのは耳の尖った者たちだけとなる。
「……ばあちゃん、姉ちゃんたち、さっさと逃げよう」
彼らはエルフ。本来はもっと遠くの隠れ家に行く予定であったが、吹雪で足止めされ、そしてエルフ狩りの兵士たちに見つかったというのが事情だ。
エルフの少年はたくましい根性を発揮して、雪男に感謝する事もなく、火も消さないまま家族と共にそそくさと逃げ出した。
「あちいいいいいいいいいいいい!」
アレクニールは小屋の外に出て真っ先に足元の雪へダイブする。転げ回り、髪についた火を消そうと必死だ。
じゅー、と音がして火が消えると、今度は寒い。
動く気が起きなかった彼は、そのまま大の字なって星空を見上げた。
星がよく見える。
吹雪はいつ間にかやみ、雲一つない夜空が広がっていた。
「い、いたぞ!」
「なんなんだこいつ!」
兵士たちが小屋から飛び出してくるのを見て、アレクニールは体を起こした。
「始末しますか、隊長?」
「……!」
いきなり始末とは物騒だ、と眉をひそめる。
「……いや、いいガタイしてやがる。とびきりの労働力になるな」
隊長が指示したのは、捕縛だった。アレクニールの筋骨隆々とした肉体を見ても驚かないのは、それなりの修羅場をくぐっているからだろう。
殺気立つ兵士たちに対し、アレクニールは質問をぶつける。
「君たちが身に着けているのは服かな?」
ああん? と顔を見合わせる兵士たち。
「ちょっとそれを貸してくれないか? 寒くてしかたがない」
「何言ってんだ、バカかよこのおっさん」
初対面でバカだのおっさんだのと言われ、彼は口を尖らせる。
「そこまで言わなくても」
「黙れ! 死にたくなけりゃおとなしくしろ!」
「俺は敵じゃない……元、敵だ」
ドラゴンとニンゲンは敵対しているから、『元』と言ったわけだが、それではますます話が噛み合わない。
「隊長ぉ……もうこいつ面倒ですよ」
痺れを切らして言ったのは小柄な兵士だ。血の気の多さにはうんざりしていた隊長も、この時は頷いた。
「ちっ……しょうがねえな。痛めつけて動けないようにしてやれ!」
「アイアイサー!」
と、隊長を除いた兵士三人が一斉に飛びかかってくる。
アレクニールは動かない。ただじっと兵士が振るう剣を見つめている。
ニンゲンが振る鉄の剣など、通じるはずがないのだ。彼が持つ銀の鱗は傷つかない。
「おらあ!」
先頭の小柄な兵士がアレクニールの肥大した太ももに剣を叩きつける。
ぺちん、と変な音がした。
「い……痛っ!」
感じた事のない痛みにアレクニールが悲鳴を出す。続いて肩、腕に剣が当たると、ジーンとした痛みが走った。
それもそのはず、今の彼には鱗などない。剥き出しの肌にくっきりとみみず腫れができるだけだ。
「いっ……た! 痛いって!」
頭が熱くなっている兵士たちに彼の抗議は聞こえるはずもなく、『ぺちぺち』という剣が出す音ではないものが、冷たい空気中に響く。
「なんだこのおっさん……剣で斬れねえ!?」
「本物の雪男だってのか……」
そんなわけはないのだが、あまりの異常さに兵士たちは再び剣を振り上げた。
「だからやめろと言ってるでしょーが!」
「あ——!?」
振り払うつもりでやった大振りの張り手が、一番近くの小柄な兵士に当たる。
横っ面を大いに叩かれた兵士は、驚いた顔をしたまま首が一回転して倒れた。
「……あれ?」
自分の手と倒れた兵士を交互に見つめる。
兵士は当然のごとく死んでいて、アレクニールは焦った。
「振り払っただけ、なんだが」
言い訳したところで遅い。
仲間をやられたことで兵士たちは捕らえることをやめた。
「て、てめえ……なにしやがった!」
「クソが……ただじゃおかねえぞ。殺せ! ぶっ殺せ!」
隊長を加えた残る三人がアレクニールを包囲しにかかる。
二人の兵士が左右から同時に仕掛け、一瞬の間を置いて隊長が突進。
優れたコンビネーションを見せた彼らではあったが、そのもくろみは崩壊する。
アレクニールは両手を広げ、素手で左右の剣を掴み止めていた。
馬鹿な、そしてあり得ない、と隊長が足を止める。
「うーん……手、というか指? 物を掴むのは便利だな。ニンゲンの良いところを一つ見つけたぞ」
呑気に言い放つ大男から闘気が溢れ出る。
「やられっぱなしは性に合わないし、お返しだ」
力を込めた腕が膨れ上がるのを兵士たちは見た。
アレクニールは、掴んでいた剣を素手で握りつぶす。
握力どうこうの問題ではない。まず斬れないのがおかしい。
彼は足が竦んで動けない右方の兵士を殴る。哀れな兵士は首が真後ろに折れて即死。
間髪を入れずに左方の兵士を掴んで首をねじる。ごきごきとした不吉な音がして、泡を吹きながら兵士はあの世へと逝った。
「え? ちょっと……え?」
「剣を突きつけたのは遊びか?」
後ずさる隊長に向けて、皮肉をぶつける。
「お、おれは……三十人斬りのバンコだぞ! レオニア国軍上級曹長の——」
「口よりも先に剣を使ったらどうだ? 名が泣くと思うんだが」
痛烈だった。
「ぐおおおおおオオオオオオ!」
怒りに任せ、無策に突っ込んでくる隊長へカウンターパンチ。
爆発にも似たド派手な音が空気を揺らす。
「お……ごぼ……」
アレクニールの拳は鎧を陥没させて隊長の胸に突き刺さっている。
骨が砕けて内臓が潰れる感覚と共に、エルフ狩りの隊長は口から鮮血をまき散らし命を落としたのだった。
「はあー……なんか疲れたな。酒が飲みたい……」
戦いが終わると、ずーんとした疲れが押し寄せてくる。
アレクニールは小屋へと戻った。中はすでに無人で囲炉裏の火は消えていない。
兵士たちとは別にもう一グループいたはず、と周囲を見回すものの、気配はなかった。
「なんか揉めてたし、逃げたのかな?」
それならそれでいい、と彼は思った。こうしてたき火を占拠できるのだから申し分ない。
「……」
しばらく火に当たって、アレクニールはふと考えた。
(服を借りれないか……?)
先ほど倒した者達から服を拝借しようと思いつき、さっそく実行する。
いったん外に出て、倒した四人のうち最も大柄な者の着ている衣服を引っぺがす。
着てみたところ、ピッチピチのぱっつんぱっつんで、とてもじゃないがサイズは合っていない。ただ、肌をさらけ出しているよりは遥かに暖かいのだった。
なにもないよりはマシ、と一息ついたところで、たき火の前に再び腰を下ろす。
弾ける火の粉を見ていると、今日の出来事が脳裏をよぎった。
(今日は色々あり過ぎだな)
神を名乗る男。
禁忌の法だという『人改遷術』。
力を奪ったオーブ。
(いや、それはもういいんだ……そんなことよりも……)
最後に味わった、マグマの新酒を思い出す。せめて酒の名前だけでも聞いておけばよかったと後悔するばかりだ。
(また飲みたいけど……)
これから自分はどうすべきか、考えはまとりそうもない。神を名乗る男は、ドラゴン族の同胞がアレクニールを裏切ったという趣旨のことを口にしていた。にわかには信じられない。ドラゴン族が同胞を裏切ることはないはずだった。
(元の姿に戻りたいなー……)
服を着たおかげか、暖かさにまどろむ。
(もしも……元に戻る方法があるなら……)
探そう。そして長老に話を聞く。
そこでアレクニールの意識は、眠りの彼方に行ってしまった。
雪男に誤認されてしまったおじさん。
雪男ってほんとにいるんですかね?
UMA好きとしてはその手の話題が気になるところ。
まだまだ続くよ!
気になったらブクマ、気に入ったら評価、お願いします。