紅角銀鱗の竜・死の運び手・輝けるもの・蒼天を翔ぶ銀翼・来た見た負けた・その他異名いっぱい——
剣と槍と斧と大槌。
数多の武器が交錯する戦場がここにある。
大陸の東方、ニンゲン族の大国『レオニア』とドラゴン族の縄張りがせめぎ合う境界線は今現在、戦の真っ最中だった。
重要拠点としてそびえ立つ古砦を占拠しているのはニンゲン側。
対するのはドラゴン族の僕として先鋒を担う巨人族の軍だ。
「ええい! 図体しか能のない巨人どもめ!」
壁の上から戦場を見る指揮官は唇を噛む。巨人たちが思いのほか粘るので、相当に焦っているのだ。
「くそ! 大弩砲を準備しろ! 魔術砲台もだ! ええーい! さっさとせんか!」
口から泡を飛ばして側近を急がせる。
戦は有利に進んでいるというのに、何故そこまで焦っているのか。
理由は簡単。
そろそろヤツラが来ると知っているからだ。
戦場にどよめきが広がる。
誰もが空を見上げて、悲鳴にも似た言葉を叫んだ。
「もう来おったのか!?」
巨人族の本営がある丘の上に、巨大な物体が降り立つ。
漆黒の鱗と黄金色の瞳。牙と爪は鉄を切り裂き、口から放射される息は生命をいとも簡単に奪うだろう。
――ドラゴンである。
その数は一体だけでなく、続々と空から舞い降りてきた。
「殺せ! すぐに殺せ!」
レオニアの指揮官は怒号を飛ばして弩砲の射手を叱咤する。
人類の天敵であるドラゴンを見て、兵士たちは固まっていた。
しばしの膠着状態。
しかし、緊張が最大限に高まった時、一斉に巨人族の兵士が戦場から離れていく。
「た、退却だと……?」
何が起こったのか、兵士たちは理解が及ばない。
あからさまな罠、の疑いを抱く前に、指揮官は直感した。
「に、に、逃げろーーーーーーー! 早く砦から退避だああああああああああ!」
気が狂ったとしか思えない退却命令に側近たちは面食らったまま動けないでいる。
刹那——
巨大な影が砦を通り過ぎていく。
いったいなんだ? 日食か? とみなが騒ぎ始めた時、誰かが言った。
「死の運び手……」
砦を見渡せる丘に着地した巨大な生き物を見て、彼らは戦に負けたと理解させられたのだった。
太陽の光を受けてきらめく銀鱗。燃えるように紅い角が妖しく光る。
「キターーーーーーーーーーー! に、逃げろーーーーーーーーーーーー!」
「もうだめだ! 終わった! 終わったんだあ!」
「道を空けろ! ぶっ殺すぞ!」
「うわあ! うわああ! うわあああ!」
一人が叫ぶと戦場はとたんにパニックが広がる。全員が一斉に武器を捨てて、砦からは別のところへと走り去っていく。
壁の上に立つ指揮官は現れただけで勝負を決めた銀の竜を見て硬直していた。
遠くに見える銀竜が大きく息を吸いこむ。
走る閃光。
銀竜の放った息はきらめきとともに砦を薙ぎ払った。
光が収まった後には、山ごと削り取られた砦の残骸が残るのみ。
古砦を巡る攻防戦はただの一撃で幕を下ろしたのだった。
『いや~ さすがアレクニールさん。お疲れ様です』
『おお、ファヴギール。お久しぶり』
戦いが終わり、巨人族が勝鬨を上げる中で先ほどの銀竜と漆黒の鱗をした雄々しい黒竜が顔を突き合わせている。
ファヴギール、と呼ばれた黒竜は、翼を一度羽ばたかせて挨拶をした。
『しかし、砦ごと破壊してよかったのかな? 巨人族のためにも残しておいた方がいい気もするが』
『僕もその点が気になっていますけどね……父の考えることはよくわかりません。アレクニールさんは今回の指示をどうお考えで?』
問い返された銀竜——アレクニールは少しの間考えこんだ。
長老からは、砦を破壊しろとしか言われていない。
『長老はたぶん……砦があると奪い合いがいつまでも終わらないと思ったのかもな』
『あ、なるほど。父の考えそうなことです』
竜の独自言語でなされる会話は、巨人族にはわからない。とはいえ、飛びぬけた力を持つ二頭が上機嫌な風なので彼らの足取りは軽かった。
アレクニールは彼らの様子を見る。
砦が破壊されたことで反発を生むかと思いきや、全くそんなことはなく、むしろ新しく家を立て直すのだと陽気だ。
『彼らも喜んでいるな』
ドラゴンの中には巨人たちをニンゲンから逃げた腰抜けだと言う者もいる。しかしアレクニールは主従ではなく共生関係だと思っていた。
ニンゲンに住処を追われてやってきた巨人たちを、ドラゴン族が庇護するようになって二百年。今では切っても切り離せないものだ。
『さあ、ファヴギール! 戦勝の宴だ!』
はしゃぐアレクニール。一方でファヴギールは引いた。
『……い、いやあ……僕はちょーっと用がありますので』
『いいのか? 飯や酒がなくなっても知らないぞ?』
『夜には戻りますから』
と言って、黒竜が飛び去る。続いて彼のお付きドラゴンもまた去っていった。
『もったいないなあ……』
すでに本営は宴支度である。
アレクニールは巨大な口をひん曲げてにやりとした。
――夜。
大きな篝火の周りは賑やかだ。
戦に勝った巨人たちは酒を酌み交わし、アレクニールの名を叫んで乾杯を繰り返す。ドラゴン族で最強だったアレクニールは、戦に出るようになってから二百五十年の間ただの一度も敗れたことはなく、今では大陸最強の生物として名が轟いている。
鋭く禍々しい爪は鋼を切り裂き、どんな物よりも尖った牙は大岩を砕く。大海に住む巨蛇よりも太い尾は千の兵を薙ぎ払い、銀色の翼は日に千里を駆ける。アレクニールが持つ唯一無二のブレスは輝きと共に勝利をもたらすのだ。紅角銀鱗の竜・死の運び手・輝けるもの・蒼天を翔ぶ銀翼・来た見た負けた・遭遇即死生物・万人の敵——異名は数限りない。
陽気に歌う巨人族を見ながらアレクニールは、ちょーっと大袈裟じゃない? と苦笑いをするばかりだった。
やがて、彼の前に大樽が積まれる。
「アレクニール様! 新酒を用意しましたよ!」
「どうぞお試しください!」
大陸共通言語で話される内容に、アレクニールは待ってましたと舌なめずり。
世界中に名を轟かす最強のドラゴンは実のところ『酒』が大好きだった。
巨人族がやってくる前、ドラゴンが酒を飲む習慣はなかった。今でも酒を飲むドラゴンは少ないだろう。
しかしアレクニールは違う。
「新酒?」
「へい! アルゴラ山のマグマを使った火酒でさあ!」
「なんだと!」
ドラゴンのサイズに合わせた樽に口を入れて吸う。まったりとした濃厚な味わいにアレクニールはうなった。
「ううむ……素晴らしい!」
さらにもう一口飲むと、全身が灼けるように熱くなる。
「くあーーーーーー! 熱い! そして美味い!」
至高の瞬間であった。全身をかあっとした熱が駆け巡り、元気が湧いてくる。ものすごく幸せで、ものすごく楽しい気分になってくる。
次々と運ばれるおかわりを飲み干し、良い気分になってきたアレクニールは空に向けて炎の息を吐いた。それを見た巨人たちが喝さいを送ると、宴がまた盛り上がる。
「はー……新酒とはまた……気に入ったぞ」
巨人族の作る酒は素晴らしい、と呟き、巨体を丸める。
そしていつしか、彼は眠りに落ちるのだった。
どのくらい眠っていたのか―—
ふと鼻先を叩かれている感触がして、アレクニールは目を覚ました。酔いがまだ覚めていないとろーんとした顔で首だけ起こす。
「おい、さっさと起きろ」
「……ん?」
鼻先にいるニンゲンとおぼしき男が一人。
「ここはどこだ……?」
「おいおい、俺は無視か?」
大きくて長い首を左右に振り、周囲を確認する。
何もない空間だ。白くて奥行きを感じられない。
「アレクニールさんよォ、話聞いてる?」
「君は誰だ?」
馴れ馴れしい男は笑った。そして——
「俺は神にも等しい存在だ」
突然わけのわからないことを言いだした男に、アレクニールは首を傾げるのだった。
「……なんだ、夢か」
アレクニールは再び目を閉じて眠りにつこうとする。
「寝るなよ! 起きろ馬鹿野郎!」
ん? と改めて確認をする。
男はまだ若く、口をひん曲げてイライラしている。黒髪で黒瞳。全身を真っ白な衣服で統一しているこの男を、アレクニールは知らない。
「いいか? 俺ァな、神にも——」
「輝ける息」
閃光が走り、アレクニールの口から飛び出た極大の光線が男を灼く。
「あづううううううううううううううううううい! こ、この野郎! なにすん——」
「輝ける息」
再度のブレス攻撃。
「ぬぐわああああああああああああああああああああああああああ! やめろって——」
「輝ける息」
三度目のブレスが吐き出されると、男は喋らなくなった。
そこまでしておいて、アレクニールはやはり夢だと思う。自分の輝ける息を喰らって生き延びた者はいない。それが二度となるともはや異常だ。
だが、男は立ち上がった。全身から焦げた匂いを漂わせ、髪は爆発してボンバヘッ! になっている。
「待て待て! いきなり殺す気か!?」
「あ、いや、すまない。怪しいヤツを見たらまずはブレスを吐きかけろと親から教わっていて」
「んな教えがあってたまるか!」
いきり立つ男は、ローブの内側からオーブを取り出す。
「もういい……少しは話してやろうと思ったが、おまえムカつくわ」
「なに……?」
今度は男が閃光を放つ番だった。
目もくらむばかりの激しい光が謎の空間内を駆け巡る。
アレクニールの体内にある大きな心臓が、ドクン、と跳ねた。
とっさに輝ける息で反撃すると、男が叫んだ。
「熱っ! 抵抗すんじゃねェよ!」
光がさらに強くなる。
アレクニールはブレスを吐き続けた。初めて感じる命の危険に混乱している。
ピシリ、と小さい音が聞こえたと同時に、銀の竜は意識を失った。
いつ間にか気絶していたアレクニールは、全身に水をかけられて飛び起きた。
「……なっ!?」
「起きたか?」
彼は驚いていた。それはもう、また気絶するんじゃないかというほどに驚愕している。
水をかけられて目を覚ましたのはわかる。
驚いていたのはそこじゃなく、己の肉体にだ。
「し、尻尾がない!? 翼も!?」
鱗はなく、顔の形もおかしい。自分が知る肉体ではない。
慌てふためくアレクニールを見て、男が笑い転げる。
「世界最強のドラゴンさんよォ、ニンゲンになった気分はどうだい?」
「なんだって!?」
なにが起こったのか、まったくわからない。わかるはずもない。
「世界最強じゃねェか。元・世界最強のドラゴン、現・ニンゲンのおっさんってとこだな」
「俺に一体なにをした?」
「見りゃあわかるだろ。ニンゲンにしたんだよ」
「そ、そんなことがあり得るはずもない! 竜を人にする……だと!?」
「いーい顔だ、おっさん!」
男は邪悪な笑みを浮かべてアレクニールの顔面を殴る。予想だにしない衝撃がニンゲンとなった彼を弾き飛ばした。
「調子に乗りやがって! うらあ! こっちは三回も死んでんだぞ!」
苦痛に悶えるアレクニールへ二度、三度と蹴りを見舞う。一撃一撃が凄まじい重さを持ち、彼はたまらず血を吐く。
「ふう……すっきりした」
男は汗を拭って、倒れたままのアレクニールを睨みつけた。
「んだよ、その目は」
アレクニールもまた、下から男を睨みつけた。交錯する視線をどちらも外そうとしない。
「何故だ? 何故こんな真似を……」
「教えてやる義理はねえな……と言いたいとこだが、いいぜ、少しばかり話してやろう。おまえはもうただのニンゲンなんだからなあ」
男がローブの内側から取り出したのは、またもやオーブだった。
「おまえにかけたのは『人改遷術』。禁忌の法だ」
聞いたこともない術の名が出てきたことで、アレクニールはさらに混乱した。
「おまえは……『強すぎる』。だから力を奪って封じた。おまえはこの星にとっては邪魔者でしかない、ゼンセカイノテキってことだ」
「全世界の敵……だと? 意味の分からないことを」
「意味はあるさ。おまえ以外の者にとってはな」
謎かけみたいな言葉に、アレクニールは苛立ちを募らせる。
「君はなんだ? 誰なんだ!」
「神にも等しい存在だと言っただろ」
「何故殺さないんだ……何故、ニンゲンに……」
いっそ殺せばいい。彼は素直にそう思った。寝首をかかれるのは己の落ち度しかない。
何も言えないアレクニールを見て、神を名乗る男があざ笑う。
「俺はな、しばらくの間、おまえを見ていた。明るくて、大酒飲みで、自分が負けるなんてこれっぽっちも思ってない自信過剰のクソ野郎だ。だから苦しめてやりてえんだよ」
絶句、だった。そのようなつまらない理由で事を起こされるとはまったくもって理解に苦しむ。
愉悦に満ちた笑みがただただ不気味で、アレクニールはぶるりと震えた。
神を名乗る男は、さらに追い打ちをかける。
「てめえがこうなるのはドラゴン族の長老も了承している」
「……どういうことだ?」
「さァな?」
「ふざけるな! わけを話せ!」
「嫌だね」
アレクニールは立ち上がって男に掴みかかった。しかし、慣れないニンゲンの体ではふらふらして力が出ない。
男は元・世界最強の竜を軽く避け、丸出しの尻を蹴って転がす。
「く、くそ……力が入らない!」
「往生際の悪い野郎だ!」
苛立った男が、アレクニールを殴りつける。それでも真っすぐな瞳をやめない彼に対し、神を名乗る男は顔を引きつらせた。
狂ったように殴り、蹴る。何十分と続いた一方的な攻撃が終わると、アレクニールはぐったりしてうつぶせのまま動かなくなった。
「殺されてえのか、てめえ」
「……くっくっく……」
「ああ? なにがおかしいんだこらあ」
男は突然笑い出したアレクニールに眉をひそめる。数瞬後、懐をまさぐって笑いの意味を理解した。
「探し物はこれか?」
あざだらけの肉体を起こし、手にしたオーブを見せつける。暴力に夢中だった男の懐からかすめ取ったのだった。
「おいおい……やってくれるじゃねーの」
男の額に一筋の汗が伝う。体を動かして出た汗ではなく、冷や汗だ。
「これに俺の力が入ってるんだろ? 壊したらどうなる?」
「……」
アレクニールは、これで元に戻れる、と確信した。そして手に力を込める。
「馬鹿っ! やめろ! そいつはもうてめェの『輝ける力』じゃねェんだよ!」
「知った事か! 壊す!」
片手では無理だ、と両手を使って挟み潰す。
元々あった小さな亀裂から、ぴし、ぴし、と音が出る。
男が愚行をやめさせるべく手を伸ばした。
瞬間——
何もかもが光とともに弾け飛んだ。
無双のところまで一気に投稿します。
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『混沌と秩序の間に挟まれたらどうすればいーい?』ともどもよろしくお願いしまっす!
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