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裏切りのその末は

作者: あな

 それは少女が好んで読む物語のような光景だとマイナは思った。


 人気のない裏庭。月の光のしたで微かに届くパーティー会場からの音楽に身を寄せ見つめ合い踊るふたりの人影。

 恋心を公にできない秘密の恋人たちが、人々の喧騒から離れ逢瀬を楽しんでいる姿は、物語の一幕を切り取ったようだった。


「……セシル、戻りましょう」

「姉さん、いいの?あれ、トレヴァーだよね」

「義務は果たしてくれたもの、いいのよ」


 トレヴァーはマイナへの義務をきちんと果たしているのだ。

 トレヴァーはこの日のためのドレスをマイナへ贈ってくれた。家に迎えにきてくれた。ファーストダンスはともに踊った。

 あの子の耳を飾る小さな宝石が彼の瞳の色でも、彼の瞳の色のドレスを贈られ身につけているのは婚約者のマイナだ。


 マイナもトレヴァーも侯爵家の生まれで家のために恋を知らぬ幼い頃に婚約したけれど、お互いに心を寄りそわせてきたつもりだった。相手への気持ちが恋かと問われればマイナは「そうだ」と答えられる。彼も「そうだ」と信じていたのが崩れたのはこの学園に入学してからだった。



***



 十六になる歳から二年間、貴族の子女は王都にある王立学園へ通うことを義務付けられている。そこは小さな社交界であり、近い将来身を置く場所の縮図でもあった。

 マイナとトレヴァーは同い年で、学園への入学も同年だった。

 女子は十五までは家庭教師から学ぶけれど、男子は十になると幼年学校へ通うことが多い。トレヴァーも幼年学校へ通っており、学園入学時には同学年に大勢の友人と知り合いがいた。

 そのなかのひとりがあの子(ミア)だった。



 仲の良い友人の双子の妹だと紹介されたとき、トレヴァーの瞳がミアを優しく見つめているように思え、マイナは少しだけ戸惑ったことを覚えている。

 気のせいだとその考えに蓋をして、トレヴァーの希望もありマイナとミアは友人になった。

 ミアの父親は一代限りの男爵で、本来なら学園へ通えるほどの身分ではない。けれど平民にも学園の門戸を開こうとする動きがあり、そのおかげで入学できたそうだ。

 学生であれど身分がものをいう学園でミアが不当に貶められることがないように、トレヴァーの願いを聞き入れたマイナが気を配ることになった。

 幸い同級生は心優しい穏やかな気質の持ち主が多く、マイナ以外にも友人が出来たミアは問題なく学園生活を謳歌出来ているようだった。



 ミアは同い年の兄がいるためか、まだ婚約者のいない女の子たちと男子学部の男の子たちの橋渡し役をするようになっていた。

 ミアが男子学部の男の子と話をする姿は、男子側にミアの兄が必ず含まれていることもあり問題視する者はいなかった。

 そのなかにトレヴァーの姿も必ずと言っていいほど含まれていることにマイナは気がついていた。



 学園は男子学部と女子学部に分かれているが、催し事があるときはその限りではなく混合で開催される。

 小さな社交界だけに催し物はダンスパーティーが多く、季節ごとに行われるそれには婚約者が学園へ在籍するものは婚約者と参加するのが常だった。

 お互いの色を含んだ服装か服飾品を身につけ参加するダンスパーティーに、恋人も婚約者もいないミアがトレヴァーの色を小さく身につけ参加していることにマイナが気がついたのは卒業式後のダンスパーティー。マイナたちは二学年への進級を控えていた。




 そして今日は新入生を歓迎するダンスパーティー。

 マイナのひとつ下の弟セシルが入学し、セシルの婚約者は二歳年下のため学園のダンスパーティーへは参加できない。

 マイナはファーストダンスをトレヴァーと、次のダンスはセシルと踊った。

 セシルと踊るあいだにトレヴァーとミアの姿がパーティー会場から消えており、友人にトレヴァーを見なかったか尋ねたところ裏庭へ出るところを見たものがいて、セシルを伴いトレヴァーを探しに裏庭へ行ったのだ。


 婚約者と友人の裏切りに、マイナは静かに絶望していた。

 取り乱すことができないのは侯爵令嬢としての矜持だけでなく、どこかで予感していたからだろう。

 セシルへの言葉は強がりでしかなかったが、心配する弟の手前泣くことも出来ず、急速に体温を失うような感覚をどうにかやり過ごそうとした。

 平常心を取り繕うことは出来たが、人前に出るまでの気力は戻らず早々にパーティーを抜け帰宅することにした。



「セシル、ごめんなさい。せっかくの歓迎パーティーなのに」

「僕のことなんかより姉さんのことだよ。トレヴァーのこと、知っていたの?」

「確証はなかったけれど……ね。けれどお願い、黙っていて」

「けど!」

「目の当たりにしたのは今日だけよ。トレヴァーとあの子(ミア)は友達なの。友達同士で踊りたかったのに、人前だと婚約者の私に気を使うから裏庭で踊っていたのかもしれないでしょう」

「……僕なら婚約者の許可をもらって人前で踊るよ」

「そうね。けど、いまはそう思いたいの」


 力なく微笑むマイナに、セシルはなにも言えず黙りこんだ。




 マイナはその日から少しずつ体調を崩していった。

 原因は判っている。

 眠れないのだ。

 眠るとあの日のふたりの夢をみてしまい、眠ることが怖いのだ。

 眠れないだけでなく、なにかの拍子に血の気の失せる感覚が繰り返し襲うようになり、マイナは精神的に不安定になった。

 セシルは父親へトレヴァーの行状を調べ問題があったときは叱責してほしいと頼んだが、理由を言うと「その程度のことを受け流せないようでは先が思いやられる」と取り合ってくれなかった。


 マイナは体調不調から学園を数日前から休んでいた。

 トレヴァーの耳にもマイナの不調が伝わったらしく、見舞いの打診があった。婚約者の見舞いを断る理由はなく、トレヴァーはマイナの見舞いに訪れた。



「ミアから聞いた。あの子を避けているそうだな」

「それは……」

「他の生徒からのあたりがきつくなったと泣いていた。お前がそう仕組んだのか?」

「わたしは、なにも……」

「ならなぜあの子が泣くようなことになっている!」


 あの日のことを思い出すため、マイナがミアを遠ざけていたことは事実だ。

 けれどトレヴァーとミアのことは前々から密かに噂になっていた。

 あの日までマイナがそのことに気づいていないと思われ、友人たちはマイナのために目を瞑っていたのだ。

 新入生歓迎パーティーでトレヴァーとミアがふたりで会場を抜けだしたことにマイナの友人たちは気がついていた。

 そしてそれ以降続くマイナの不調の原因が、ふたりの裏切りをマイナが知ったためであることも気づいていた。


 学園は小さな社交界だ。

 侯爵令嬢のマイナはその社交界の頂点に近い場所にいて、平民に近いミアは最底辺に属している。

 ミアが受けいれられたのはマイナの友人だからこそだ。マイナを裏切ったミアを、女生徒たちが疎んだことは自然の成り行きだったが、トレヴァーはそれに気が付いてなかった。


 トレヴァーの見舞いと称したマイナへの糾弾に、マイナの心は磨り減った。





 トレヴァーの訪問を知ったセシルはマイナの部屋へ急いだが、トレヴァーとはすれ違いで会えず、マイナにはいまは会いたくないと扉を閉ざされてしまった。

 マイナは翌日も部屋から出て来ず、その翌日にようやく姿を現したが、その姿はひとまわり細くちいさくなったようだ。


「姉さん、大丈夫なの?」

「ええ、もう平気よ。心配かけてごめんなさい」


 マイナはセシルに穏やかに微笑んでみせた。

 昨夜、父がマイナの部屋へ訪れなにか話し合っていたようだが、父がようやく重い腰をあげマイナのためにトレヴァーを窘めてくれるのだと信じていた。

 けれどマイナの微笑みは諦観のすえのものだった。



***



 マイナはミアを遠ざけることをしなくなった。

 けれどミアは相変わらずで催し物があるときは小さくトレヴァーの色をまとい、トレヴァーとともに姿を消すことがよくあった。マイナへ進言する友人もいたが、マイナはそれを「いいのよ」と窘めていた。

 みかねたセシルは父にふたたびトレヴァーを叱責してほしいと頼んだが、マイナも納得済みのことだと引き下がらせた。



 マイナがトレヴァーとミアの裏切りを目の当たりにしてから一年が経った。

 ミアはあと数カ月で卒業という時期に学園を辞めた。

 マイナの家、侯爵家からミアの親へ圧力があったのではと噂が流れたが、ミアの兄は無事に学園を卒業したことからその噂は打ち消され、違う下世話な噂が流れた。

 しかしトレヴァーとマイナが卒業後予定通り結婚したことから、それも唯の噂だったと結論づけられた。



 それから四年経ち、セシルも婚約者の卒業を待って結婚をした。

 マイナは嫁いでから実家にあまり顔を出さず、セシルも跡取りとして学ぶことが多かったため姉弟の交流はなにかの折々に顔を合わせる程度になった。

 夜会で仲睦まじく寄りそうトレヴァーとマイナに、ミアのことは学生のうちの火遊びでしかなく、立場に見合った伴侶と結婚する前の一時の遊びだったのだろうとセシルは受け止めていた。

 四年のあいだにマイナはトレヴァーの子供を二人、トレヴァーに似た嫡男と次男を儲け、絵に描いたような幸せな夫婦にみえた。

 姉夫婦のあいだにもうわだかまりはないと、セシルは信じていた。



***



 珍しくトレヴァーが父へ面会を求めて屋敷を訪れていた。

 ときおりトレヴァーの憤る声が漏れ聞こえ、その声に不穏なものを感じたセシルは呼ばれたこともあり父の部屋へ赴いた。


「父上、参りました」

「入れ」


 セシルが父の部屋へ入ると、トレヴァーは項垂れていた。

 セシルが父の隣に座ると、トレヴァーは頭をあげセシルへ言葉を発した。


「君も、納得しているのか?」

「なにを、です?」

「マイナが愛人を持つことに、だ!」

「なんのことですか?」


 セシルはマイナを貶めるトレヴァーに眉を顰めた。

 結婚前にマイナを苦しめた義兄に、マイナへ汚名を着せ苦しめるつもりなのかと怒鳴りそうになった。

 それを父が遮った。


「娘に責務を果たせばあとは自由にしていいと言ったのは私だ」

「なぜそんなことを!」

「先に娘を裏切り愛人を持ち婚外子を産ませたのは、トレヴァー、君だろう」


 ミアが学年半ばで学園を去ったのは、トレヴァーの子供を身籠もったからだと、セシルはその事実をこのとき初めて知った。

 そんな噂が流れたことはあった。けれどトレヴァーとマイナは破局せず結婚したことで噂は噂でしかないと思っていたのだ。


「娘と君の結婚は家のためだ。娘が責務を果たしたあとのことは君の父親テレンスも納得して契約書へ署名をしている」


 その契約書はトレヴァーがミアを愛人に迎えたのちに交わされたものだ。

 ふたつの侯爵家は事業の多くで提携をしている。

 関係の磐石さを内外へ示すために、トレヴァーとマイナの婚姻は必要だった。そして、マイナはトレヴァーとのあいだに男児を儲けることで、将来に渡り事業の提携を続ける証とするものだった。

 けれどそこにはマイナの幸せはなく、義務しかなかった。

 学園へ入学するまではそれでも良かった。政略結婚でもふたりは慕いあっており、幸せになる道筋が見えていたのだ。

 それが失われたことで、新たな契約が交わされたのだ。


「娘が女性として自信を失わないよう、娘を愛し崇拝する男を護衛につけたのも私だ」


 その男はマイナが嫁ぐとき、マイナへ付き従った騎士だ。

 その男とマイナは密かに心を通わせ愛情を育んだのだろう。責務を果たしたマイナは、父の言葉と両家で取り交わされた契約書を盾に夫であるトレヴァーを拒んだ。

 マイナより三歳年長の騎士を、まだ未婚だったマイナの護衛へつけることに当時のセシルは疑問を持ったが、不安定になっていたマイナを精神的にも支える献身的な男の姿に父の思いやりを感じていたのだ。

 それが娘を裏切ったトレヴァーへの、マイナを恋い慕う男の気持ちを利用したトレヴァーへ報復する布石とは知らなかったが。


 家のため娘に我慢を強いることは変えられない。

 だから娘の心が信頼する騎士に救われるように、水を向けさせた。

 そうして父の思惑通り、マイナは護衛騎士に心を寄せた。



 マイナは秘めた恋心からか、日々美しさを増していたようだ。

 トレヴァーの愛人ミアが子育て疲れからの容色の衰えや正妻であるマイナへの醜い嫉妬や癇気を隠さなくなったのとは違い、トレヴァーへの諦観から感情を伴わない美しい微笑みを浮かべ義務のために黙り寄りそうマイナへ心を移していたようだ。


 男児をふたり儲け、今度はマイナに似た女の子がほしいと産褥期が過ぎ夫婦生活が可能になったマイナへ迫り断られ、トレヴァーは妻の実家へマイナを説得するように嘆願に来たのだ。




 馬鹿馬鹿しいにも程がある。

 マイナが苦しんでいたときに、義務を果たしたからとミアと愉しんでいたのはトレヴァーだ。

 父のやり方に不満はあるが、利害のために婚約破棄できなかった以上、マイナの心を癒す手段として護衛騎士を宛がったのは妥当と思えた。


「トレヴァー。貴男は婚前から愛人を囲い子まで成していたのでしょう?姉は貴男と違い身綺麗さを保ち跡継ぎとなる子供をふたり成した。責務を果たしたあとに、貴男と同じく愛人を持つことになにか問題でも?」

「マイナは女だ。男とは違う。第一に愛人の子を孕まれたら困るのはこちらだ」

「この契約書には、姉が愛人とのあいだに子供が出来たとき、その生活費は我が家で負担し、成人まで面倒をみるとありますね。もちろん貴男の家の相続の放棄も含まれてます。ああ、だから父は僕の同席を求めたのですね。姉は家のために犠牲となり貢献したのだから、これくらいの負担はするべきでしょう」


 父へ同意を見せるセシルに、トレヴァーは目を見開いた。

 政略結婚の夫婦は往々にして義務を果たしたあとに愛人を持つことがある。けれどトレヴァーはマイナに好かれている自信があった。

 たとえミアを愛人にしても、結婚前にミアを孕ませ子を成しても、マイナはそれを赦すものだと思い込んでいた。マイナが傷つき萎れる姿をみても、トレヴァーへの愛情があったうえのものだと、マイナの心を踏みにじり続けた。

 マイナのなにも知らなかった無垢な体を拓き孕ませ子をふたり成したことで、マイナの愛情はトレヴァーから離れることはないと思い込んでいた。

 マイナの愛情はとっくに失われ義務だけの関係になっていたことを、この現状を招いたのは己の過去の行いであることを、セシルに「姉は家の犠牲になった」と言われてトレヴァーはやっと理解した。


「……判りました。これで失礼いたします」


 執事に見送られ、トレヴァーは屋敷をあとにした。



「お前が私に同意するとはな」

「不満はありますよ。あのとき姉さんのためにトレヴァーをしっかりと叱責してくれたならと、いまも恨みに思っています」

「ああしたものは反対されれば余計に燃え上がる。周囲が口煩くすればするほどにな」


 だからトレヴァーの父親にすべて任せていたと父は言った。

 マイナの気持ちを蔑ろにしたふたりが婚前に愛人関係になったことは誤算だったようだが、父は父なりに娘を愛し守るために動いていたようだ。


「姉さんは、本当に愛人を持つでしょうか?」

「さあな。そのうち持つかもしれんが、いまはトレヴァーを拒んでいるだけだろう」

「なぜ、そう思うのですか?」

「体つきがもとに戻らないうちに、醜く弛んだ体を見せるのは辛いとお前たちの母に泣かれた」

「なるほど」


 後学のために父にどうしたのかを聞き出すと、父は母に子を成してくれた体が醜い訳がない、神々しく愛おしいだけだと口説き落としたらしい。

 セシルは思わぬところで父の惚気を聞いてしまった。





 姉夫婦の今後がどうなるか、セシルにはわからない。すでに埋められないほどの深い溝がふたりのあいだにあるのだから。

 マイナの憔悴した姿を忘れられないセシルは、マイナがこれからどんな選択をしてもそれを尊重し支えることを心に誓った。

 マイナの幸せを願い、より良い未来を得られるよう、マイナとの交流を増やし見守ることを決めた。


 マイナのこの先の未来が明るいものでありますように、とセシルは祈った。

お読みいただきありがとうございます。

カテゴリを悩んだ末に異世界恋愛にしました。

恋愛要素はあっても諦めてるので間違っているような気がします。


誤字報告をありがとうございます。とても助かります。


11/19に短編1位、異世界〔恋愛〕2位、総合6位になりました。

たくさんの評価とブックマーク、感想をありがとうございます。

きっともう二度とこんな奇跡はないので、記念に書き記し。

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