赤平寛導、吉田と庄司を仲介す
吉田太郎は全責任を負い、ストライキを終わらすことを決意した。
文京町の学舎へ発つ前に、長勝寺に集う学生らとその父兄らへこのように伝えたという。
”石郷岡市長の話では、我等がストライキを終わらす代わりに、来週の月曜日には停学処分を取り消すという。秋田校長もこの事態を重く見ており、”若者の力” が上の判断を覆したということで、このたびのストライキは大変意義があるものだったと思う”
ストライキを終わらすことに誰もが反対をしない。この結末の見えぬ戦い……
”ただしこれまで宿舎として使っていた各々の寺は出なければいけない。理科の学生は北溟寮へ入らなければならない。残念ながらこれは変わらない。噂で言われるような監視生活になるだろう。だがこればかりは我慢してくれ。君たちには未来がある。勉学に励み、郷里にその知識を持ち帰って、それぞれの土地の発展に尽くさなければいけない。もしくは東京府に出てお上に仕えるか。……どちらにしても国家の繁栄の礎を担う重責がある”
誰もが静かに聞き入るのみ。
”60年にも及ぶ人生を考えれば、学生生活さえ我慢すれば、”監視生活” というものは2年ないしは3年でしかない。そう思えることのできる者なら楽だが……。だがその年月は、人生で一番かけがえのないものだ。本来味わえるはずの経験を、知ることができなくなった。僕も一部分においてその ”引き金” を引いてしまったことを詫びなければならない。そしてこのストライキを終わらすことも”
そして堅く踏み固められた地面に体を倒し、学生らに対し頭を下げたのだ。
……学生らはうなだれて、声にもならぬ悲鳴をあげた。吉田の目前でその話を聞いていた者は、吉田のように体を倒し、地面に拳をたたきつけた。未だ雪のちらつく境内。地面に雪が落ちれば、すぐに溶けてなくなってしまう。ただし踏み固められている地面といっても、少しだけ表側が土と水が混じって泥のような、あまり触れたくない汚さを呈する。……そんなこともお構いなしに学生は次々と膝を曲げて地面に付けて、袴をはいている者は袴を褐色に汚し、学ランならば黒のズボンの独特な光沢はないものにし、思い思いに嘆くのだ。父兄らも立ちつくしたままで、さぞ複雑な心境だっただろう。
吉田は長勝寺の門よりでて、坂を下っていく。下がりきったところですでに用意されていた馬車に乗り込み、文京町の学舎へと向かった。何日ぶりだろうか。1年か2年も経ったような気がする。どのような建物の構造だったろうか。蔵主町の仮校舎ならば靴を脱がなければいけなかったが、こちらの新校舎は西洋流の土足でいなければならない。そこが未だ不慣れだが……三角屋根と輝くガラスの窓、これで最後だ。
小刻みに揺れる車内で、様々な思い出がよみがえる。
”嗚呼、あいつと言い争いをしたな”
”あいつと呑んで、楽しかったな”
すべてが終わる。いつしか馬車は文京町へ着き、外で控える守衛より降りることを促された。そのまま彼の後を歩み、2階の校長室のドアを叩く……校長の前で懐より謝罪文を取り出し、吉田と校長の間に置かれているご大層で仰々しい机に置いた。木目調で彩られたその机は、窓より差し込んだ夕日に照らされて否応なく輝いている。
校長の秋田はその反省文をじっくりと読み込む。特に名前や判子が押されていないのを指摘する様子はない。……一通り読み終えると、今度は吉田の顔をまじまじと見るのだ。
そして物静かに、言葉を伝える。
”約束通り、学生らの停学処分は月曜までに解く。これは仲立ちしてくださった市長との約束であるので、反故にすることはない。上もこの事態を重く見て、こちらに任せるとしてくれている”
”だから君も責任を果たさなければならない。君の処置は取り消さないし、今後学校側で関わることは一切ない。……此度のことは済んだ。君はすでに当学校の学生ではないので、この部屋から出次第、すぐに立ち去るように”
後にわかった話だが、このころ官立弘前高校の廃止論が国会で取り出された。これはれっきとした事実である。
長勝寺には人がいなくなった。貞昌寺や法源寺も同じである。理科の宿舎として使われていた寺からは学生が次々と荷物を持ち出して、新しい宿舎である北溟寮に向けて人の行列がぞろぞろと続く。
そして吉田は理乙の宿舎だった貞昌寺へと戻った。……戻ったところで仲間はいないし、いるのは住職とその坊主ぐらいである。
がら空きとなった寺の中。
誰もいない空間を、ただただ見つめる。
何もすることのなくなった吉田ではあるが、しばらく貞昌寺にいたらしい。住職である赤平寛導はそれを許したし、この若者の行く末を案じてのことであった。
このままではこの若者はダメになってしまう。あろう事か未来が閉ざされて、心を閉ざしてしまっている。かつては他の学生とともに勉学に励み、ともに遊んだ。本来は勢いのあってすばらしい男子なのだ。それがいまは……柱に背中を付けて、遁世の至る所だ。
寺から去ろうにも、故郷の両親からは勘当されてしまったので行く当てがない。これほどの大事件を起こしたリーダーなのだから、周りの者にも恥ずかしい限りで、息子の話を聞くまでもなく一方的なものだったらしい。
それでも吉田は福島県若松市の出身だ。戊辰戦争で敗れた会津藩はかつて、青森県内で斗南藩を興したという経緯がある。そこで住職である寛導は出入りのある者に呼びかけて、なんとか田名部にこの若者を援けてくれるという者を見つけ出した。彼は對馬といい、そのうち弘前を訪れて吉田に会ってくれるという。そしてよさそうな若者なら……養子にして、大切に扱ってくれるそうだ。
”郷里の若者ならば、なおさら立派にしてやらねばならぬ。我等はかつて正しさを主張し、薩長と争った。だが城はぼろぼろにされ、遠方に飛ばされてしまった。誰もが辛酸を味わい、住むところもなければ、食べるものもなかった。いまでこそマシになったが……一度敗北を味わった者は他の者と ”目” が違うのは確かだ。いまの甘ったれた若者どもは、敗北というものを知らない。そんなやつらに後のことを託す気にはなれなかったのだ……だから、太郎君が欲しい”
吉田は涙した。こんな自分でも受け入れてくださる方がいるなんて……捨てたもんじゃない。養父となる男から届いた手紙を広げて何度も何度も読み返し、思わず声に出してしまうし、北東の方を見て頭も下げるのだ。
この吉田の様子を見て……寛導は彼が去る前に一つやってやろうと考えた。寒い土地で畑を耕したまま人生を終わらすのもいいが、彼はそんなガラではない。もちろん彼の養父殿が考えることではあるが、上位の数%しか高校へ進学できない時代に、官立弘前高校へ入学した彼なのだ。そのルートを終わらせるのも惜しい。
「のう……太郎君。田名部へ行く前に、会って欲しい人がいるのだが……」
寛導は吉田に訊いた。雪の積もる庭で二人は立ち話をする、……周りに誰もいないので、この場面を見ているのは天のみである。白雲こそ空を覆ってはいるが、神やら仏と言った類は、彼に期待をかけている。まだ彼を僻地では終わらせない。農民の如く土に根ざしてもいいが、選択肢がいくつかあってもいい。
そして昼下がり雪降りしきる中、鍛治町の牛鍋屋に吉田は入った。すでに相手は上の階で食べているという。吉田は階段を登り……襖を静かに開ける。
そこにいるのは、飯の上に牛の肉をのせて今にも口に入れようとしていた庄司万次郎だった。
「吉田太郎君、来なすったか。」
吉田はそのまま体を膠着させ、頭の中で ”この意図は何か” と必死に考える。しかし学問もしばらくしていなかったし頭を使っていない彼のこと、まったくふさわしい答えを導き出せなかった。
庄司は箸を対面する座布団へむけて、”いいからそこに座れ” と笑顔で言った。
吉田から何を話すことはない。いや、話すことが仮にあってもだ。罵りしかないだろう……宿敵ともいえる相手なのだから。もちろん庄司も、吉田がこういう態度になることは予想していた。その上で呼び出したのだ。
「御一新の時は、この ”牛すき” もおそるおそる食べたものだが……やみつきになるものでな。この肉を食べるという行為、何かを征しているような、征したくなるような、意気というものがグンとあがるんだ。そうは思わないか、吉田君。」
未だ黙ったままだ。
庄司はどんどん箸を進めながら、”このままでは君の取り分もなくなるぞ” と言いながら、汁をすするわ新たに飯を持ってこさせるわで大いに食べ続けた。しかし一向に吉田は手を付けようとしない。
そして庄司は、ある事実を唐突に伝えたのだ。
「吉田君……実はな。”あれ” は伝えていないのだよ。」
「お前らが私を貞昌寺に連れ去った件。あれは私とお前ら以外、誰も知らない。校長も、市長もそうだ。」
吉田はどのような表情をとっていいかわからない。純粋に驚けばよいのか、それとも庄司が冗談をいっているだけで、睨んでしまえばいいものなのか。
「本当よ、本当だ。だからお前は堂々としていればいい。ストライキを率いた ”弘高の英雄” として、これからも自信を持って生きろ。」
ここでやっと、吉田は口を開いた。開きざるをえなかったのだ。訊かなければならない疑問があるのだから。
「学生監……なぜ言わなかったのですか。」
「お前らの今後を思ってのことだ。」
”若気の至りというやつは誰にでもある。もちろん人を連れ去って無理矢理要求を突きつけようとするのは犯罪だ。だが……お前らはすぐに謝っただろう。十分に改善の余地はあるし、君のために謝ってくれる仲間もいる。そこで、この件は不問とした”
「ならば、なぜあのあと俺を警察に差し出させるようなマネをなさったのですか。」
「それは上の事情という奴だ。お前らが仲間を引き連れて事務室に押しかけた一件があっただろう。反発分子というのは目に見えていたので、”それだけ” のことで決定された。」
”水野の事も、すでに重々承知していることだろう。だが聞いて驚くな。学生らへ処分方針を不服として、私が会議を紛糾させた張本人だぞ。長引かせるだけ長引かせて、校長の大目玉を喰らってしまった”
”新聞の寄稿だって、学生らは ”馬鹿にしている” と思ったらしいが、それはそれで本心のつもりだったのだがな”
実は、庄司は味方だったのか。
急に恥ずかしくなる。何も知らないままに、庄司の排斥を訴え出てしまった。体中が熱くなり、燃えたぎる様である。
だが今度は、庄司が恥ずかしがる番であった。とても言いにくそうに……吉田へ話すのだ。
「ただ……お願いだから、水物を……垂らしたことは秘密にしてくれるか。」
”水物”……小便のことか。怖かったことは、きっと本当なのだろう。
なぜだか庄司の人間味を知れたような気がして、吉田はどこかに親しさを感じ始める。そして飯に箸を付けた。口に入れる。牛肉も鍋の中からとりだして、空きっ腹へかきいれだした。
庄司は笑ってその様子を見つつ……本題に入ろうとする。
「それでだな、君は三高と四高、入るならどちらがいい。」
”……どのようなお話ですか、それはいったい”
「三高は京都、四高は金沢だ。どちらかに入れようと私は考えている。ただし2年は待て、ほとぼりがさめるまでだ。すでに青木君は三高、林君は四高という話で進めている。もちろん君がよければだが。」
こうして吉田は田名部へ一旦去った後、高校へ再び進学。放校処分となった三人はそれぞれが社会で活躍したという。
校長の秋田実はその任期を終えた後、この騒動の責任を問われ、長野の僻地へと追いやられた。
学生監の庄司万次郎は弘前高校に残り、”学生自治” というものを強く押し進めた。北溟寮に押し込められた理科の学生は最初こそ ”監獄状態” とあだ名される状態に落とされたが、彼の行動によって徐々に解かれていき、今につながる三つの学生寮の体制が確立されていくのである。
完
お読みくださり、ありがとうございます。
今作自体は終結しましたが、次に今作の根底となる資料をお見せしたいと思います。
当時の新聞記事をがががーんとごらん戴きましょう!
”水野による投槍事件”
”二度に渡る長勝寺ストライキ”
”放校(=退学)三名、停学百二十六名”
等々が真実だと言うこともわかることでしょう。