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1922/11/02(木)、盟休解決



 このたびの決起は、怒りからではない。哀しさが寄り集まって、大集団となったのだ。



 確かに10月9日より行われたストライキは、若者のわき上がるエネルギーがあらぬ方へと噴出し、社会正義の名の下で学校へ反旗を翻したものだった。運動会の投槍騒動から端を発し、吉田らが学校の事務室へと押しかけ説得を試みるも、結局は水野に停学1ヶ月という甘々の処分が下された。その一方で吉田を警察に捕らえさせようとする学校……水野は守られているのに。それほどまでに水野を助けなければならぬ理由があるのか。どんな訳があるにせよ、この四民平等の世の中だ。正しいことを正しいと言える世界にしていかなければならない。だからこそ立ち上がった。


 ところがどうだ。本日より始まったストライキというやつは。前回の様な激しさはなく、怒りとか憤りといったたぐいの感情は一切見受けられぬ。ただただ何も考えなしに来てしまった。自然と足が向いて、それが偶然にも ”お前もか” ”君もか” と口々に言い合う始末。理科の学生らは北溟寮へ入ることを拒否し、なぜかはわからないが長勝寺に集まってしまった。よくよく考えてみると……そこに吉田太郎という人間がいたからだった。



 学生らはリンゴ箱を何十個も集め、ガムテープでしっかりと留める。その上に白い布地を敷いて、急ごしらえの壇上を作った。そこへ吉田は登り……真夜中、学生らが境内にたむろするところへ大声で心の内を伝えるのだ。





 第一声はこう話したという。


 ”俺はすでに、弘高の学生ではない”



 ”もちろん先の同盟の決起に関わったわけではないのだから、それが放校にするべき正当な理由とはならない。だがこれまでの行動を見るに、重々それに値すると思っている”



 ”だからこそ、放校になったからこそ、できることがある。これ以上罪を重ねても、すでに学校に籍を置いていないのだから、自由に戦うことができる”



 ”さあ、いまだ籍を置く学生の方々。俺を好きに使ってくれ。そして責任を俺にすべて押しつけてくれ。俺は皆のために戦う。……願いがあるとすれば、この勇姿を目に焼き付けておいて欲しい”




 するとロングコートのポッケに無造作に入れられていた紙を取り出し、それを一気に見開いた。それは人づてに渡された ”放校通知書”。 吉田はニヤリと笑うなり、音をわざと出すようにしてその場に破り捨てた。粉々になった紙はひらひらと揺れて、壇上より真っ暗な地面に落ちる……。


 学生らは吉田の行動に歓喜した。長勝寺の境内は人ばかりで身動きはとれないし、後ろの方では吉田の姿がしっかりと見ることもできない者もいる。しかしその大きな声ははっきりと聞こえたし、想いは余すことなく伝わった。……今後のことなどわからぬ。暗闇の中、当てもなく歩もうとしていたが、救われるかも知れない一筋の光明がそこにある。ここは駆けてみるしかない。心を一つにして、訴えるしかないのだ。






 翌日10月27日金曜日……。北溟寮へ誰一人として理科の学生はやってこないし、さらには文京町へ授業を受けに来さえもしない。何が起こっているのだ……罰せられたにもかかわらず、再びストライキをやろうとしているのか……いや、すでに始まっているのだ。


 学校側があわてふためいている頃、学生の数人は市役所を訪れる。石郷岡いしごうおか市長に面会を求め、校長がこのたびの判断を取り消さない限りは、学校の方針に従うことはできないと伝えた。なぜ停学を126名にも与えなければならぬのか、端から見ても明らかに不自然な判断である。恣意的な基準があるのか、はたまたダブルスタンダードが執り行われているのか。とにかく、この決定は不服である。市長から学校側へ一言もの申して欲しい。


 石郷岡はこの事態にもちろん驚いたし、このストライキが長く続くのはあきらかに異常事態なのだから、市長としては何とかしなければならぬ。だが彼もまた ”裏の事情” を知っているので、軽率に口を出すわけにはいかなかった。何とも歯切れ悪く、だがひとまずは校長と話してみると約束はしてくれた。加えて学生の様子を心配した父兄らは、弘前目指して至るところからどんどん駆けつけてくる。こうして長勝寺にいる面々はなにも学生だけの集団とはいえなくなっていったし、やはり大人の知恵というものもある。 ”父兄も一緒に謝るし、謝罪文も書くから、全員の放校や停学を取り消して欲しい” という方針に次第に定まっていった。これが受け入れられない限りは、”無事” な生徒も登校をするつもりはない。さらには北溟寮などというものは論外である。




 だが事態は、悪化の一途をたどる。



 10月31日の記事にて、ありえぬ報道がされた。



 ”弘高盟休事件”

 ”二教授馘首さる”

 ”盟休煽動の噂が動機で”


 ”二十八日の午後四時過ぎ突如として文部省より庶務課新田教授並に教務課長高橋教授の兩氏に對し休職命令は電報に到着したるを以て……”



 もちろん校長である秋田の意向が働いたのだろう。二人をクビにすることにより、学生どもには屈しないぞとアピールをしたのだろう。だが見るべきポイントはそこではない。官立弘前高校からの通達ではなく、”文部省” からの下達であったこと……。とうとう国が動いた。国家が動いてしまった。大日本帝国が……いや、ちょっと待て。少し政治に詳しい者が気づきはしたが、まだそれとこれとで繋がりがあるかわからないので、むやみに語っては混乱を引き起こしかねない。



 するとしばらくして、長勝寺にある人物がお忍びで姿を現した。かつて背は長かっただろうが、腰が曲がりつつあるので歩く姿の見栄えは悪い。ちょび髭を少しだけ生やして格好をつけているような……それでもどこかしら他の人とはやはり違うような ”雰囲気” というものはある。彼こそ、弘前市長の石郷岡いしごうおか文吉ぶんきちであった。大げさに ”反乱軍の大将と会わせろ” という。


 誰も彼に恨みはない。会わないのを妨げる理由もない。……吉田は寺の応接間にて胡座あぐらをかき、石郷岡がプカプカとタバコを吸うのを見つめている。その日はよく晴れた日だったので、障子は開け放たれ、やはり寒い風は入ってくるが、石郷岡が風流というものを教えるというので火鉢を持ってこさせて、吉田と二人で体を温めあうのだ。



 まず石郷岡が口を開く。タバコのパイプを火鉢に傾けておいて、煙をむわっと口の前にだした。そして突如として吉田に尋ねるのだ。


「吉田君にとって、最愛の人とは誰か。」



 まったく関係ない話題……。吉田はとまどいつつも、何もない頭の中からふさわしい答えをひねり出そうとする。



「最愛の人……。”最愛” かどうかはわかりませんが、大切に思っているのは仲間です。」


「ならば、故郷にいる父兄はそれよりも上か、下か。」



「決して比べられるものではありません。ただし同じ学舎で過ごし、同じ寺で布団を並べた仲間です。心情ではこれほど近い者達はどこを探してもいません。」


「だがすでに、お前さんは放校になった。停学であれば時期が来れば解かれよう。しかし放校ならば斬首と同じ、もう戻ることはできない。もう同じ机で学ぶこともできない。ある意味で彼らに尽くすのは無駄なのだ。それでも続けるか。」



 吉田は思わずムッとしてしまう。その様をみて石郷岡は大いに笑いこけた。その声は周りで聞き耳を立てる学生どころか、遠くで待っている者らにも聞こえたことだろう。



「まあ、よいよい。そんなに怒りなさるな、吉田君よ。」




「……想いがつながっている以上、どれだけ(とき)が経っても抗い続けますよ。」




「ほう……それは困ったのう。」


 正直、石郷岡にしても吉田に睨まれるのはとてつもなく怖い。恐ろしい。それでも老練な彼であるから ”怯え” という感情が外へ出ることはない。


「しかしのう……あんたらは何か大きなものの存在こそ気がついていても、ちょっと調べればわかりそうなものなのに、何もしやしない。ご大層にも長勝寺を乗っ取っているのに、大人たちでさえなぜ気づかぬ。」


 吉田は……石郷岡が何を言おうとしているのか皆目見当がつかぬ。


「若い者、大人も、政治に無頓着だというのはこのことだ。このままでは悪い国になっていくだろうな。先が思いやられる。」



 大きくため息をする。そして急に声を大きく荒げて、吉田へ問いただしたのだ。


「では、今の文部省の大将は誰か。」



 知るはずがない。自分は政治家ではないのだから。興味を持ったこともない。そんな態度の吉田に対し、石郷岡はさらに激しく迫った。


「なぜこのように単純な繋がりを知らないのだ。若者は単純すぎて直情過ぎて、深く作戦を練ることもないし調べもしない。お前達の父兄も似たようなもので、知恵こそ出した気分になっているが、誰もまだわからないか。」



「市長。ならば何だというのです。」






 怒号が響く。


「水野だよ。水野錬太郎だ、馬鹿野郎。」




 ”詰まるところ……大臣の弟の子供だ。正直、知恵が遅れていると私は思っているよ。大臣本人は秋田区だが、弟さんは役人として熊本へ移ったらしくてね……住んでいるところが違うから、”水野” という名字が同じでも、偶然同じだけかとも思えたかもしれない。いや、最低限……これだけのことを起こしているのだから、知っていて欲しかった。ふざけてくれるな”



 加藤友三郎政権の文部大臣である水野……。彼はその権力を使い、最愛の家族を守るために、害する者を徹底的に排除しようとした。そのなれの果てが、これだ。別に庄司学生監が、秋田校長が学生を憎たらしく思ってやっているのではない。


 ここまで理解して、吉田は愕然とする。一切の力が抜けてしまい、勝てるはずのない相手と争っているのだなと悟ったのだ。













 「お前自身の謝罪文を書け。ただし名前は書くな、判子も押さなくてよい。」


 ”それを持って、学校にいる秋田校長の元へいけ。すぐにわびを入れろ。お前が決断をすれば、すべてが終わる”



 ”もし、俺が拒否したら……”




 「そのときは……私はここから帰らない。」


 ”新聞は一斉にこのように書くだろう。”市長が学生に拘束される” とな。そうなればお前達は全員捕まり、容赦なく監獄行きだ。頭のよいお前達なら……わかるだろう”





 そのくらいより、これまで晴れていた空は白い雲で包まれて、空気はさらに冷たくなったように思える。ふと開け放たれている縁側をみると……それは雪だった。


 いつもよりずいぶんと早い初雪が、弘前の街に降った。外で屯する学生らの肩に雪が積もる。やはりすぐに溶けてしまうが、もう冬なのだなと……季節の終わりを悟ったのだ。

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