1922/10/26(木)、再び長勝寺を占拠す
”すべては終わった”
その話は文乙二年の宇佐見が暮らす宿屋にも届けられた。夕暮れの織りなす光は、宿屋の2階へ何かしらの物哀しさをもたらしている。……宇佐見や仲のいい1年の日高は長勝寺の騒動に参加してはいないものの、あの吉田太郎を匿っているだけあって、心情としては理科の学生らと同じだった。彼らだけではない、文科の学生も学校の行いに不信感しかない。しかもこの騒動を終わりに至らせた卑怯なやり方……許せるものではない。
「それで……太郎さんはこれからどうするのですか。」
宇佐見は名前で彼に訊ねる。最初こそ名字で呼んでいたが、他の理科の学生が呼ぶように、親しみを込めて ”太郎” と口に出すようになっていた。日高は一年生なので、”太郎さん” 呼びである。
「このままここにいたら、お前らまで巻き込んでしまう。」
吉田は腕組みをして、こうは言ってみるものの、どうすればよいか考えあぐねているようだった。ここで日高は前々から疑問に思っていたことを投げかけてみようかなと思った。ここだけが未だ解せないのだ。
「太郎さん……そういえばなんですが、一つ訊いていいですか。」
日高はちらりと宇佐見を見て、また吉田の方へ顔を向けた。吉田は静かに頷いて見せる。
「太郎さんが警官に捕まりそうになったとき、理由が ”飲酒が風紀を乱す” ってことだったじゃないですか。もちろん太郎さんは二十歳を越えているし、そんな理由で捕まった学生はこれまで誰1人といません。」
その通りだ。実際は入り立ての学生が呑んでいたところで、未成年でも捕まりはしない。
「それなのに、わざわざそんな理由を使って……。おかしいですよ。だってもっとでっかい理由があるじゃないですか。庄司学生監を拉致したという重大事件が。」
”あっ” と隣できいていた宇佐見は慌てて日高の口を押さえようとした。その様子を見て吉田は…… ”まあまあ” と宇佐見をなだめ、適当に思いついたことで言葉を返してみる。
「そうだな……その理由をまだどこかで使うためにとっておいているのか。もしくは……」
”もしくは”
「庄司が学校に伝えていないとかだな。あいつのプライドは最高にあるから、俺に捕まったことが気にくわないんだろう。それでも俺を捕まえたいってなれば……苦し紛れにあのような理由になったんじゃないか。何かウケるわ。」
この3人はしばらくそのまま談笑し、結論を先延ばしにした。あたりが真っ暗になっても、ランプの芯が切れてしまっても。新しいものに付け替えようとはせず、あえて闇を楽しみたいようでもあった。そして夜は過ぎ、次の朝が来て、また容赦なく太陽は沈んでいく。ただひたすら話すことに明け暮れ、誰かしらが持ってきた食べ物を口に入れ、丁寧にしかれた布団に寝ころぶ。これほどまでに無為に過ごしたことはあろうか。
そのうち土日が過ぎ、もちろん学生である宇佐見と日高は登校しなければならない。おもわず土曜日の半ドンはさぼってしまったが、理科の学生ではないから目立たないし、きっと許されるだろう。だが問題は吉田である。外出をすれば警察に捕まるというリスクが依然と存在している。……ただし他の文科の学生の知らせによれば、文京町はまだ警官がいて張り詰めた空気だが、長勝寺や貞昌寺あたりはすでに静かなものだという。もしやすでに吉田を捜そうとはしていないのか……。
「このままここにいたって埒たたないだろう。文科の学生を理科の領分に巻きこむわけにはいかない。」
宇佐見と日高は顔を見合わせた。まさか吉田はここを出て、どこかへ行くつもりなのか。
「そうだ。ひとまず俺は長勝寺へ向かう。ほとんどの学生は登校したが、まだ粘っている奴が数人いるんだろ。」
確かにそうだとも聞く。だがそこに吉田が加われば……何が起きるかわからない。ありえぬ化学反応で、大爆発せやしないか……。そう考えた二人は慌てて吉田をなだめて、今日は学舎で様子を窺ってくるから、今日はひとまずここにいてはくれまいかと。しぶしぶ彼は納得したが、”これが最後だぞ” と言わんばかりだ。急に板の間に大文字になって ”捕まる前に体を休めておく” といい、そのままイビキをかいて眠り始めた。
そしていざ二人が文京町へ登校してみると……話が想定外の方向へ流れ始めていた。誰もが教師に隠れつつ噂話をしている。あくまで噂であるので信憑性に欠けるが、言われてみると納得もできる。
”まだ教師陣は処罰の対応を決めかねているらしい”
”いつまでに結論が出るのか”
”いやどうも来週か、再来週になるかもしれない”
話し合いばかりして、一向に決まらないのは想像がつく。しかし問題はその次だった。
”あの新しくできた宿舎あるだろ。4月にできたあれが”
”あるな、確かに。あれは少し遅れて完成したから、学生の代わりに教師とか職員が使っているやつ。……北溟寮とか言ったか”
”それだ。俺たち文科にはあまり関係ない話だが、ほら理科が騒動の中心だったろ。先公が別の場所に宿とって、代わりに奴らを押し込めるらしい”
日高はこれまで聞き耳を立てているだけだったが、慌ててその話に横からはいる。血相を変えた顔をしていたらしく、逆にその様子が相手には面白く映ったらしい。彼らは少しだけ笑ってしまい、真剣に問いただそうとしているのになんだと日高はいらだちもしたが、そこをギュッと押さえ込んで二人に尋ねるのだ。
「そうらしいよ。もともと今入っているメンバーは来年の3月に引き払うつもりであったらしいんだ。そのタイミングで新入生を入れる予定で。今は仕方なく寺請制度?8カ所の寺を宿舎として学生を受け入れさせているんだけど、どちみちこのままだと危険だとよ。」
「ここは目の届きやすいところに学生を押し込めて、有無を言わせぬ監視体制を敷くとかなんとか。でも俺ら文科にはあまり関係ないこと。そりゃあもちろん、理科の学生がかわいそうだよ。同情するさ」
……これを吉田に伝えていいものなのだろうか。この噂は宇佐見の知るところにもなり、二人して思い悩んだ。悩み、悩み、ひたすら苦悩しながら帰り道を歩む。歩みながら……おもわず二人して他人とぶつかりそうになりつつも、もう少し宿屋が遠くにあって欲しいと願いつつ、するともう目の前に宿屋があるのだ。……もう仕方ない。ここに入れば吉田がいる。いや、あえていてくれない方がいいのではないか。自分たちが思い悩まないで済むのだから。……と思い襖を開けたら、彼はいなかった。
望み通りになったから、よいというわけではない。いるはずの人物がそこにいない。急いで階段を駆け下りて宿屋の主人に訊いてみると、確かに昼ぐらいに出て行ったという。……それだけ時間が経っていては、近くを探しても見つかりようがない。もしや……長勝寺に行ってしまったのか。
”学生から自由が奪われる”
”昼は学舎、夜は監獄。そんなことが許されてなるものか”
その噂を聞いて、理科の学生は憤慨した。しかし前のように行動を起こす気にはなれない。教師の高橋と新田の件も末恐ろしい限りだし、また何か問題を起こしたら自分たちの家族に類が及ぶかも知れない。なにか巨大な権力、どうしようもない、得体の知れぬ物がうごめいている感じがする。恐怖はいまだある。ずっとどこか心の中で、底冷えした何かを思う。感じる。決してなれることはできない。
そんな中、長勝寺にはいまだ登校をしていない学生が10人程度いた。ただし彼らとは別に普通に文京町に通って、眠るために戻ってくる学生も暮らしているという奇妙な同居状態が続いている。もちろんここは学校指定の宿舎であるので、ここに学生がいたとしてもなんら不思議ではない。そして彼らの中に……吉田もいた。もう隠れる気などなく、普通に落ち葉をホウキを使って片付けるし、床掃除だってする。登校しない分、寺の手伝いを賢明にこなしていた。他の10名も暇なので、同じように吉田とつるむ生活を送っている。無為に日々は過ぎ、学生なのに学舎にいかない、これは本来あってはならぬ事なのだが誰もとがめることをしない。学校側でも ”そのような存在” を把握はしていたが、あえて指摘することもしない。
……掃いても掃いても、次の日には赤や黄色の葉っぱが境内に散乱した。そして ”確実” に季節だけは変わっていった。秋は冬へと一直線に移ろうとしている。寄り道などしない。明くる日には落ちるだけの葉っぱさえ、いつの間にかなくなっていくだろう。
学校側の議論は1週間を過ぎても膠着状態らしい。しかし ”確実” に動いていることはあった。北溟寮で暮らしている教師や職員らが別の宿屋へと移っている。荷車などを借りて、次々とその周辺へと散らばっていく……後に残るのはがら空きになった北溟寮。こうなると目的は明白……。
”自由が奪われる”
しかしそれに抗うための力はない。倦怠感しかない。
学舎での学問が終えると、すぐに寮へ帰れと教師は言うだろう。いや、”言う” ではない。これは ”命令” なのだ。どこかで飲み歩いて徒党を作ると、それはまた騒動のきっかけへとつながる。学生は大人たちの目の見えるところで暮らさねばならない。これは強制である。すべての私生活を、学校側で管理する。
”college” とは、何を意味するのだろうか。自由に好きな学問をするところではなかったか。目的をはき違えてはならぬ。自ら考えて自ら行動する……それを管理される生活を行っては実践をすることもできない。ただただペンを持って、終われば寮で食べて寝るだけ。この三つの繰り返しだけで ”若い力” が堪えることはできようか。本当の ”学問” も身につかない。
もちろん前のように何かを起こして、学校に訴えることも手段としてはあろう。だが一度失敗しているし、誰もの体が重すぎる。どうしてくれようかと、何かしてくれよと……誰もが吉田の方を見つめた。だが吉田はひたすら自重した。いまだ彼を含めた十数名はボイコットを続けてはいたものの、何かを激しく訴えるようなまねは控えていた。彼らにも一定の ”倦怠感” はあったし、派手にやり過ぎると故郷の父兄に迷惑をかける。いや……今しているボイコットだって、どのような結果を生むかなどわからない。
そして、大正11年(1922)10月26日木曜日。官立弘前高校は学生の処分を正式に発表した。弘前に籍を置く新聞社4紙へも掲載させるに至る。
”放校三、停學百二十六、他は戒飭”
”退學処分に虞せられたる生徒は”
”京都市上京區室町通”
”青木 義親”
”福島縣若松市千石町”
”吉田 太郎”
”札幌市番外地”
”林 賢治”
まさかの実名掲載だった。学校は世間に対して、つるし上げを行わせる気か。これは居場所をなくし、未来の道を閉ざす行為である。ご丁寧に住所まで書く始末。他生徒も名前こそ出されないものの、”停学” という水野と同じ処分……納得はできない。しかしまた事を起こすだけの気力もない。だから……なぜかは知らないが、吉田に頼りたくなった。真っ先に学校に異議を唱え、庄司を軟禁するという暴挙もしでかしたが、今となってはあいつに頼るしかない。なんとかしてくれよと、すがる気持ちで占められている。
自然と皆々の足は、長勝寺へと向かった。
実はこの知らせとは別に、学校側からの内示として
”理科学生は各々寺の宿舎から引き払い、明日までに荷物を持って北溟寮へ入るように”
と伝えられていた。結果としてほとんどの者がこの指示に逆らい、長勝寺へと集まった。哀願の目でみる学生ら……。ここまでくると、吉田は皆々の期待に応えざるを得ない。
吉田太郎は立ち上がった。仲間を見捨てることはできない。