1922/10/14(土)、盟休崩壊
長勝寺に立て籠もる学生らは勢いを増す。誰かが数えてみたら184名だったことを考えても、尋常ではない数の多さだ。このまま文京町の学舎まで押し寄せて、校長を屈服させようか……。何でもできるような自信が彼らにはあった。朝になると ”協力させてくれ” と小林剛という民権派の弁護士が協力を申し出てきた。あからさまに売名でやってきたのだろうなということは想像できるが、このような味方がいるのは至極頼もしいこと。さらには……
「すまなかった。お前たちの意見がもっともだと思う。私らも仲間に入れさせてもらいないだろうか。」
教務課長の高橋周而と庶務課長の新田芳が学生らに媚び始め、なんでも彼らの申すには、同じく教師をしている者にこちら側へつくように誘いをかけるという。そんな彼らに誰かが嫌味を投げた。
「お前らも運動会の時になんもしなかったろうに、いまさらなんの気変わりか。」
「そんなこといわないでくれよ。他の先生方が黙っているときに、自分らだけでは動けないだろ。」
大人の考えていることなど、ずるい。売名目的なのか、はたまた学校内での力学の問題なのか。あんたらの権力闘争をうちらの元へ持ち込むな。しかし……頼りにしていた前市長の伊東重からは仲介を断られるし、勢いこそあるものの終着点が見当たらない。もし学校側がずっとこれまで通り無視し続けたとしたら……損をするのは自分たちだ。いや、もちろんこちら側に有利な報道がされている以上は、避難の向きは学校へ向かうだろう。弘前市民も我らを支援してくれている。風はこちらに吹いているはずだ……。
ところが午後になって、意外な人物が長勝寺の山門の前に現れた。まさか……供こそ連れているが、黒く光る革靴を履き、スーツにシルクハット、必要もないのにステッキを持って歩いてくる人物。校長の秋田実だった。スーツの前側からはまん丸と太った腹が出張っている。背も低いのでまるでダルマのようだと陰で学生らは笑うのだ。そんな彼は本当に自分が今置かれている立場を理解しているのか……とにかくわざわざいらっしゃったのだ。話を聞いてみようか、学生らの余裕があるところも見せておいた方が今後の為だろうから。
しかしだまって聞いてみると、苛立ってきてしょうがない。わざと彼を室内に入れずに寺の境内に椅子をいくつか置いて、本日の学生の代表者との話し合いが始まる。いや、校長からしたら上から下への感覚だろうが。
ひとつ、咳ばらいをした。
「なぜわざわざこのように、ごたいそうにも反乱じみたことをする必要があるのか。」
少しだけ嘲笑うようにも見える。
「それはあなた方が正しきを行わないからでしょう。」
「ほう……私にとっては庄司君が不誠実だとは思わないし、水野君の処分も相応なものだと考えている。だからお前らが回答を求めてきても、答える必要もないなと思ってそのままにしておいた。」
”なんだと” と、それを聞いた数人の学生は言葉を荒げた。しかし殴るわけにはいかないし、そんなことをしたら、ここ長勝寺に警察が押し入る理由を与えてしまう。
「どうせお前らは真似をしたくなっただけだろう。少し前は青森師範でストライキはあったし、三本木農学校でも授業のボイコットがあった。流れに乗って弘高でもか。やって満足か。」
確かに全体的な風潮として、そのような活動が激しくなっている世情はあった。ただし彼らと自分らを比べてほしくはない。青森師範の件はとても馬鹿らしく、なんでも軍艦が遠くから青森湾に入ってくるらしいから、他地域で猛威をふるっている病原菌が船にくっついてくると本気でやつらは考えて、宿舎から逃げたという。あくまで新聞がそのように書いているだけなので本当かどうかはわからないが、もしそれが事実なら、まさしく馬鹿である。もちろん流行り病は東京で猛威を振るっていたが、船がひとつ来るだけで青森の人がすべて死ぬわけではない。三本木農学校の件は馬鹿というよりかはそれを通り越して、今一ピンとこない。開校25周年でねぶたを作っていたけど、どうも期限まで作り終わることができない。なんとか祝賀会に間に合わせたいから、途中にある学力試験を先に延期してくれと。嫌だと先公に断られるなり、それボイコットだストライキだ。子供かお前らは。
新聞には確かにこう書かれている。どこまで本当かはもちろんわからないし、権力者がそのように書かせているのかもしれない。その点、自分たちは違う。最初から新聞社を軒並み味方に付けて、逆に学校を攻撃させている。有利なのは明らかにこちらなのだ。
「校長……あなたがそんなことをおっしゃるのであれば、私たちはストライキを続けるしかありません。」
校長の顔は……一気に真顔になった。簡単に学生らを屈せることはできない、彼らの意志は固い。そうでもなければここまでの事態には発展しないのだから、最初から分かっていたはず。
「私が来たのが最後のチャンスだと思っていただきたい。」
「チャンスとは、なんでしょうか。」
「君たちだけでは世の中がどうにもならぬことを、身をもって知ることだな。」
”それは脅迫ですか”
”どう思おうがよいが、一応は脅迫ではないと言葉の上で話しておこう”
一時間ほどそこにいたのだろう。午後2時をまわり、校長は供を連れて長勝寺より立ち去った。そのまま顛末を報告するために弘前駅から急行の汽車に乗り込み、東京へと向かうのであった。依然と学生らはストライキをやめる気は一切なく、このまま要求が受け入れられないのであれば、年を越してまでもやってやろうと意気込んだ。しかし……日が沈まぬうちに大変な騒動が勃発した。
味方に付いていたはずの教授の2人。彼らの家族が警察に拘束されたと知らせが届いたのだ。警察自ら2人に面会したいと長勝寺を訪ねてきて、”こちらに会う理由はない” と応えるなり、相手からこのように伝えてきた。いずれ学生の家族も取り調べることになるだろうという余計な言葉も添えて。
こうなると……このままでよろしいはずがない。震え上がる者、思わず泣きだす者、これまであったはずのかたい結束というものはどこへ行ったのか。長勝寺が騒然とする中……今度は学校より新たに四人の教授もやってきて、”お願いだから、籠るのはやめてくれ。また前のように仲良く授業を受けてくれ” と懇願してくる。それでもじょっぱり精神のもと、何が何でも続けてやるぞという学生もやはりいた。議論は二派に分かれて、火花を激しく散らす。だが結局は……もう団結などできようはずがない。無酔同盟はあっけなく終わった。最後には学校の者がやつれた姿のアイツを連れてきて……アイツとは、北川のことだ。水野の投げた槍が太ももに刺さり、生死の境をさまよった彼だ。彼の姿を見て ”北川君” と声をかける者もいれば、親しく ”竜哉” と呼びかける者もいた。しかし……北川はそれらの声をすべて無視して、杖を突きながら体を大きく揺らし、果てなく広がる空を仰ぎ見る。そして彼は……心とは正反対の言葉を叫んだ。
「俺は水野を許す。だからこれ以上こんなことをするな。」
北川さえ……こうさせてしまっている。もう無理だ。同盟休校は瓦解。こうして多くの者が長勝寺を離れて、翌日土曜の半ドン(=午前中のみの授業)には文京町の学舎へ登校をし始めた。心の中にはなにかうやむやな、決して晴れぬことのできないしこりが残る。なぜ水野はあのような厚遇をうけるのか。逆らった者には容赦ないのか。教師の顔を見るなり……小刻みに目の前が揺れる。決して抗うことのできない権力を目のあたりにして、めまいが起きる。さらには追い打ちをかけるように、その日の新聞各紙からあらぬデマが流され始めた。
”會計検査”
”弘高寄宿舎の會計は金銭を誤魔化し居るや否や疑問なるが如し”
つまり学校側から渡されていた生活費をくすねているやつがいると。
さらに翌日の新聞には、あのアイツが寄稿してきた。
”庄司教授”
”曰く學生時代と云うものは極単純なもので其慮に何等悪意なく……”
ものすごく馬鹿にしていることだけはわかった。