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1922/10/12(木)、長勝寺を占拠す

 理科を中心とする学生100名余りで結成された ”無酔むすい同盟” は、翌10月9日月曜日より新寺町の貞昌寺ていしょうじにて集い、文京町の学舎まなびやへの登校を拒否した。うち数人は声明を伝えるために校舎門前に立ち、警官や教師らへと要求を一方的に伝えたのだ。これが達せられない限り、我等は登校しないと。



 一、文乙二年ノ水野みずの直澄なおすみ君ヲ放校トスル


 一、責任者タル学生監ノ庄司しょうじ万次郎まんじろう氏ヲ退職サセル


 一、理乙二年ノ吉田よしだ太郎たろう君ヘノ至ラヌヲ詫ビルコト



 当初学校側は何かの冗談だと高をくくって、そのまま放置してしまった。すると学生はそのまま地元有力紙へ立ち寄り、東奥日報・弘前毎日新聞社・陸奥日報・北原社の4紙面において我等の主張の掲載を確約させる。もちろんこれは大騒動だと新聞社の方でも乗り気で、多くの記者が貞昌寺へメモをとりに行かせて、一斉報道に備えたのだ。


 そして10月11日水曜日、予定通り各紙朝刊で学生の決起が大々的に紙面を飾った。学校側はすっかり青ざめてしまい、人を貞昌寺にやらせて学生を怒鳴りつけもしたが、甲斐もなく追い払われるしかなかった。この騒動の主導者を吉田だと考えた学校側は必死になって彼を捜したが、いっこうに見つからず。もちろん吉田は未だ文科学生の宿舎に隠れていたので、見つかるはずはない。しかもこの騒動は吉田が指示や助言をしたわけではなく、あくまで周りの仲間の ”自発的” ”自然発生的” な動きからなる。しかも ”無酔同盟” には強い力で先頭に立つようなリーダーはいない。仮の代表者というものは存在したが、1日毎に5人が順番制でこなすことにより、何が起きても誰かが責任をとるような事態を回避できるように仕組んでいる。


 弘前市民ならびに近郊の町民らも比較的学生に協力的で、自ら進んで食べ物や衣類を貞昌寺へ届ける者が続出。荷車に崩れ落ちんばかりの大根や白菜が積まれ、饅頭屋は饅頭を、蕎麦屋は大きな鍋ごと持参して学生らに湯を煮えたぎらせて熱々のところを喰わせるのだ。新聞各紙でも学生に有利になるような報道は続けられていたし、さながら町はお祭りモードへと突入していく。各地にいる学生の父兄らは銭を弘前へ向けて送金し、新調されたロングコートや革靴やらと段ボールで届けられる。あいてしまった空隙には食べ物が細々と敷き詰められて、たまに手紙などが入っていたりすると涙して感激する。


 当世は大正デモクラシーの最中。正しいものは正しいと発言するのが勇ましい時代である。水野が正しく処罰されるのは当然であるし、分はもちろん学生らにある……。続けて日が開けると全国紙にもこの件は報道されはじめ、異様な盛り上がりを見せていくのだ。


 学校側はこのような事態にもかかわらず、津軽特有のじょっぱり精神を見せて ”学生どもが登校しないならそれでいい。こちらもそのまま放置しておく” と考えていたのだろうか、新たに水野の処分を変えることはせず、だんまりを決め込んだ。



 一方で貞昌寺に集まった学生ら、盛り上がることはいいことだが、限りなく寺の敷地が手狭になってしまった。各々体を大文字にして眠ることなどとんでもない。寒くても布団など敷けぬほど人でひしめく。仕方なく夜はあぐらをかいて、隣の者に間違って当たらぬようにして目をつむるのだ。……男の汗で寺は限りなくにおい、風呂にしばらく入っていないのだから当然だのだが、これはストライキを続ける上で解決しなければならぬ問題だった。しかも街中なので気軽に多くの記者が寺に出入りしているし、学校関係者が紛れ込んでいて情報が筒抜けにされてもかなわない。



 その窮状を見かねた他の学生はある提案をした。貞昌寺を後にして、長勝寺ちょうしょうじに移らないかと。長勝寺ならば禅林街ぜんりんがいの奥まったところ。もともとそこは理甲の宿舎であるので、移ることに何ら問題は発生しない。その広い境内ならば大勢の学生が入ることができ、不便もしないことだろう。小高いところから周りの動きというものも警戒できようし、林の脇で複数のドラム缶を持ち込んで薪を焚けば、即席の五右衛門風呂になる。もしストライキが長期化しても堪えられるだけの体制ができる……。






 10月11日深夜。学生らは列を成し、貞昌寺の前門よりでる。ぞろぞろを寺より出でる学生の、ロングコートの黒色は夜の街にさえる。オオドリの校章の入った白線帽子を全員が身につけ、大きな意志の元で動いているんだぞとということを示しているかのようにもみえた。荷車に付けられた食料や衣料はたんまりと大きく、果てなく重い。民衆が見守る中、寺沢橋を静かに渡る。所々に見張りの警官こそいるが、民衆が彼らを決して手出しさせようとはしない。……そのまま茂森町へ、豪商成田貞治郎宅を左に曲がれば、静けさしかない禅林街。600メートル先に高く門を構えるは長勝寺。落ち着いて、それもしっかりとした足踏みで一直線に歩む。どちらへ向こうが禅宗の寺しかなく、かつて津軽の領内からむりやり集められたとらしいが、今やすべての寺が一つの信仰の拠点として完成された作品となっている。累代の魂よ、我等学生を応援してくれと心の中で願うのだ。



 ……一方で彼らとは別に、早期解決のために選ばれた7名が別行動をしている。出発するとき誰もが面白おかしく ”七人の侍” と冗談を投げかけ、その7人も笑うしかない。ただ相当余裕ぶってみえるのだが、実は相当重要な役目なのだ。日が変わり、長勝寺にほとんどの学生が到着した頃……元長町(もとながまち)にある伊東病院に7人の学生が押しかけていた。まあよくも来たなと、いきり立つのは院長の伊東いとうしげる。実は彼は医者である一方で、前弘前市長でもある。いまだ彼は弘前の政界に力を有しており、学生らは彼に接触することにより現実的なやり方でストライキの早期終結を画策しようと、あらかじめアポイントを取っていた。


 伊東の方も勉学のために深夜まで起きているので、別にたたき起こされていきり立っているわけではない。実は彼の息子は伊東いとう五一郎ごいちろうといい、あの水野と芸者の取り合いをした相手として有名なのだ。そこで前市長ならば水野を放校するために協力してくれるのではないかと、言い方を変えれば ”息子の宿敵” を追い払うチャンスだと、だからこそ学生らは彼ならば乗ってくるだろうと余裕ぶって伊東と面会したのだ。



 ところが当の伊東は不機嫌だ。なぜだろうと思いながらも、その七人の侍は ”協力してくれ” と頼み込む。その瞬間、伊東は罵声を学生どもに浴びせさせた。


「わしはお前らの遊びにつきあっている暇はないのだ。そんなことを言うためにここへ来たのか。」


 すっかり学生らは慌ててしまった。しかし何かしら言い返さなければならない。


「私たちは、社会正義のために行動をしております。水野に適切な処罰を下し、正しい判断を下さない庄司のクビを取る。それのどこが遊びなのですか。」



「結局、遊びだろうが。元はといえばお前らの喧嘩で起きたこと。何が何だ、運動会で騒ぎをおこしやがって、水野が槍を投げなくても、誰かしら怪我をするさ。それを水野が悪い、学校が悪いなどといいやがって……お前ら自身だって悪いんだぞ。何を言ってるんだ。帰れ帰れ。」



 憮然ぶぜんとした学生ども。しかしこのまま帰るわけにも行かない。


「ならばなぜ私どもとお会いになられたのですか。本音で話しましょうよ、院長。」



 ”ふん”




 伊東は横を向き、学生らと顔を合わせようとしない。学生らはというと、心臓の鼓動は激しく、汗も止めどなく流れる。想定外の事態にどうするべきか名案もいっこうに思い浮かばない。


 黙ることしかできなくなった学生らを見かねて、再びため息をついた伊東は仕方なく、落ち着いて子供にさとすように話し始める。



「息子の五一郎の件だってな……恥ずかしい限りだ。芸者の取り合いだと?しゃらくせえ。弘前の街中にその汚名が広がってしまった。水野も悪いし、五一郎も悪いんだ。喧嘩というものは両成敗が常なんだ。わかるか。」



 誰も頷かない。ただひたすら体を膠着させているだけ。



「悪いことは言わないから、いますぐストライキをやめろ。その言葉を伝えるためにお前らと会ったんだ。わかったな。」


 その言葉を最後に、伊東は席を立った。そして扉を開き、真っ暗な奥の書斎へと入っていく。そして自然と……どこからも風が吹いたわけでもないのに、扉はガタンと音を立てながら閉まった。学生らは……こうなってはトボトボと引き返すしかない。ああ、引き返すのではない。長勝寺へ合流しなければ。





 カラスが一声鳴いた。


 帰る姿を2階の小窓より見つめる男……。伊東は結果的に彼らを追い返したようなものだ。ふと気づくと、老いた妻が心配そうに自分に寄り添っている。


 ”すまないな”



 ”いえ……仕方ないことです”





 あいつらの運命が思いやられる。ただし本音では……自分らにはない若い力で、何もかも打破して欲しいとも思う。だがあいつらはまだ知らない。暗闇の、さらに奥でうごめく何かを……。私ほどの力を持ってしても勝てなかったのだから。

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