1922/10/01(日)、血の運動会
大正11年(1922)10月1日。官立弘前高校(=現在の弘前大学前身)の運動会での出来事である。
その日は秋の大運動会が執り行われた。学校自体が前年にできたばかりであるので、出場するのは1年生(17歳~)と2年生(16歳~)のみ。加えて”運動会”自体が珍しい当時である。天気は快晴。多くの津軽衆が押し掛けて、学生らの雄姿を見守っていた……。
種目はというと何分昔のことなので資料としては少ないが、当時多く行われていたこととして”徒競走(=マラソン?)”や”幅跳び”といった今日に通じるものもあれば、”卵取り”や”豚追い競争”などよくわからない競技まであったという。想像してほしい。立派な青年たちが必死こいて豚を追う姿を……それも高学歴の男子達だ。いくら四民平等になったとはいえ、上位の数%しか高校へ進学できない時代……。しかも行けるのは士族ぐらいだろう。そんな彼らが豚を追うようなバカ騒ぎをしている。いや、させられている。それを観客たちが観て楽しむ風景。さぞ日々のうっぷん晴らしにもなっただろう。ちょっとしたお祭りのような感じで、”あいつら面白いことをやってるぞ”と周りで酒を呑みながら叫びかけるのだ。学生は学生で実はすでに成人してから入っている者も多くいたので、観客たちに紛れて競技の最中なのに呑んでしまう者もいたらしい。結構真面目でない奴らが学生のウェートを占めていたとも言う。そして ”ちゃんとしている” 学生らも、周りが囃し立てれば自然と体が乗ってきてしまい、いつしかノリノリになって競技を楽しむのだ。
和気あいあいとした中、今になっては定番のお昼休憩をはさみ、さて午後一番で5千メートル走で勝ち進んだ猛者らが対決する。当時の区分として文甲・文乙・理甲・理乙の4種類があり、4名の選ばれし若人は位置に付いた。……真剣に様々な競技をこなすうちに、文乙と理乙の点数が拮抗。決して取りこぼしができない状態。見守る学生たちはもちろん、観客達もそれを知っているので ”文乙勝て!” ”理乙負けるな” と囃したてるのである。しかも10月だというのに、その日は暑かった……。汗が頬を垂れ、これは暑いからなのか緊張の為か、心臓は激しくうつし視界がぼやけもする。隣り合わせに腰を低くして立ち並んでいるが、顔は遠い先を見ているものの、チラリと目の玉だけは動く範囲で隣の様子を窺おうとする。当然相手の顔色を見ることはできないが、4人全員が ”想像” で ”同じようなものだろう” と勝手に解釈し、安心感を無理やり作る。そして邪念を吹き飛ばして、ひたすら勝つことだけを考えるのだ。早く前へ進む。右足と左足を交互に……考えたらきりがない。ならばどうするのか、無の境地にでも浸ろうか。学だけは相当あるので頭は回る。その能力を無駄に使う30秒ほどの時間。
審判員は右腕を天に上げた。手に持つ拳銃は本物である。その爆音が……騒ぐ観客をも容赦なく黙らせた。
土煙は4人の走り去った後ろにたち、しばらくその辺りを漂った。ただしそんなものを見ている者は誰もいない。一瞬だけ静かになったもののかけ声は高々と、学生と観客らの視線は全て4人の姿を追った。荒々しく先へ先へと急ぎ、これでもかというくらいに直線を突っ走る。もうこうなると4人誰もがいらぬことを考えてはいられない。それこそ無意識に勝つことだけを念じているだけだ。いくら周りがけたたましく騒ぎだそうとも、耳に入るはずがない。いつしか白いロープが目の前に4名ともいた。いや、文乙と理乙が抜き出ている。しかしこのままでは、どちらが勝つかわからない。だがわからないうちにその輝いている膝が境目を飛び越えた。2人とも急に止まることは無く、少し先のところで止まって……思わず顔を見合わせた。当人にとっても勝敗がわからない。
見守る学生も観客達も、一向に知れぬ。
だが審判員は、すぐさま赤の小旗を上げた。ためて考えることもなく。
赤の小旗、すなわち ”文乙” の勝利…………。
それこそ誰が見ても”甲乙”つけ難いところ。二人が先頭に抜きんでていたことはわかるが、足の差一つにとってもよくわからないのだ。近くで待機していた学生も首をかしげてしまう。だがそんな中、勝者となった文乙の学生はそれも堂々と、メダルを貰う段へと駆けて行ったのだ。呆然となる理乙の学生。すると文乙の学生が振り向いた。
それも大変憎たらしい顔で、さも舌を出して馬鹿にしてきそうな雰囲気である。審議の時間さえ与えず、もうメダルを貰ってしまえばこちらのものだぞと言わんばかりである。理乙の学生は頭に血が上りこそすれ、全力を出し切った後だったのでその場でへたり込んでしまった。……当然他の学生もこれを見ているわけで、やはり勢いのある若者である。いきり立って一人が審判の元へ向かえば、後ろより一人また一人と抗議する輩で押し寄せる。”おかしいじゃないか” ”ふざけんな” と言葉に装飾などつけずに直球で問いかける。いつしか審判員は理乙の学生十人ほどに囲まれてしまい、どうすればいいかもわからない。すると他の学生は ”こいつを罵っても埒あかない” とばかりに、今度は勝者となった文乙の学生へズガズガと向かっていった。ここにきて事態に気づいた教師ら数人は急ぎ学生を押さえにかかるが、もう鎮まるはずがない。
”このままでは仲間がやられてしまう……”
文乙の学生らは勝者の学生を守ろうと、囲む理乙の学生へと押し寄せた。いがみ合いなど通り越して、どけろ腕を放せのすったもんだを繰り返し、そのうちどちらの学生かはわからないが、相手の顔に拳で殴り掛かった。すると相手も殴り掛かり始め、それこそ喧嘩のスタートである。事態はさらにエスカレートし、文乙理乙それぞれのほとんどが立ち上がり、普段弱気な者でも場の空気に巻き込まれていく。さらには文甲理甲の学生らも、それぞれの文科理科の仲間を援けようと突進しだした。観客たちもお祭りとばかりにに囃し立てるので、教師らはどう抑え込むかなすすべを知らない。20人足らずで300人規模の力をどうもできやしない。
本来、頭がいい=つまり理性的である人間の集まりのはずだ。全国各地から集まった優秀な人材なのだ。いや……だったはずだ。それがいつしか野蛮な暴動を引き起こしている。もちろん若い者には血気盛んな奴もいよう。ならば弘前城に詰めている第八師団を呼ぶか……それよりもまずは警察だろう。互いに迷っているうちに、教師らにあらぬ光景が飛び込んできた。
一人が叫んだ。
「あいつ……水野だろ。」
水野直澄という文乙の学生。素行の悪さで有名だが、誰も注意をできやしない。徳川家臣の血筋らしく、父親は相当力を持っていた。しかも出処はわからないが……裏金で入学したという噂もある。
そんな彼が……競技用として置いてあった投槍を手に取った。
もう想像がつく。教師らは慌てて ”やめろ” と叫んだが、そのようなことでやめる彼ではない。つい最近も前の弘前市長の息子に喧嘩を吹っ掛けて、芸者の取り合いをかましたほどである。権力もそんなに怖くない。……彼は一瞬だけ教師らのいるほうを振り向いて、わざとにやついて見せた。不気味な笑みというか……さあ、事を起こしてやるぞと宣言したようなもの。
そしてその腕っぷしで、喧嘩の激しい方へ投槍を放り投げた。
その槍は見事に、学生の太ももに突き刺さった。しかも彼は理乙の学生。言葉にならぬ悲鳴は、どこの誰よりも高く激しく響き、周りで争っていた学生らをのけ反らせた。しかも次に目に入ったのは、とめどなく溢れる血。ひたひたと流れるのではない。泉が湧き出るかのようである。……彼は痛みに耐えきれず、その場に倒れこんでしまった。手には赤い色の跡、地面にも歪な様を残す。
こうなると、もう喧嘩どころではない。文乙理乙そして他の学生も彼を援けんがために、ある者は彼を担いで室内へ、ある者は先に駆けて医者の手配を頼む。包帯を持ってくる者もいれば、観客達に帰るよう促しもする。学生たちがそれぞれになすべきことを率先して行い、ここは恨みを忘れて一丸となって団結した。
だが嵐が過ぎ去ってみると……もう喧嘩こそしないが、不満の矛先は何もせずに呆然と立っていた教師どもへと向かう。水野のやつはもちろん許せないが、止めなかった奴らもなかなか……。理乙の学生らはいきり立ち、なるべく落ち着きながら……心穏やかに詰め寄った。特に吉田太郎というリーダー格の学生は、曲がったことが大嫌いだ。そのいかつい顔を教師らに向けて、低いどすの利いた声で伝えたという。
「当然、考えてるよな。」
教師らの多くが目を閉じて……1人は口を少しだけ開いたかに見えたが、再び閉じてしまう。顔をうつむきながら、吉田のいない方へと去っていくことしかできなかった。