追放の代償
今回は区切りの都合で今までより長いです。
具体的にはほぼ二倍になります。
時間は早朝まで遡る。
リーダーの判断によりそのまま戦うにせよ偵察するに止めるにせよ、まずは大沼まで様子を見に行くことにした《ラピッドステップ》は、夜が明ける前に村長に一声かけてから村を出て大沼を目指した。 夜に眠りにつく魔物は多いため、道中は無駄な戦闘もなく順調に進むことができた。
順調に進めたのは、ここまでだった。
日の出と共に大沼のある平原に辿り着いた四人は、警戒を怠らず慎重に大沼に歩み寄る。そこにランク上は格下である相手への油断や慢心は欠片も存在しない。正しく一流の仕事をこなすプロの姿だけがある。
だからこそこの面々の中では少し遅れた新入りの治癒術師でさえ、沼の水面が揺れたことに気付くまでに時間はかからない。リーダーの指示により撤退も視野に入れて大沼から多めに距離を取りながらも、襲撃に備えて陣形は決して崩さない。
そしてついに水面は大きく盛り上がり、ヒュドラがその姿を――
「撤退だ! 殿は俺が務める! 早く下がれ!」
――現すより一瞬早く、ヒュドラを見据えたままリーダーが指示を出す。
急すぎる展開に、治癒術師だけが僅かに取り残される。それが悪夢の始まりとなることを、この時はまだ誰も知らない。
最初の悪夢は、ヒュドラが出現と同時に後衛の治癒術師を襲ったこと。
これが人間同士の争いであれば、それほど不思議なことではない。治癒術師を真っ先に狙うのは当然の戦略と言える。ただしそれはあくまで人間同士の争いであればの話だ。
囮役や盾役の仕事は敵の攻撃を引き付けること。《ラピッドステップ》では敵の注意を引き付けるための魔法を付与したローブを纏うリーダーが機動力を活かして囮役を引き受けている。ましてヒュドラは今しがた自身が巻き上げた水飛沫で視界も悪く、ピット器官もうまく働いていないはずであり、迷いなく正確に治癒術師を狙えるわけがないはずなのである。
しかし現実にヒュドラは治癒術師を狙い、九つある首の過半数である六つを割いてまで逃さず喰い殺さんと言わんばかりに――
「捕らえよ! Purgatorial Cage!」
――伸ばされた六つの首は、いずれも煉獄の炎で形作られた檻に捕らわれて、治癒術師にはあと一歩が遠く届かない。もし撤退を視野に入れて多めに距離を取っていなければ、即死も充分にあり得た。
そして次の悪夢は、既に始まっている。
「……あはっ、冗談キツいなぁ……」
サムエルの固有能力は術師としては当たりの【魔力貯蔵】で、詳細は省くがその効果により最大魔力量と同量の魔力を蓄えておくことができる。天才魔術師としての実力と合わせれば、現時点でもソロでAランクを狙えるほどに強い。
撤退の指示が出ているため破壊力よりも拘束や妨害による時間稼ぎに重点を置いた魔法を選んだが、それでも最強クラスの魔術師が貯蔵分を使い切り、最大魔力量と同量の魔力をつぎ込んだ上級魔法である。互角か多少格上な程度のヒュドラでは最短でも三分は抜け出せず、残る三つの首から逃げ切ればいい。
そのはずなのに、目を疑う方法をもって既に檻から首が一つ抜け出している。
魔物の身体は他の生物とは違い、死んだり魔石と呼ばれる核がある本体から切り離されたりすると、黒い塵となり消えてしまう。ヒュドラをはじめ再生能力のある魔物もいるが、その場合は本体から新しい肉体が再生される。
しかし目の前のヒュドラは、炎に焼かれ灰と化した部位の成れの果てであるはずの黒い塵が欠損部に集まり、身体を再構築している。ヒュドラに限らず、他のどの魔物においてもこの再生方法に前例はない。そもそも傷口を焼いたり凍らせたりして塞げば再生を防げることは確認されている。
にも関わらず煉獄の炎で焼き払われた部位を再生させる怪物など、神話の英雄とて勝てるものではない。
「止まるな退けえっ!」
リーダーの喝により唖然としていた魔術師と圧倒的な死を前に硬直していた治癒術師が動き出す。だがこの絶対的悪夢を前に、隙など一瞬たりとも見せてはならないものである。
後衛二人に対して二つずつ襲い来る首。徹底した後衛狙いは機械的すぎて、もはやヒュドラに生命を感じない。それがランクの枠など超えた言葉にならない恐ろしさを感じさせる要因となる。
魔術師サムエルの方には戦士アナがフォローに走る。
「消し飛べ! Explosion!」
それを視界に捉えたサムエルは迫りくる首の一つにだけ集中して上級魔法で爆破する。もう一つはアナがどうにかすることを知っているから。
「食らえやあぁっ!!」
そしてアナもサムエルの様子から自分が狙うべき獲物を察し、固有能力【瞬撃】による重量級の武器ではありえない、達人の居合切りにも匹敵する高速の連撃により首を切り裂く。さらに切り落とした頭をあえて刃筋を立てずに戦斧で横から叩き、サムエルはもちろん他の仲間の方へも飛ばないように軌道をそらす。
シンプル故に使いやすそうに思われるかもしれないが、固有能力【瞬撃】の効果はただ超高速化で武器を振るうだけであり、武器に振り回されずに刃筋を立てた連撃を繰り出すには鍛え上げられた身体と技術が必要不可欠である。
いつも通りの充分すぎる連携に、二人の気も僅かに緩む。緩んでしまう。
悪夢はまだ終わらない。気の緩んだサムエルに、切り落とされ弾かれまでした頭が軌道を変えて襲いかかる。地球はもちろん、この異世界の物理法則さえ無視した不可能な挙動は、気を張っていたとしても不意を突かれないわけがない。まして気の緩んだ一瞬の隙を突かれては無事では済まない。
「エリー!」
アナがサムエルを庇って前に立ち、少しでもダメージを減らそうと戦斧を盾代わりに構える。食らってもその先がないことを理解しているのか、ヒュドラの頭は口を閉じて突進してくる。
そして二人の身体が宙を舞う。庇われたサムエルは軽傷だが、庇ったアナは盾代わりにした戦斧も、急所には着けていた防具も破壊され、片腕も折れたのか力を入れられない。
治癒術師の方はさらに酷い。リーダーの技が効いて首の動きが鈍り、片方の首を避けることには成功した。だがもう片方の回避は間に合わず、張っておいた魔法障壁も易々破壊されて吹き飛ばされてしまう。
動きが鈍っていたことで命に別状はないが、地面で何度もバウンドし転がったせいで全身を打ち据えられたに等しく、まともに動けはしない。
「転がれフロウ!」
そう叫びながらも動けないだろうことは察しているのか、リーダーはヘッドスライディングのように超低空を跳んで、右腕一本で治癒術師を突き飛ばす。
直後、毒液がリーダーの右腕を折った。
半ば固形化した毒塊ではなく、ただヒュドラが吐いた毒液が直撃したその衝撃だけで、人の腕の骨をへし折ってみせた。
「癒しの力よ! Detoxify Activation!」
指一本まともに動かせはしない身で、それでも治癒術師フロウは己の役目を果たしてみせる。固有能力【無極増強】の効果により枯渇して意識を失う半歩手前まで魔力を上乗せして強化した魔法が、あと数秒遅ければリーダーを殺していた毒液の猛威を瀬戸際で食い止める。
それを確認して安堵したのか、再び地面を転がった衝撃か、ついにフロウが意識を手放してしまう。だがそのフロウの身体は、燃費の悪さから普段はまず使わないサムエルの引力魔法により撤退を続ける二人の下へ運ばれていく。
「エリー! そっちは任せたぞ!」
「そっちこそ! そのデカブツはよろしく!」
戦えない二人を守りながら、何が起こるか分からない村までの道程を消耗して奥の手も使用済みな魔術師一人で戦い抜かなければならない。ヒュドラの相手をすることに比べてしまえば簡単に思えるが、常識的に考えればあまりにも厳しく難しい状況である。
それでも失敗は許されないと、自らを戒め奮い立たせる。背中を預けるリーダーに、余計な不安や心配を背負わせるわけにもいかない。引き寄せたフロウはアナに無事な方の腕で担いでもらい、サムエルは魔術師でありながら精一杯の索敵をしつつ先頭を務める。
そんな撤退する三人を見逃すわけもなく、ヒュドラは無慈悲に襲いかかる。
「させると思うか?」
瞬間、突風が吹き荒れる。
先の煉獄の炎の檻より抜け出した首の数も増えて、七つの首が同時に仕掛けた。リーダーは決して弱くないが、厄介なのは機動力とトリッキーさであり、七つもの首に同時に対処する手段などない。ヒュドラに背を見せた三人は逃げ切れるはずがない。
そうなるはずなのに、七つ全ての首が胴体とでも呼ぶべき首の付け根の部分より後ろまで弾かれる。いや、跳ね飛ばされる。破壊しても再生力による力技で押し切れる首に対しては最善策とも言える妙技。
「お前が敵に回したのは俺達だぞ?」
不遜なまでに強気な態度でヒュドラを見据えるリーダーの虹彩が黒から赤に、赤から環虹状に変色していく。この異常は全力で魔法と固有能力を行使している際の副作用によるもので、リーダーが死力を尽くしている証である。
「来いよ御先神。【跳越者】を相手に勝てるつもりならな」
悪夢の如き猛威を振るい続けるヒュドラが、己と比較するのも馬鹿らしいような弱く小さな存在であるはずのそれに対して、初めて恐怖を抱いたかのように小さくその身を震わせた。
「はぁ、面倒な……」
思わず頭でも掻きたくなるような気分だろうが、残念ながら負傷が増えて両腕を折られたリーダーには指など動かせはしない。
「ベブゥッ」
なのでとりあえず代わりに掻いてもらう。何故当たり前のように戦場にまで連れてきているのかは今は置いておく。
緩い空気を作る一人と一匹からは想像できないような激しい死闘があったのだと主張する荒れ果てた平原には、魔物なら必ず存在するはずの魔石と呼ばれる核もないのに、それでも散らずに何かを起点に再集結しようとする元ヒュドラの身体で平原のそこかしこに飛び散った黒い塵が、ナメクジにも劣る遅さでじりじり動いている。
その再集結を遅らせることはできても完全に阻止する手段がなく、討伐クエストでは証拠としてギルドに提出する義務のある魔石も元々ない。この異常事態を見せたところで田舎の村人に理解してもらえはしないだろう。そもそも原因を考えれば正攻法も搦め手も効果があるとは思えない。
「クエスト失敗で報告、しかないよなぁ……」
「ベブゥ……」
また頭を掻いてもらいながら歩き出した足取りは、当然のように重かった。
* * * *
もうお分かりだとは思うが、それでもここで明言しておく。
この物語の主人公は、最下級回復魔法しか使えずSランク冒険者パーティーを追放された治癒術師であるシュジン・コウ――ではない。
コウが心の内に秘めていた追放されたことに対する負の感情に惹かれて手を出した、この異世界で最大の宗教であるナロ=ウ神教の神の一柱たる復讐を司る女神ザ=マァ。
そんな邪神としか思えない女神に目を付けられて、逆恨み以外の何物でもない復讐に悩まされることになった《ラピッドステップ》のリーダーにして魔導師の称号を持つ、現代唯一にして最高の支援魔導師であるベンジャミン・ポターその人こそが、この物語の主人公である。
ザマァ回です。嘘はありません。
厳密には復讐を司る女神ザ=マァの御先神(要は神の使い)である
ヒュドラのような何かとの戦闘回ですが、決して嘘はありません。
騙りがあるだけです。