開戦の時
目的地は大きな町ではないので都市のような城壁こそないが、それでも魔物や害獣への対策として簡素な柵や外堀くらいはあるし、何の審査もなしに誰でも立ち入れるほど不用心でもない。現代人の感覚では『同じ国の中なのに』と思うかもしれないが、そこは同じ日本でも徳川家による天下統一後の江戸時代でも関所があったようなものだと思って納得してもらう他ない。
とにかく町へ入るには、何か身元を保証できるものが必要となる。そして冒険者が身分証明書として用いるのが、いつぞやの公的資格の登録証――ということがあるはずもなく、俗に冒険者カードと呼ばれる冒険者登録時に作成する言わば会員カードのようなものである。
冒険者カードが利用される理由はいくつかあるが、今は一つ実例を挙げておけば充分だろう。例えば汚損による再交付自体は可能だが、現代日本でも一日二日で届くようなものではない。ましてこの異世界では何日かかることか。そんな代物を危険な冒険中も携帯しろと言うのも酷な話だろう。
というわけで《ラピッドステップ》一行も冒険者カードを見せ、記載されている通りの名前を名乗り、正式な手続きを経て町に入ろうとした。問題があるとすればアナに対して化物を見るような視線を向けている衛兵の方であり、アナのことが大好きすぎるサムエルでさえ今ここで問題を起こすわけにはいかないと何とか我慢していたくらいである。
しかし世の中は正しい者が報われるとは限らない。こんな些細なことでさえ。
「騙されちゃ駄目だ!! そいつらは嘘をついているぞ!!」
そんな馬鹿げた言葉が聞こえてきた方に目を向けてみれば、特徴と言えそうなものが貧弱な身体くらいしかない少年が、照れが入ったのか格好つけきれない中途半端なポーズで《ラピッドステップ》一行を指差していた。この辺りでは珍しいはずの黒髪も、シュジン・コウで見慣れたベンジャミン達にとっては特徴にならない。むしろ隣にいる連れの方が……いや、何も語るまい。
さて、いくらベンジャミン達にとっては何の特徴にもならないとはいえ、黒髪というだけでもこの辺りではまず見かけない。連れのことも考えれば、この貧弱な身体の少年が件の召喚勇者様で間違いないだろう。
だからこそ何かの間違いだと思いたいところである。筋肉の量だけで強さが決まるものでもないが、少なくともこの異世界においては、術師だろうと戦闘経験を積めば嫌でも身体は鍛えられる。と言うより数値管理されるゲームの世界でもない限り、戦闘能力の変化が身体に現れるのは自然なことである。そういう価値観の下で少年を見れば、インドア派丸出しの貧弱な身体の何と頼りないことか。
そんな召喚勇者の少年の馬鹿げた言葉だが、嘘と言われても一行には心当たりなど全くない。しいて言うなら少年を殺す気であることを隠してはいるが、それに気付いているようには見えない。隙を見せてくれているなら今からでも仕掛けたいところではあるが、中途半端なポーズをとっているくせにこちらが動けば勘付けるようになっているらしい。理屈は分からないが【看破】の神眼がそうなると見抜いている。
そのせいで下手に動けない一行の反応を図星と勘違いしたのか、少年は嬉々として馬鹿話の続きを語り始めた。
「そいつらが語った名前は本名じゃない! 僕のスキルはごまかせないぞ! 偽名を名乗るどころかギルドカードまで偽名で登録するなんて、やましいことがあるに決まっている!」
「な、なんだってぇー!?」
「さすがですニャご主人様!」
「助かった! 危うく騙されるところだったぜ!」
現在進行形で少年の干渉力により騙され操られている彼らはさておき、少年の発言の真偽について説明しておこう。
確かに事実か否かという二元論で言えば、少年の言ったことは事実ではある。だがその裏には先ほど意図的に例に挙げなかった、冒険者カードを身分証明書として利用する理由に関わる話がある。
以前少し説明したことだが、冒険者登録時には俗に冒険者資格と呼ばれる公的資格が必要であり、その資格試験を受けるには保護者の許可が必要になる。そして身元の保証は必要だが身分に関しての規定はない。つまり冒険者は騎士とは違いどんな身分の者でもなれる。そこに一つの問題がある。
例えばサムエルのように親に捨てられた孤児。
例えば実力不足で騎士になれなかった貴族の子息。
このような場合、本名で冒険者として活動していればその姓により何かと不都合が出てくる。それを避けるために、冒険者登録時に偽名でも登録可能とする制度が作られた。資格試験の段階で身元が保証されているからこそできる制度と言えるだろう。
ちなみにこの制度、現状では利用する条件に関する規定が特にないため、本名だと有名になった時に古い知人なんかが絡んできて面倒そう、みたいな軽い理由で利用する者も少なくない。《ラピッドステップ》でも四人中三人が偽名で登録している。理由は様々だが。
とにかくそういうわけで、偽名を名乗ること自体に問題はない。冒険者登録時に誰でも気楽に利用できる状況には問題があるかもしれないが、少なくとも現時点で《ラピッドステップ》一行に偽名を名乗る者が何人いたとしても文句を言われる筋合いはない。
と言うよりそれ以前の問題として、ベンジャミンも【看破】の神眼によりごまかされることなく見抜いている。少年が典触主人公という本名では冒険者登録していないことを。ヒーロという本名に近いものであるとは言え、どの口で偽名を糾弾しているのか。
呆れたくなるほど茶番だが、どうやらこんなふざけた流れでも神様と同種の干渉力さえあれば、主人公様に正義の名の下に悪を討つという大義名分を与えてくれるものらしい。いや、真の主人公はベンジャミンなのだが。
「悪党共め! 僕が成敗してやる!」
そんな正義の味方気取りの言葉を叫びながら、正義に味方された主人公が《ラピッドステップ》に襲いかかった。
いよいよ《ラピッドステップ》最期の戦いが……いえ、多くは語りません。
ただ、二度目を読ませるような、そんな話にする予定です。




